2008年3月31日月曜日

花見の思い出

桜は既にあちこちで満開を迎えており、桜前線は北上中のようだ。テレビニュースでは上野公園の桜がよく取り上げられる。

上野公園は毎年花見に170万人が訪れるというから大変なものだ。29日の土曜日だけでも20万人を越えたという。

この時期には近辺のホームレスが花見会場に集合する。ご馳走や飲物がたくさん残される。それに最近はアルミ缶はゴミ置き場からは持ち去ることができなくなった。花見会場では簡単に手に入るので最高の稼ぎどきになるようだ。

上野公園の花見といえば苦い思い出がある。
20年ほど前のサラリーマン時代、東京へ転勤になったばかりの4月、職場で恒例のお花見に参加した。若手が昼間から場所取りをして、結構良い場所で気分よく花見をした。

皆車座になって、ゴザの上で宴会が始まった。4月といっても花冷えで結構寒い。コートを着ていて、それを脱いでカバンなどと一緒に自分の後ろに置いた。

宴も盛りを過ぎて、さあ帰ろうというとき、コートを着ようとしたら置いた場所にコートがない。人が間違えたのなら、代わりがあるだろうからしばらく待ったが出てこない。どうやら盗まれたようだ。新調したばかりのコートだっただけに悔しい思いをしてすっかり酔いがさめてしまった。1ヶ月と経たないうちに同じコートを買うとき、家内にさんざん嫌味を言われたが、このときばかりはじっと我慢の子になった。

酔っ払いが持ち帰ったか、ホームレスの仕業か定かではないのだが、ホームレスがブルーシートの中でネーム入りのコートを毛布代わりにしているところを想像して悔しい思いをしたものだった。

お花物シーズンになってニュースで上野公園の風景が流されるたびに、このことが夫婦の間で笑い話になる。

2008年3月28日金曜日

肝炎検査

血液製剤「フィブリノゲン」の投与でC型肝炎を発症した薬害問題は国が補償する事で和解した。

この問題ではニュースを見ながら私も少々気懸りなことがあった。というのは約30年前に蓄膿症の手術をしたからである。当時の手術は片側の手術をして、1週間後にもう片側の手術をした。たかが蓄膿症といっても3週間を越える入院で結構大変な思いをした。

手術前の注意で手術中の血液は決して飲み込まないようにといわれたが、つい苦しくなって飲み込んだら、案の定手術後に嘔吐したことを憶えている。全体にそれほどの量の出血は伴わなかったので、輸血もしなかったと思うし、血液製剤などは使わなかったように記憶するが、何しろ年月が30年も経っているので確かなことは分からない。

家内との会話のなかで「念のため検査をしてみたら?」といわれた。近所の内科医院の待合室に肝炎検査を薦めるポスターが貼りだされていたという。そこで近所の内科医院に出かけた。検査といっても採血だけの簡単なもの。C型肝炎と一緒にB型肝炎のことも分かるということだった。検査料も本人負担1,000円ちょっとでできる。

本日はその結果が分かる日だった。医院に先日の血液検査を聞きに行ったところ、結果はC型肝炎、B型肝炎ともに「白」だった。

別に不安があったわけではなかったが、思い切って白黒つけることでずっと安心していられるので、無駄ではなかったと思っている。

もし、心当たりがあるような人は、ぜひ検査を受けることをお勧めしたい。

2008年3月26日水曜日

酸蝕歯

最近のテレビCMで、よく「酸蝕歯(さんしょくし)」という言葉を耳にするようになった。この言葉、以前は殆ど聞かず、最近になって聞くようになった言葉だ。新聞で「アメリカテキサス大学等の調査研究では10~14歳の児童900人のうち30%に酸蝕歯が認められた」というニュースを読んだ。日本人にもその傾向が増加していて、ある歯科医によると、患者の6人に1人にその傾向が見られるということだ。

酸蝕歯は、清涼飲料、スポーツ飲料、一部の果汁およびハーブティーなどのごくありふれた製品に含まれる酸が原因となって生じるようだ。これらの飲料に含まれる酸の侵蝕性が高いと、虫歯の原因菌は生きられないかわりに、酸蝕歯になりやすいという。また、アスピリンのような薬剤の定期的な使用や、酸逆流症、嘔吐を繰り返す摂食障害も胃酸によって酸蝕歯を引き起こすことがあるようだ。

酸蝕歯になると、歯の先端が透明になったり、黄色に見える。また歯の先端がひび割れたり、ざらざらになる。重度になると、知覚過敏になり、抜歯をしなければならなくなる。

食べ物が西洋化することで歯の病気も多様化している。食事の中心は伝統的な和食、飲み物は熱いお茶というのが最も健康的に過ごすポイントのようなのだが・・・。

ところで話は違うが、日本の食料自給率が39%ということが問題になっているが、米を中心にした和食にすると自給率は一挙に70%を越えるという。この際、メタボ対策と一緒に、和食中心の運動でも起こしたらどうだろうか。そうすれば酸蝕歯の問題も一挙に解決すると思うのが。

2008年3月24日月曜日

桜の季節

今朝はしとしとと降る雨音で目が覚めた。今頃は桜と晴天のイメージが強いが、「菜種梅雨」という言葉もあるように雨が多い季節なのだそうだ。

寒いときは暖かくなるのを待ち、夏は夏で涼しくなるのを待つ。日本の四季はそれぞれに趣がある。

「1年でいちばん好きな季節は?」と聞かれると、私の場合は即座に春と答える。

長い一生の間には悲しいこと、うれしいことがたくさんある。悲しいことは早く記憶から消し去りたいが、うれしいことは記憶に留めたいものだ。それでも心の底からうれしかったことはそうは多くない。

私の場合は、今まで生きてきた中で、記憶に残っているうれしい出来事はいくつかある。結婚、出産、子供の入学、七五三・・・。

そのなかでも、大学に合格した春のあの喜びは忘れることはできない。高校3年生のときは不合格となって、1年浪人して受けた受験で合格したときは今までの抑圧が大きかった反動もあってか、普通とは桁の違う大きな喜びは47年たった今でもはっきり記憶に残っている。

当時はテレビが各家庭に普及し、我が家でも買いたいという兄弟達もいちばん末っ子の私の受験勉強の妨げになるといって、皆でガマンしてくれた。

発表の後、隅田川を散歩したとき、満開の桜が自分を歓迎してくれているような気がしたものだった。

人はそれぞれの物語を持つが、桜の時期は花の美しさだけではなくて、そこにある出会いや別れと一緒に記憶に残っていることが多いようだ。

2008年3月21日金曜日

フライドポテトに発がん性?

娘がネットを見ていて、「こんなのがあったよ」と情報を送ってくれた。タイトルは「揚げる前に水に浸すことでジャガイモの発癌(がん)物質を軽減」(情報はこちら)。

食品では魚のおこげとか、塩辛いもの、油物を多く取ると、ガンになりやすいということは聞いているが、ジャガイモに発がん性があるということはあまり聞いたことはなかった。

ところがその情報によると、どうもジャガイモなどでんぷんを多く含む食品に存在するアクリルアミドに発がん性があるらしい。

その物質はジャガイモなどでんぷんを多く含む食品を揚げる、蒸す、焼く、あぶるなど、高温で調理する際に形成されるようだ。アクリルアミドはさまざまな食品に含まれていて、健康に悪影響を与え、動物で癌を発生させることを示唆する研究もあるという。実験ではジャガイモを揚げる前に水に浸すことにより、アクリルアミドの形成を抑えられるということらしい。

研究では、揚げる前にジャガイモを洗う、30分間水に浸す、2時間水に浸すの3種類のアプローチが試みられ、それぞれアクリルアミドのレベルが23%、38%、48%低減することが明らかになった。ただし、これは軽く揚げた場合の結果であり、キツネ色になるまでしっかり揚げた場合にも同様の効果があるか否かは不明。

発がん性であるからといって、それを食べたらガンになるということもないので、それほど神経質になる必要はない。もしそうなら、ジャガイモを多く食べるドイツや、日本なら北海道などにがん患者が多く発生してしまう。マックの好きな最近の若者だってフライドポテトでがん患者が多く発生してしまう。

そんなこともないようなので、知らないよりは知っていた方がよいという程度に考え、何ごとも過ぎないようにするということが良いようだ。

2008年3月19日水曜日

定期検診

昨日(3/18)は定期検診だった。

病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:00の検診を待った。ロビーには立派な段飾りのお雛様が飾られている。一般家庭で今頃お雛様が飾られていると、婚期が遅れると気になるところだが、ここは病院、多くの患者や来客の目を楽しませている。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=46(基準値10~40)、GPT=38(5~40)と基準値をやや超えていて、イレッサの副作用が若干出ているようだ。ただ、この程度だと自覚症状もなく、先生からも心配は要らないという説明だった。
・白血球の数値は3,720(正常範囲3,900~9,800)で、正常範囲よりやや低い。前々回は一度だけ許容範囲内に戻ったが、それ以外は正常範囲に達していない。やはり常態でも低い状態になっているようだ。これも特に自覚症状はない。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは昨日までで69錠服用した。
副作用として、肝臓の数値がやや高いが、それを抑える薬(プロへパール)を平行して服用しているせいか、前回と同じ程度。次回の検診までに副作用がひどくなるようなら先生に連絡をする。

イレッサの副作用らしき湿疹が腕と足に少し出ている。ここ2~3日暖かくなって、背中など皮膚がややかゆいが、副作用なのか、アレルギーなのか、あるいは老人性疾患なのか不明。生活に支障はない。
皮膚疾患は前回の服用時に比べて、非常に軽い。服用前は皮膚疾患をいちばん心配したが、2ヶ月以上同じ状態が続いている。

次回検診4月2日(水)。

2008年3月17日月曜日

サイト開設3周年(続)

今やブログ全盛の時代、誰でも無料で簡単にブログを作れる。3年前はもちろんブログはあった。私が知らなかっただけかもしれないが、あまり一般的ではなかったように思う。最近は超多忙な政治家や芸能人なども簡単にブログを公開している。たった3年なのに、この進歩の早さには今さらながら驚かされる。

3年前ホームページをスタートする際、レンタルサーバーはlolipopをお借りして、そこへ自分が作ったサイトを転送した。ダイアリーと掲示板もLolipopに付属するもので作った。掲示板は途中から、商用の書き込みや外国から英文の宣伝などが書き込まれ、削除に追われたのでやむなく廃止した。ダイアリーも古いスタイルだったせいか、使いにくいことがあったので、今のブログに変えた。ブログはgoogleのbloggerを使い、ホームページからそこへのリンクを貼った。

このブログがなかなかの難物である。
病状の記録だけだと、私の場合2週間毎の定期検診で、病状もあまり変化がないので、月2回程度しか記事が書けない。これでは休眠状態に近いブログになってしまう。

そこで、多少は常に動きのあるブログにするために、タイトル「tamyのつぶやき」の通り、普段新聞や本を読みながら、テレビを見ながら、外を歩きながら、つぶやいていることを記事にするようにしている。そこには一貫性もまとまりもないが、その点はご勘弁いただきたい。

怠け心を出すと、何日も記事は書けない。自分への負荷をかける意味で(言いか変えるとボケ防止?)2~3日に1回は記事を書こうと自分に言い聞かせている。

もともと、文章は苦手な分野。技術系に育ったせいか、きれいな文章を書こうという発想そのものがなく育った。現役時代は技術レポートやクレームの謝罪文ばかり、手際よく、正確なことは心がけたが、文学的な気の利いた文章などはとても書けない。書き終わった文章を読み直す度に、「う~ん、つまらない」と思いながらも、面白い文章が浮かばず時間切れで記事をアップする。

最近の若手女流作家などの文章を読むと、どうすればあんな文章が思い浮かぶのだろう・・といつも思う。これも持って生まれた才能なのだろうかと感じる。

この歳になると、才能や能力は変えられそうもないので、今後も今までのペースで続けるしかないようだ。

2008年3月15日土曜日

サイト開設3周年

サイト「tamyのつぶやき」の右上に「since Mar.15 2005」と書いてあるが、今日はサイトを開設して、ちょうど3年のアニバーサリーに当たる。
 
スタートした2005年は再発が告げられて半年、ⅠB期からいきなりⅣ期になってしまって、気落ちをしている時期だった。なにしろ、過去のデータを見るとⅣ期は5年生存率が3%である。正直言って自分の余生はあと何年だろう、いや何ヶ月だろうと考えていた時期であった。今年の4月は告知から5年、6月には手術から5年、8月には再発から4年になる。もしかしたら、5年生存率3%の中に入れるかもしれない。

サイトの右上の「初めてご訪問の方へ」にも書いているように、サイトを立ち上げた第一の目的は同じ病気の方々に私の病状や経過を見ていただくことで、闘病の参考にしてもらいたいということであった。

もうひとつそこには書いていない目的もあった。それは闘病をする上での自分自身への目的意識を与えることだった。

サイトを作ること、及びメンテナンスをすること、ブログを書くこと・・・いずれも結構なエネルギーがいる。その道のプロなら簡単に作れるのだろうが、インターネットについては全くの初心者だった。

サラリーマン時代は主に生産、技術関係の仕事をしていて、業務上必要な技術レポートをWORDで書いたり、管理上のデータをEXCELLで整理したり、発表用にPOWERPOINTを使ったり・・・OFFICEのお世話にはなって
いたので、パソコン初心者ではなかったが、ネットや通信の知識は全く別物だった。

2005年の正月にサイトを立ち上げようと思い立って、早速IBMのホームページビルダーをアマゾンで購入して、マニュアル片手に取り組んだ。内容をWORDでまとめながら、サイトを作ることに取り組んだ。

今ならブログが普及しているので、必要はないが、当時は内容はできても、やれレンタルサーバーだの、そこへ転送するだの、今までの知識ではチンプンカンプンのことがたくさんあった。

自分の労作が公開されるということは結構うれしいものである。展覧会に自分が描いた絵を出すような感じだろうか。その約3ヶ月は毎日が楽しくて、病気であることを忘れて没頭したものだった。

そのことがガン細胞に「ちょっと待ってね」と囁くことにつながったのかもしれない。病気になったら、ともすると病気に負けそうになるものだが、何か没頭することを持つことは必要かもしれない。といっても、それがストレスになるようでは逆効果なのだが・・・。

そんなこんなで、皆さんの目の前にサイトが登場したのが、5年前の今日ということになる。当初は今考えると、お恥かしい内容だった(今もそうだが、それよりずっと)。

その後、文章を足したり、体裁を修正したりして今の形になった。プロが作るものと比べると、いかにも素人くさい素朴なスタイルだが、そんなこともかえって好感を持たれるのではないかと・・・勝手に考えている。

これからもこの調子は変えられないので、どこまで続くかは自分では決めてはいないが、病状が悪くなってもベッドへパソコンを持ち込んで最終日まで続けばいいかなとは思うが、その時になるとどうなるか分からないので、約束はしない方がよさそうだ。(続く)

2008年3月12日水曜日

迷走するお隣の巨人

今週の始め、北京オリンピックの代表選手が決まった。

選手にとってはこんなうれしいことはないだろうが、場所が北京だということで気持は複雑だろう。

日本代表が決まったニュースの一方で、前から心配していたことが現実問題となった。それは男子マラソンの世界記録保持者、エチオピアのハイレ・ゲブレシラシエ選手が10日、北京五輪同種目への欠場を正式に表明したというニュースだ。現在の北京の汚染状況では42キロを走るのは難しいというのがその理由のようだ。

選手にとってはオリンピックは最高の晴れ舞台、恐らくは一生に一度のチャンスを得ながらも、自ら辞退せざるをえないというというのはさぞかし無念だろう。

「食の安全」問題も「毒入り餃子事件」を見れば分かるように、中国政府の対応は解決の方向どころか、ますます混迷な方向へ向かっているように見える。

野球の星野監督は選手の体調に不具合が生じないように、食料を持ち込む考えを示しているという。オリンピックが近づくにつれて、関係者は頭が痛いことだろう。

この夏、オリンピック開催までにはまだまだ波乱がありそうだ。本当に開催ができるのだろうか?ひとことでいえば、中国でのオリンピック開催は時期尚早なのだろう。

オリンピック出場の選手達は、オリンピックが終わって自分の国へ帰れば大気汚染から逃れることができるし、中国から食材を輸入している国は買わなければ済むが、いちばん気の毒なのは中国に住む13億人の人たち。今の状態は日本でもかつて経験した。大気汚染、河川汚濁、土壌汚染・・・経済成長の副産物、これを何倍にも拡大した姿が今の中国なのだろう。食物も空気も河川も今の状態では、いつになったら「苦難」から開放されるのだろうか? 
オリンピックを契機に公害問題も食糧問題も根本的な解決に乗り出すというなら諸外国も見守る姿勢を持つのだが、どうも軍事にばかり力を入れているようで、いずれも本格的な対策を採ろうという姿勢が感じられない。中国の問題は隣国の我が国への影響も大きい。早く迷走をやめてもらいたいものだ。

2008年3月10日月曜日

外国人の看護師

日本政府はインドネシア、フィリピンと看護師・介護福祉士を受け入れる合意をしているが、その第一陣がインドネシアから年内にも来日するようだ。(情報はこちら

病院現場への外国人の受け入れは、看護師不足の解消につながるとの期待が大きい反面、来日するのは国家試験の合格を目指す研修生。即戦力ではない研修生の受け入れには6割が消極的で、「未知の制度」に対する現場の懸念が大きいようだ。

私もこの病気になってから、この数年の間に何度か入院を経験したが、看護師不足は肌で感じた。がん患者は年を追う毎に増加し、入院患者も順番待ちをしているということを聞く反面、入院しているとあちこちに空きベッドが目立った。それはいずれも看護師不足が原因のようだった。
この病院で起きているということは、全国の医療現場ではどこも同じ問題が起きていることは想像に難くない。どうやらこの問題は一時的ではなくて、慢性的な問題であることは間違いないようだ。

昨年の入院で気がついたことは、男性の看護師が増えたことだった。女性の看護師が不足していることと、男性の中にも看護師希望者が増えてきた結果なのだろう。私の若い頃には想像もできなかったことだ。

将来的に見ても看護師不足を解消する目途が立たないなら、外国からの看護師受け入れはやむを得ないように思う。患者の立場からいわせてもらうと、男の看護師がいるのだから、外国人の看護師がいたっておかしくはない。でも、日本人と同じように意思が通じるような教育だけはしてもらいたいものだ。

工場などの3K職場では外国人を多く受け入れている。ただ、現在のように不法残留や、研修生のようなイレギュラーな形では問題が多すぎる。人手不足の問題解決のためだけに人を放り込むだけでは長続きしない。国や地方自治体がバックアップ体制を十分に考慮して、長期的観点で取り組まなければ、現場は手助けになるどころか、混乱するばかりになるだろう。

2008年3月7日金曜日

消費期限

昨今の「食」はまことに不安だ。質についても、量についても、価格についても・・・。まだ農業の盛んだった昔の日本に比べると、何かが狂っているように思えて仕方がない。

我が家では家内も娘達も賞味期限は気にする。冷蔵庫の中に賞味期限が過ぎた食品を見つけると、すぐ廃棄する。日本中のコンビニやスーパーで毎日棄てられる弁当や惣菜は相当な量のようだ。回転寿司で時間を過ぎた皿も破棄される。その種の食料を回収、肥料として作り直して再利用する工場も稼働中とか。

毒餃子の事件は論外としても、賞味期限、消費期限等での大騒ぎには若干の抵抗を感じた。私は戦後の食糧難時代を生き抜いたせいか、期限のラベルを張り替えた事件などはそれほどの深刻さは感じずに、むしろ日本人の贅沢さの方に不安を感じてしまう。

不二家、赤福等々消費期限を過ぎた食品をごまかした事件は悪いことに変わりはないが、カメラの前で頭を下げる経営者を見ていると、何か気の毒に感じてしまう。食品会社の中には、まだ使える食材を前にして、思い切って棄てるということができない人もたくさんいたのだろう。

私の子供の頃には賞味期限も、消費期限もなかった。もっぱら,鼻センサーと腹センサーが頼りだった。食品を残したり、棄てたりしたら親の世代からこっぴどく叱られたものだ。

昔に戻れというつもりはないが、私には賞味期限だとか、消費期限だとかたくさんの無駄を生む、ややこしい法体系に問題があるように思えてならない。だから、マスコミは事件を起こした会社の幹部ばかりを追いかけないで、法体系を放っておくお役人や政治家の意見を聞いてもらいたいと思ったりした。

私と同じように考える人も多いらしく、首相の諮問機関である国民生活審議会では現在食品表示に関する複数の法律を一つにまとめて、新しく「食品表示法」(仮称)を作るという提言を用意しているようだ。賞味期限、消費期限という分かりにくい期限表示を「消費期限」だけにまとめるということになるようだ。

2008年3月5日水曜日

定期検診

本日(3/5)は定期検診だった。

病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:30の検診を待った。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=50(基準値10~40)、GPT=62(5~40)と基準値をやや超えていて、イレッサの副作用が出ているようだ。ただ、この程度だと自覚症状もなく、心配は要らない。
・白血球の数値は3,600と正常範囲(3,900~9,800)で、正常値より低い。前回は許容範囲内に戻ったが、今回はまた下がった。やはり常態でも低い状態になっているようだ。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは今朝までで56錠服用した。
副作用として、肝臓の数値がやや高いが、それを抑える薬(プロへパール)を平行して服用しているせいか、前回と同じ程度。次回の検診までに副作用がひどくなるようなら先生に連絡をする。

イレッサの副作用らしき湿疹が腕に少し出ているが、前回からの変化は殆どない。皮膚疾患は前回の服用時に比べて、非常に軽い。皮膚科に寄って、皮膚疾患がひどくなった場合の付け薬をもらった。
レントゲンはイレッサの副作用としての肺炎等をチェックしている(ガンはレントゲンには写らない)が、今までに異常が出たことはなく、今回も異常なし。

次回検診3月18日(火)。

2008年3月3日月曜日

B級グルメ

最近、テレビや雑誌などでB級グルメという言葉を頻繁に目にするようになった。地元静岡にも富士宮やきそば、静岡おでん、浜松ぎょうざなどが全国的にも有名になっているようだ。日本全国どこにも同じよう地元に根付いた郷土料理がある。

我が家の食卓にも、昼食などに富士宮焼そばが登場することがある。他の地区の焼そばとどう違うか?そばの製法が違うようで、やや固くて歯ごたえがしっかりしているのが特徴だ。静岡おでんは黒はんぺんや牛すじ肉が入っている点が特徴。

私は20歳を過ぎて当地に来たので子供時代は知らないが、家内は地元育ちなので、駄菓子やにこの静岡おでんがあって駄菓子を買うついでにおでんを食べたという。これらは昔から郷里に根付いていて、その地方の伝統と一体となっている。

ところで、「B級グルメ」という名称は誰が付けたのか知らないが、私にはセンスのないネーミングに思えて、どうも好きになれない。

それに、元々グルメという言葉は美食家とか、食を楽しむ「人」のことを指して使っていたように思う。今使われているB級グルメという言葉は料理自体を指す言葉なので、使い方も間違ってはいないのだろうか?

それに料理にA級とか、B級とかランク付けをすること自体に抵抗を感じる。高い、安いはあるが、それは料理のランクではない。ミシュランの三ツ星レストランに行く人も毎日それを食べるわけではない。家庭に帰ったり、故郷に帰ったときには郷土の料理をおいしく戴くはずだ。比較するものではなくて全然別物だと思うのだが。

今年のサラリーマン川柳の中に「ミシュランよ 手が届くのは ガイドだけ」というのがある。私もその口だが、そうかといってひがんで言っているわけではない。

B級なんてネーミングはやめて、郷土料理とか、庶民料理といった特徴を現すものにしてもらいたいものだ。

2008年3月1日土曜日

2月29日の誕生日

つい先日まで、やれクリスマス、お正月といっていたと思ったら、もう今日から3月、正に「光陰矢のごとし」。最近は矢どころではなく、映画「マトリクス」の映像に出てくる銃弾のように日が過ぎて行くような気がする。

昨日は4年に一度の2月29日。散歩をしながら「今日誕生日の彼、今頃どうしているかな」と、サラリーマン時代の後輩であったその人のことを思い出していた。

大分以前のことだが、2月29日は4年に一度しか来ないので、「君、毎年のお誕生日はどうしているの?」と彼に聞いたことがあった。すると、その答は4年に1度、盛大に4年分を祝ってもらってるということだった。

しかし、子供時代には誕生会的なものは4年に1回ではなく、毎年28日か1日には簡単に祝ってもらったようだが、熱が入らずどうしても略式になるので、4年に1回の29日が通常年よりも盛大な誕生会をしてもらえる分、得をしているような気がしたと言っていた。

そして、本人は意識して、人とは違うのだからということで、プレゼントをちょっと高めのものを要求すると、大体は通っていて得をした気分だったということだった。まあ、親の方もかわいそうだという気持があって、多少の無理をしたのかもしれない。

そして、子供の頃には友達からは12歳でも4歳じゃないか等とからかわれるのがいやだったそうだ。もっとも大人になってからは、4年に1つ歳をとるならありがたいが・・・と思うようになったそうだが。

その人とはずいぶん会っていない。今頃どうしているんだろう。誕生日が4年に1回だと、こうして人の記憶に残るので、それも得なことかもしれないと考えたりした。