2007年3月31日土曜日

人間ドックは有用だろうか?その2

『人間ドックは有用だろうか』を読み直してみると、誤解をされそうな気がするので補足をしたい。

本当に言いたいことを凝縮すると、「病気は早期発見よりも予防に力を入れよう。人間ドックはそのための手段として利用するなら有用だ」ということである。

私は40才ぐらいから約20年もの永い間、毎年人間ドックを受診した。その結果、健康が維持できたかというと・・・とんでもない、残念ながら散々な目にあったというのが正直な感想である。人間ドックのレントゲンでガンが発見されながら、誤診され(というより専門外の医師だったので、よく分からなかったというのが正しいようだ)8年後に、ガンセンターからきた専門医によってガンと診断された。その間、毎年「前年に同じ→異常なし」だった。がんでもこんなケースもあるのだ。東京の一流といわれる大病院でさえその有様だった。その経過は『tamyのつぶやき』の中の『がん告知』にくわしく書いている。

ユーミンさんが書き込んでくれた『悪いところがなければ「良かった、まだまだイケる。酒も普通に飲めるわ」と検査から帰ってきた人は皆さんそう言いますね』・・・まさにこれが自分の姿だった。

人間ドックを病気の早期発見の手段として捕らえると、いろいろな問題が目に付く。それらは特殊事情や少数事例だから気にすることはないという見方もあるが、それだけでなく現状の人間ドックの検査手段では発見できない疾病はたくさんあるということは知っておいた方がよいだろう。PETやCTやMRI等の最新鋭の設備を使えば発見される疾病は増えるだろうが、今でさえ高い料金がさらに高くなり現実的ではなくなるし、放射線被爆の問題も気になる。

それでも運がよければタイミングよく初期段階で発見されることはあるので、まったく無意味とはいえない。しかし、冒頭に書いたことと重複するが、健康に対する考え方の重点を「病気の早期発見」から「病気の予防」に移せということである。

私の場合、あの時病院の誤診がなければ今よりはまともな生活を送れたと思うが、それでも病院をうらむ気持はない。これが今のドックの限界だとあきらめている。それより自分の健康に対する意識の低さがこのような結果をもたらしたという反省の気持が強い。『けがと弁当は自分もち』(ちょっと古い?)というが、健康も全くその通り、『健康とけがと弁当は自分もち』ということを今健康な人々に捧げたい。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

健康とけがと弁当は自分持ちですか、健康は若さ故の失敗、けがは不注意故の失敗、弁当は女房の御蔭様、てな事に、置き換えてみて、適当に誤魔化していますよ。tamyさんの住んでいます静岡県は全ての面で優れていて良かったですね。人は何処に生まれるかで随分違うし、何処に生活するかでまた違いますね。欲を言えばきりがないですが。今日は私の強欲な主張を伝えますと、英国に生まれ、白人の理系に優れ、その上リッチな家庭に生まれ、ハンサムなキムタクのような若者でありたいですね。また癌に冒されない体力を持って生まれたかったですね。老人の戯言で済みません、お許しください。

匿名 さんのコメント...

大さん、英国に生まれれば良かったのでしょうが、北朝鮮に生まれなくて良かったとも思います。だから日本に生まれたことはまあまあ良かった方ではないでしょうか?そして、日本の中なら大した違いはないと思いますよ。静岡と大さんの住む高知は共通点が多いように思いですよね。

匿名 さんのコメント...

tamyさん、日本は南北に長い国で、気候もかなり違うようで、静岡と高知は気候の面では似通っていますが、こと歴史、医学、文化、交通面、観光、ほとんどの分野で関東地方は四国等とは相違があり、如何ともし難いところですね。地方には地方の暮らし方がありますが、最近は人口の減少が激しく、道行く人の中に若者が急激に減ってしまって、寂しいですよ。早く三途の川を渡って別世界に住みたいですね。

tamy さんのコメント...

大さん、私もあっちの世界には両親はじめ、たくさんの先輩や知人がいるので、行くのも悪くはないのですが、自分の子供たちの生活や孫たちの成長ももう少し見届けたいのです。
いずれは誰でもあちらの世界へ行けるので、できるだけこちらの世界を楽しみましょうよ。