2007年10月29日月曜日

平均寿命

最近「天璋院篤姫」を読み始めたことは10月22日のブログに書いた通り。来年の大河ドラマであるこの話は幕末の徳川将軍家という私のような庶民とは縁遠い世界の話だが、読み進むにつれて江戸末期の生活習慣の現代との違いを今さらながら感じながら読んでいる。

そのひとつにその時代は現代とは違って子供が育つのが如何に大変だったかが良く分かる。主人公篤姫は薩摩の今和泉家の娘であるが、本家筋の薩摩藩主島津斎彬(なりあきら)の養女になる。島津斎彬の子はことごとく早世、長子菊三郎が1歳、長女澄姫が4歳、2女邦姫が3歳、2子寛之助は4歳、3子盛之進を4歳で亡くしている。お殿様には側室もいるので、それと併せると生まれた子供のうち、6人の男子と2人の女子が早世して育たなかった。

これは将軍家でも同じようなものであったようだ。上流階級は専属の御典医もいて、当時の最高レベルの医学で至れり尽くせりの措置が可能ななかでのことなので、庶民階級ではもっと大変だったのだろう。
将軍家や藩主などでは覇権争いによる暗殺(毒盛り)があったり、大奥の女性の白粉に含まれる鉛が乳児に与える鉛害などもあったようだが、圧倒的に病死が多かったようだ。

ところが、現代に目を移すと世界保健機関の世界保健報告2006年度版によると、現代の日本の男性の平均寿命はサンマリノとアイスランドと並んで79歳で世界一、日本の女性の平均寿命は女性86歳で単独世界一、 ちなみに、平均寿命が最短なのはジンバブエの36歳だそうだ。

日大の小林教授の研究にもとづいて作成された生命表によると、縄文時代の寿命は男女とも14.6歳、室町時代では15.2才であったという。 また長野県の宗門帳にもとづいて作られた「江戸時代農村住民の生命表」によると江戸時代の平均寿命は男子が36.8歳、女子が26.5歳であった。明治13年にようやく男女とも30歳の関門を突破し、大正に入って男女とも平均寿命が40歳を超えたのだそうだ。
歴史には長寿の人もたくさん存在する。育ってしまえば長生きする人も多いが、小児の成長がいちばん難しく、子供の早死が平均寿命を下げている最大の要因のようだ。

我が家でも、孫の話などもこのブログに書いたこともあるが、孫が生まれて丈夫に育ってほしいという希望は持つが、途中で失うなどということは想像もしない。やはり医学の進歩はありがたいことなのである。

3 件のコメント:

れい さんのコメント...

医療の進歩の恩恵による長寿、ほんとにそうですね。しかし、現在では産科医の不足が問題化しています。お産はそもそも大きなリスクがあったもので、医学の力でそのリスクを小さくしてきました。
お産は安全なもので問題なく生まれて当たり前と思い込んでいる人も少なくないようで、お産で母子に何らかの問題があるとすぐに医療過誤で訴えるケースが増えたことがひとつの原因で産科医が減少しています。

大 さんのコメント...

医療の崩壊が始まっています。今の内に止めないと大変ですね。崩壊してからでは遅いのですね。政策審議委員の中に医療の専門家がはいっていなかったそうですが、何のための審議会だったのですかね。総理大臣の特権がある会ですから、頭の程度が知れますね、単純な頭脳の持ち主では総理大臣は務まりませんね。本当に腹が立つ事です。

tamy さんのコメント...

れいさん
医師不足で地方では街にひとつの病院でさえ、閉鎖されるというようなこともあちこちで起きているようですね。医局制度の弊害から医療制度を変えたようですが、今度は別な問題が起きているようです。モグラたたきのようですね。

大さん
お医者さんは昔は特権階級のように思われていましたが、随分変わりした。「医療の崩壊」にならないように政治のレベルで手を打たないと大変なことになります。病気を治すのがお医者さん、でも医療制度を治すお医者さんがいないのですね。