2008年12月23日火曜日

年賀状の宛名

歳末の作業に年賀状書きがある。最近はパソコンのおかげで作成には以前よりずいぶん時間が短縮できるようになった。先週末から準備を始めて昨夜書き終わり、今日郵便局へ投函してきた。

年賀状の住所を見ていて例年感じることがある。それは市町村合併などのせいだろうか、おしゃれな地名に変わる所が結構ある。そのために昔からの伝統のある地名が消えていくのが何とも寂しい。

本来、日本の地名は地域の歴史や風土等の特徴が表れているものが多い。例えば私の住む地域にも江戸時代から残る地名が多い。西町、東町などずいぶん簡単につけたものもあるし、三本松、一本松等これも簡単ではあるが広重の浮世絵に出てきそうな江戸時代の風景が想像できるような地名もある。といってもその松は今は残っていない。

桃里という地名がある。駿河湾沿いの温暖な地域なので、以前は桃畑が広がっていたらしい。その名前を聞くだけでいかにも温暖で住み易そうな土地柄が想像できるし、実際にその通りの地域である。

また浮島という地名もある。ここは今はないが以前には浮島沼という沼があって、周辺も含めて水が多くて軟弱地盤の土地だったようだ。稲田も水が深くて腰まで水に浸かって田植えをし、大きな台風が来ると稲と田んぼが一緒にどこかへ流れてしまうという話が伝わっている。

この地域にも高度成長期にはご他聞にもれず多くの田が埋め立てられて多くの住宅地が出現した。

そんな軟弱地盤なので、時間がたつと地盤がひどく沈下する。周辺の道路もでこぼこだ。歴史を知る地元の人はこの辺の土地を宅地としては誰も買わないのだが、歴史を知らない遠くの人が家を建てて地盤沈下に悩み、修復に大変な金額がかかったり、他所へ引っ越したりする人が後を絶たない。

これなども地名を見て想像を働かせば、少し調べることですぐ分かることなのだが・・・。

全国一律「朝日が丘」「ひばりが丘」のようなきれいな名前になるよりも、古いままの地名を残す方が何かと便利だと思う。

5 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

tamyさん、私のつたないコメントをご紹介いただきまして、ありがとうございます。ファイトケミカルスープが、tamy さんのお役に立つと良いなと切に願っております。 それにしても、tamyさんのブログは、奥が深いですね。すばらしい情報量と、楽しいお話。参考になることがたくさんです。また寄らせていただきますね。
ところで、私の住んでいる地域にも、地形に関係のある名がたくさんあります。浮谷と言うのもその一つで、昔は、私たちの住んでいた地域は、海岸縁で、浮谷は、海の中に浮いたり沈んだりした地域のようです。面白いですね。tamyさんのおっしゃるとおり、昔からの名前には、情緒があるように思います。

匿名 さんのコメント...

 tamyさん

 古地名侮れずです。

 長崎市には鳴滝という地があり、豪雨時に被害がでた報道をよんだ記憶があります、いかにも大水が出そうです。
 拙宅はマンションで昔遠浅の干潟を、M井不動産が役人と結託して埋め立てた一大造成地、冬は海上並の強風が吹きます、風の中へむりやり人間が入りこんだ。

 人間の自然との葛藤は、現代では過剰だということでしょう。

tamy さんのコメント...

ホワイトマムさん
ファイトケミカルはしっかり続けていますよ。また時々ブログを訪問してください。

ハンフリーさん
今まで人口が増え続けたので、昔は人間が住まなかった所まで住居が広がりましたね。人間が自然と喧嘩すれば当然犠牲が増えますね。
でも、これからは人口減少の傾向が止まらないので少しは元へ戻るのでしょうか?

匿名 さんのコメント...

こんにちは。

時の権力者が地名変更をするようになったのは、その先駆者である織田信長依頼で、それまでは、「賢きところ」の専権というのが普通だったとか。今の大阪も石山からの変更らしいです。中には、福岡よりも博多の方が地元では愛着を持たれているような失敗例?もありますから、地名変更は余程の必要がない限りはしない方がいいと個人的には思います。

tamy さんのコメント...

れいさん

時の権力者には「オレが歴史を作る」という思い上がりがあるのでしょうね。

福岡よりも博多の方が歴史の重みを表していますよね。