2007年6月30日土曜日

【第2クール再入院第10日】

【点滴9日目】

昨夜は9時頃ベッドに横になりながらテレビを見ていた。いつの間にか寝入り、夜中の何時頃だろう「朝まで生テレビ」らしき声に目覚めたが、テレビを消してすぐまた寝入った。
朝、6:30看護士さんの採血の声で目をさました。どうも9時間位寝たことになる。1日何もしないでゴロゴロしているのによく眠れるものだと我ながら感心する。

さて、採血の結果。心配した白血球の数値は2,230(一昨日1,690)とやや持ち直した。好中球の数値31.8(許容範囲の下限40)もやや低いがまあまあ。肝臓数値は今回は上昇しなかった。
総じて、点滴液量を75%にしたことで副作用に対する効果は出ているようだ。
先生の診断は白血球の数値はやや持ち直したものの、まだ低いので、感染予防のため退院を延ばして月曜日にもう一度採血してその結果で決めるのがよいだろう・・・ということになった。

今回の入院とは別に、前から火曜日にCT撮影を予約している。従って月曜日に退院すると、たまたま翌日に通院でCT撮影するようになる。従って、退院を1日延ばして、CT撮影してから退院した方が楽であるということを提案したところ、そのように決まった。

2007年6月29日金曜日

【第2クール再入院第9日】

【点滴8日目】

今日も治療は何もない。

明日の朝の採血で今後の方針を決める。副作用は手先の痺れは相変わらずだが、足の膝の痛みは昨日あたりから軽くなっている。今日もそれほど感じなくなった。

先生からも看護師さんからも「感染予防の手洗いとうがい」はうるさく言われている。そのため極力病室からは出ないようにしてる。
それでも全く出ないというわけにもいかない。トイレやシャワーは部屋でできるが、食事のトレイを下げに行ったり、体重を測りに行ったり、新聞を買いに行ったり・・・など何度かは部屋から出る。そういうときには部屋に備え付けの手洗い石鹸で手を洗い、消毒液をつける。同時に支給されたイソジンを水に入れてうがいをしている。

白血球が下がると、免疫作用が落ちるため、発熱しやすいという。外部だけ注意すればよいかというとそうでもないらしい。体内の雑菌が原因で発熱することがあるという。発熱すると抗生剤の注射をすることになり、新たな厄介な問題を抱えることになる。

健康な時にはあまり意識しないことだが、菌の存在を警戒するようになるものだ。

2007年6月28日木曜日

【第2クール再入院第8日】

【点滴7日目】

今日は予定通り、朝いちばんで採血があった。
その結果は心配していた通り白血球の数値が1,690で、一昨日よりまた1,000以上下がった。点滴後7日目だがこれが最下限とはいいきれない。但し、好中球並びに肝臓の数値はそれほど悪くない。

従って、入院を延長して明後日朝の採血の結果を見る。そこで結果が良ければ退院、悪ければ白血球増強の手当てをする。

今日の結果がよければ、今日退院だったがそれは駄目になった。前回の結果からこうなることは、7~8割位の確率で予想していたことなので、それほどの落胆はない。また白血球が下がった時は感染の恐れもあり、高熱を出すことも考えられるので病院にいた方が安心していられる。健康状態がこういう状態の時は家にいようが、病院にいようが、行動範囲は限られるので病院の方が安心していられると思うようになった。

2007年6月27日水曜日

【第2クール再入院第7日】

【点滴6日目】
今日は治療の中日、のんびりすること以外には何もやることはない。副作用の状況は昨日と変化なし。

【つぶやき】
最近の私の情報スクラップ(http://tamy.mt63.com/joho2.html)には「怖いニュース」「明るいニュース」の気になる2つのニュースがあった。

「怖いニュース」「中国でがん患者急増 環境汚染と因果関係?」(産経新聞6/20)「ミートホープ」事件もひどいが、中国からの輸入食品には気をつけろということは散々聞かされる。輸出品だけがひどいのかと思っていたが、中国国内で自分達が食べる食品までひどい汚染にさらされているとは思わなかった。年間のガンによる死者が760万人とはすさまじい。別な情報では中国の金持の間では値段が高くても日本の米や野菜を食べるのが流行っているらしい。日本でもスーパーに並ぶ安い食品には中国産が目立つ。クワバラ、クワバラ・・・現代の怪談。

「明るいニュース」「英国、来夏から子宮頸がん予防用ワクチンの接種を慣例化」(がンナビ通信6/22)ガンの3大治療法〔外科・化学・放射線〕のほかに免疫療法が研究中だが、その先にはがんワクチンという夢の方法がある。ニュースの内容がどの程度の効果があるものか素人の私には分からないが、ワクチンと聞くだけで未来の治療法を感じる。それにしても日本での動きが欧米に比べて後手後手に回っていることが、このニュースひとつでも分かる。厚生労働省の皆さん、年金問題も大事だが、ガン対策もお忘れなく。

2007年6月26日火曜日

【第2クール再入院第6日】

【点滴5日目】

今日は朝から典型的な梅雨らしい天候。朝からシトシトと雨が降り、景色は靄に曇ってる。

昨日夕方の回診で、主治医のY先生から「採血予定は28日だけど、明日中間でチェックして見ましょう」といわれ、朝いちばんで採血した。
9:30頃、病室のモニターで見てみると、気になる白血球の数値は2,750だった。心配した通り、点滴後6日にしてやはり下がっている。

先生からは今日の夕方の回診で話があるだろうが、前回と同じ傾向なので28日の採血次第ではまた前回と同じ治療方法を辿ることになるのかもしれない。肝臓の数値その他は現時点異常はないようだ。
どちらにしても、今回の治療は第2クールなので、第3クールまでの間にCT撮影(7月3日に予定)があり、その効果次第でその後の治療方針が決まる。

抗がん剤の副作用はガマンするとして、効果があることを望むのみである。

2007年6月25日月曜日

【第2クール再入院第5日】

今日は月曜日、朝からいつもの喧騒が戻った。空きベッドにも次々と新しい患者が入ってくる。

点滴後4日目なので、初採血があると思ったのは自分の判断だったが、どうも予定はないらしく行われなかった。
朝の回診では先生から退院予定の話はなかった。前回の白血球低下及び肝臓値の上昇のこともあり、じっくり構える覚悟が必要なようだ。

治療前に行われた説明で点滴後出る可能性のある副作用は1~4日目にはアレルギー症状、静脈炎、関節痛・筋肉痛、吐き気、手足のしびれ等。

今日は今までの手先の痺れに加えて、足の関節に違和感がある。程度は軽いが、歩くときにやや痛みを感じる。どうもこれも新たな副作用のようだ。

2007年6月24日日曜日

【第2クール再入院第4日】

【点滴3日目】
昨日と今日の土日はいつもながら週末独特のムードが漂う。医師の先生がお休みのことと、週末に退院した人や外泊の患者さんが多く、空きベッド多いせいだろうか(月曜日にはまた一杯になる)。また、病室もデイルームも見舞い客で賑わうのもいつもの風景。

今日も新たな副作用はなく、平穏無事だ。明日の朝予定されている採血の結果でどうなるか?明日問題がなければ、一旦退院して次の通院の際の採血結果で処置を決める方法が通常のようだが、前回白血球が極端に落ちた私の場合はどうなるか。

この病院は山の上のせいか、野鳥がよく訪れる。
今朝も病室から窓の外をのんびり眺めていたら、窓から1メートルの所にあるアルミの手すりにツバメが1羽止まって、鳴き声を立てて毛繕いをいている。間近に見る後姿は正に燕尾服そのもの、久しぶりにこんなに至近距離で見るツバメの姿は懐かしい。私が子供の頃、4月頃になると姿を見せて10月頃暖かい国へ飛び立つ。これも田舎の毎年の風物詩だった。そういえばあの頃はあちこちの民家の軒先に巣を見かけたものだが、最近はさっぱり見なくなった。住宅事情の変化なのだろうか?

手すりのツバメが1羽だと思っていたら、すぐ2羽になったのでツガイかと思ったら、やがてグループなのか親族なのか5羽になった。その内にコの字型になった病棟のなかを自由に飛び回り出した。病棟の軒先のどこかに巣を作っているのだろう。

昔は餌や天敵の関係で住宅地を選んでいると聞いたものだが、人間がツバメを住宅地から山間部へ追い出したのだろうか・・等と考えながら眺めていた。ここの患者にとっては癒しになり、目の保養になるのはよいことだが・・・。

2007年6月23日土曜日

【第2クール再入院第3日】

【点滴2日目】

今回の入院の最大メインイベントの点滴は昨日無事に終了した。
後の仕事は安静にのんびりして、副作用の出方を観察し、異常に対処すること。

昨日、前回に比べてアルコールの影響が少ないと書いたが、今朝になって顔が紅潮している。アルコールの影響が遅れて出たようだ。前回は点滴直後から翌日以降まで出たので、初日以外は同じ結果だ。お酒のアルコール(といっても元々下戸なので飲むといっても量は僅かだが)の場合は、翌日まで持ち越すことは皆無だったが、同じアルコールでもお酒の場合とは違うようだ。

副作用は今日の段階では特に変わったことは何もない。前回からの手先の痺れは相変わらず、大きな支障はないがボタンをはずしたり、かける時にやや時間がかかるぐらいか?キーボードで文字入力の時、前より打ち間違いが多く、2~3割キータッチが多くなったのはこのせいか?あるいは歳のせいか?これでは一般の仕事では勤まらない。勤まるとしたら社会保険庁ぐらいか?(社保庁の職員さんゴメンネ)

今日は11:00からテレビで松坂の試合を観戦することが最大の楽しみだ。

2007年6月22日金曜日

【第2クール再入院第2日】

朝8:30、今日もいつものように朝の回診でY先生はじめ3名の先生が見えた。「さあ、今日は点滴をしましょう!」という話と同時に、以前にも言われた通り、副作用の出方を抑えるために点滴液の量を前回の75%とすることになった。

11:00 レスタミン5錠服用。タキソールによるアレルギー症状を予防。
11:30 点滴開始。
最初は①ザンタック注(胃酸の分泌を抑え、胃の症状を和らげる)+デカドロン注射液(アレルギーを抑え、吐き気を抑える(吐き気を抑える)約20分 
続けて点滴②カイトリル(吐き気を抑える)約20分
3番目は点滴③タキソール注(一般名:パクリタキセル)がん細胞の細胞分裂を阻害。約3時間
4番目は点滴④パラプラチン注(一般名:カルボプラチン)がん細胞の遺伝子と結合して、細胞増殖を抑える)。約1時間30分 すべてで16:30頃終了。

点滴に先立って、左胸に心電図を付ける(遠隔用)。点滴の安全対策として、前回と同じように看護士さんがバーコードリーダーを持ち、点滴液のバードコードと患者の左手首にしているIDの両方を読み取る。薬液または患者の取り違えをなくすための対策のようだ。

点滴が長時間なので、針を刺す腕は利き腕の反対の腕が一般的。つまり私の場合は右利き。左腕に針を刺そうとするが、いつも左腕には血管が表面になくて四苦八苦をさせてしまう。I先生「ダメもと!」と随分長い時間血管を捜して、くるぶしの裏側を見つけてそこに針を刺したところ、うまく液が通った。補助の看護士さん(男性)に鼻高々に「神業だろう?」と自慢する。この点滴は6時間の長丁場だ。6時間も利き腕に点滴を刺していると、トイレでも、食事でも何かと不便。その点今回は前回よりずいぶん楽だった。この若きI先生、このことだけではないが、大胆だし、思い切りもいい。見かけによらず豪傑タイプだ。

本日一番の主役の③タキソール注(一般名:パクリタキセル)はアルコールが含まれる(ビール500ml相当分・・今回は少し少ない)ので下戸の私は前回お酒を飲んだ状態になった。それを心配していたが、今回は量が前回の75%だったせいか、それとも2回目で体が慣れたせいなのか、顔が赤くもならず、ほろ酔い状態にもならなかった。

また何もせず帰宅かという不安があっただけに、一応無事終了してホッとしている。

2007年6月21日木曜日

第2クール再入院

15日に退院する際、20日以降で入院予約したが、昨日病院から病室の空きができたので、21日11:00に入院してくださいとの連絡があった。
2人部屋(この病院ではこれが大部屋)は予約が一杯なので、入院がいつになるか分からないという噂を聞いていたので、個室での予約にしたら2日目に入院ができた。

病院に着いたら、ひと通り入院の事務手続きをして、部屋に入った。

早速、身長・体重・血圧その他を測定し、同時に採血をした。11:40頃「自分の血液検査は出たかな?」と病室のモニター(テレビ)を開いてみたら、何と30分くらい前の採血なのにもう結果が出ている。気になる白血球の数値は4,650とある。肝臓数値なども前回より改善されていて概ね良好な数値になっている。

午後3時ごろ、I先生が見えて血液検査の白血球の数値も正常になったので、明日第2クールの点滴を行うということになった。前回の入院の際、主治医のY先生が私の場合点滴の副作用(特に白血球減少)が強く出るので、第2クールでの薬剤は通常の75%にするという話があったので、多分そのようになると思う。それでも今回の入院でも、また白血球の数値が低くて何もしないで帰宅するかもしれない・・という不安があっただけに、点滴ができるようになって正直ほっとした。7月3日にCT撮影をするので、すべてはその結果にかかっている。

副作用がどう出るか若干の不安もあるが、すべて1回経験済みなのでマナイタの鯉という心境である。

2007年6月19日火曜日

毎日2杯のコーヒーは肝臓ガンを防ぐ?

コーヒー好きの自分にとってはうれしい情報が載っていた(tamyのつぶやき「情報スクラップ」)。

記事には「スウェーデンのある研究所の調査結果によると、毎日2杯のコーヒーを摂取すると肝がんの発症リスクが約4割減少することが明らかになった」とある。何ごとにも疑い深い自分であるが、都合のよい情報にはすぐ飛びつく。おみくじとか占いと同じで、都合のよい情報は信じて、都合の悪い情報は忘れることにしている。

コーヒーは若い頃から好きで1日何倍も飲んだ。会社にいた頃は自動販売機に何度も通った。そのうちにドリップバッグのコーヒーとミルクを自分で買って厨房に置いて、日に何度か飲んだものだ。
会議といっては飲み、来客だといっては飲み、レポートをまとめる時は息抜きに、外出すれば飲み・・・多い時は1日に7~8杯飲んだこともあった。

ただ、最近はコーヒーに入れるミルク(コーヒーフレッシュという小さな容器)がサラダオイルと添加剤で作られていて、ミルクともクリームとも無縁だ(「食品の裏側」東洋経済新報社・安部司著)ということを知ってからは、完全なブラックで飲むようになった。そのせいで杯数はやや少なくなったが、それでも毎日1~2杯は必ず欠かしたことはない。

口に入れるものはいずれも裏表があって、何かによければ、何かに悪いということが多い。何ごともほどほどに摂取することがいちばん・・・だとは思う。

2007年6月17日日曜日

今日は父の日

今朝は気分が良い。なぜなら宅急便で娘二人から「父の日プレゼント」が届いたからである。シックな色の「サムエ」だった。この夏、自宅療養が多くなりそうなので、最高の贈り物である。今スキンヘッドにしているので、どこかの住職と間違えられそうだ。

父の日は日本では母の日や、バレンタインに比べると影が薄い。それに日本では商業主義に乗せられているような雰囲気もあり、その普及度はもうひとつかもしれない。でも他のアニバーサリーもそうだが、こういう行事は人の心を結びつける接着剤の役割を果たすのでもっと普及した方が良い。プレゼントを送るという行為だけではなくて、その前に何を送ろうかと考え、もらった側も感謝の気持をもつ。このことを中心にずいぶんお互いの結びつきが強まることは間違いない。

以下はWikipediaから。
父の日は父に感謝を表す日。6月第3日曜日。1910年にアメリカ・ワシントン州のJ.B.ドット夫人が、彼女を男手1つで自分をそだててくれた父を覚えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まった。ドット夫人が幼い頃南北戦争が勃発。父、スマートが召集され、ドット夫人を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でスマートの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、スマートも子供達が皆成人した後、亡くなった。1916年アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンの時に父の日が認知されるようになる。1972年(昭和47年)になり、アメリカでは国民の祝日に制定される。日本では1950年代ごろから知られるようになったが、母の日に比べると一般的な行事とは言えない。母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラ。ドット夫人が、父の日に父親の墓前に白いバラを供えたからとされている。

2007年6月15日金曜日

【第2クール 入院第3日】

朝6:00、看護士さんの「おはようございます!」という元気な声に起される。今日は朝一番の採血がある。
8時ちょっと過ぎ、主治医のY先生はじめ3人の先生方の回診があった。朝一番の採血の結果、白血球の値が3,100で前回に比較して上がっていない。もう少し間隔をおいて白血球の値が上がってから第2クールの点滴をした方が良い。従って今日は一旦退院をして、20日以降に再入院する。

今回の入院は何だったんだろう?退院の説明に来た婦長さんに「今日は皆さんに挨拶しないで、こそこそ帰るよ」と言う。婦長さんの話ではこのような例は珍しくないという。

自宅であせらずじっくり白血球の数値の上がるのを待つことにする。でも、白血球の数値を自分で知る手段がないのが困る。次回の入院も空振りにならなければいいが・・・と思いながらタクシーで帰路につく。

2007年6月14日木曜日

【第2クール 入院第2日】

昨日書いたとおり、明日の朝の採血待ち、今日は病院でのんびり過ごす。あまり書くことがないので 、治療以外の「つぶやき」を。

【つぶやき】
毎日報道される社保庁年金未納問題。入院して、昨日読んだ週刊誌のトップ記事もこのテーマ。聞け ば聞くほど、読めば読むほど腹が立つ。私個人は転職しなかったせいか、間違えられなかったと見え て順調に支給を受けている。しかし、積立金を納めていながら、何十年も経ってから「あなた未納よ」などといわれたら途方にくれる。なおかつ「年金をもらいたかったら、証拠書類を持ってこい」などと言われたと聞くと益々腹が立つ。 何十年前か前の領収書なんて取ってある人の方が少ないだろう。ひと頃「社保庁振り込めサギ」などと揶揄されていたと思ったら、本当の「年金振り込めサギ」が横行しているという。彼らは実にフットワークがいい。ある意味社保庁職員より優秀かもしれない?

ちょっと前、天下り先を作る目的で、いろいろな施設に年金資金を湯水のごとくつぎ込んだ挙句に経営に失敗しましたといってタダ同然で民間に払い下げたときも腹が立ったが、今度は年金記録の入力ミス、コンピュータ化するときのミスだというが、どんなシステム設計をしたんだろう。そのときの責任者の顔が見たい。氏名も生年月日も住所も間違えているらしい。入力ミスがあるのは分かるが、それをシステム的にどう防ぐか、どう発見するかだろう。おまけに頼るべき原簿やマイクロフィルムの元資料を破棄したなどと聞けばもう開いた口がふさがらない。 これを指示した人は重罪に値する。

ずさんな仕事で国民に迷惑をかけただけでなく、その修復にこれから何千億円という費用がかかることを考えると、その時の責任者はどう責任をとるのか?同様なことが民間会社で起きたらあっという間に首が飛ぶ。また、アメリカだったらこういう時の責任者は懲役刑になるという。代々の何人かの社保庁長官は天下りの渡りで何億円という民間では考えられない退職金を手にしているという。国民の金を何の仕事の対価として手にしているのか理解に苦しむ。刑務所に入るのがイヤだったら、退職金ぐらい国民に返せといいたい。阿部首相には直接の罪はなくて気の毒だが、この問題は我々庶民に直結する問題だけに、今度の参院選に影響は必至だという意見が多いようだ。このような官僚の不手際を正せない政権、政党なんて選手交代だということか?といっても、代わるべき政党も少々頼りないが。

2007年6月13日水曜日

【第2クール 入院第1日】

第2クール 再入院

先月末退院時に入院予約をしたが、昨日病院から連絡があってベッドの空きができたので13日10:00に入院してくださいと連絡があった。

今日再入院したが、偶然退院した時と同じ病室だった。入院したというより、しばらく外泊して再び病院に戻ったという気分だ。

10:00 レントゲン撮影 入院時測定(血液採取、血圧、身長、体重等)11:00 皮膚科検診(外来で予約していた)
13:00 I先生が見えて、第2クールの方針説明。本日の採血の結果、白血球が3,300とやや低い。これは前の抗がん剤の副作用と思われるので、明後日再度採血して3,500以上に戻っていれば第二クールの抗がん剤を点滴する。戻らなければ一旦退院して戻るのを待つということになる・・という話だった。

通常の白血球は4,000~5,000と下限ぎりぎりなのでこういう時は困る。退院時も4,790だったので、退院後の抗がん剤の副作用で白血球が下がったということになる。血液の中味がどうなっているか自分では全く分からないので判断に困る。

せっかく入院したのだからこのまま次のステップに進みたいと思うが・・・どうなるか。

2007年6月10日日曜日

抗がん剤治療と年齢

最近はブログの更新をさぼりぎみ・・・。時間がない?いやいや時間はたっぷり。でも、どうも書こうという意欲がわかないのである。それだけではなく、何ごとにも意欲がわかない。ぼーっとしているうちに1日が終わる。5月の末に退院したので、退院してから10日がたつ。退院当初は全身のだるさがあったが、それも徐々に抜け、今はどこが悪いということはないのだが、次の治療を待つ身としてはどことなく「気分は病人」なのである。

私の場合は無職だからそれですむが、入院中私の隣の病室の人は49才でサラリーマン現役の人がいた。その人は平日でも大事な用事があるといって、先生にお願いして外泊して仕事に行っていた。

患者のほとんどは高齢者だったが、1~2割ぐらいは40~50代の患者をみかける。私の場合も、もし49才の頃だったらどうだろうと考えてみた。例え抗がん剤治療でも、仕事を休みっぱなしというわけにはいかなかったであろう。仕事を捨てられればともかく、生活がかかっていて妻子がある以上そうはいかない。となると可能な限り、仕事の方へもある程度の重心をかけていなければならない・・・となるであろう。抗がん剤の治療をしながら仕事へもいく・・体験したから分かるが、これは結構きついだろう。仕事にも悪影響があるだろうし、治療にも支障をきたす。

私の場合はサラリーマン最終年(62歳)の春に受けた人間ドックでガン告知を受けた。最終年は仕事はほとんど後継者への引継ぎだけになっていて、幸か不幸か閑職になっていたので、会議もすべて後継者が出ればよくなっていたし、出張などもなかった。従って、誰にも遠慮なく治療に専念できた。そういう意味ではラッキーとも言えるし、人生全体からみると仕事から解放されると同時に闘病生活に入ったのだから、これほどアンラッキーなことはない。

結局は、年齢はいくつであっても、病気はしてはいけないということのようだ。

2007年6月7日木曜日

「tamyのつぶやき、闘病記・抗がん剤治療」のページ新設

5月31日に退院して、今日から2週間目に入る。退院後副作用は指先のしびれだけでその他は日々回復してきた。だるさはしばらく続いていたが、今日当たりはほとんど感じなくなった。頭は思い切ってスキンヘッドにした。坊主頭は中学生以来40年ぶりだが、風当たりが良くて実に気持いい。頭髪は抗がん剤治療が終われば、またはえ揃うそうだが、社会人ではないので場合によってはこのまま坊主頭も悪くないと思っている。ただ、まだ恥ずかしさがあって外出時には帽子が手放せない。
最近MLBを見ていると、マリナーズにもレッドソックスにもスキンヘッドの選手がたくさんいる。これもまた悪くないかもしれない。

5月11日に入院して受けた「抗がん剤治療」をこのブログに経過を記載したが、「tamyのつぶやき、闘病記・抗がん剤治療にその内容を転載した。
内容はブログのままを写したので、同じ内容。ブログは後から探すのが大変なので、後日抗がん剤の治療の様子を知りたい人が見る場合はこの方が便利だと思う。
入院中携帯で撮影した写真を何枚か追加した。今後も第2クール(6/12以降に入院)以降の治療が続くので、同じようにブログへ書いて、後日ホームページへ転載する・・・という形を続けたい。

2007年6月6日水曜日

マルチカロチンと抗がん剤

4/27と4/29で「マルチカロチンと肺がん」について書いた。マルチカロチンがガンの予防と抑制に効果があれば・・という気持で4月からマルチカロチンを購入して服用した。ところが、その後抗がん剤治療となったので、入院した5/11から服用を中断した。その理由はマルチカロチンは強い抗酸化作用をもち、その抗酸化作用によってガン細胞の活動を抑える。ところが、抗がん剤は活性酸素そのものであり、それによってガンをやっつけると聞いているので、マルチカロチンとは相反する作用で、お互いに効果を消し合うのではないかという疑問があったからである。あくまでも素人考えで何か拠りどころになる資料はないかと探していたところ、下記の本を見つけた。その中に私が探していた記述(つまりマルチカロチンと抗がん剤の関係)があったので、参考までにここに紹介したい。

「決定版!抗がんサプリメントの正しい選び方、使い方」福田一典著:南々社

【一部要約】実際にこの問題(マルチカロチンと抗がん剤・放射線治療との関係・・筆者注)を扱った論文には2つの立場があって、議論が続いています。一つは、抗がん剤や放射線はフリーラジカルを発生して、その細胞障害作用でがん細胞を殺すのであるから、フリーラジカルを消去するような抗酸化作用をもったサプリメントは、抗がん剤の作用を弱めるので摂取すべきではない、という考えです。

一方、「天然の抗酸化物質が、生体内で通常のがん治療を妨げる可能性を示唆する証拠はない」という論文も多くあります。「抗酸化剤の投与はそれが化学療法や放射線療法との併用の有無にかかわらず多くの有益な効果を示す」という記載がされています。この論争は賛否両論それぞれがエビデンスを蓄積して主張しているため、結論が出ていません。抗がん剤や放射線治療中に抗酸化剤を使用することは有益性が高いという報告があるのは事実ですが、抗がん剤の種類によっては明らかに有害である場合もあり、ガン専門医の間では「抗がん剤や放射線治療中の抗酸化剤の使用は推奨できない」という見解が主流であることを知っておく必要があります。

その他「ガンに効果があるという根拠」「酸化とは」「酸化ストレスはガンを悪化させる」「活性酸素、フリーラジカルとは」「ガンに対する有効性は」「抗がん剤治療中の抗酸化剤使用の是非に関する論争」・・・等々が解説されています。

この本の著者、福田一典氏は熊本大学医学部卒で、熊本大学医学部から久留米大学医学部、北海道大学医学部を米国Vermont大学、国立ガンセンター研究所を経て現在銀座東京クリニック院長。

世間でガンに良いといわれているが、医学的にはその効果を立証されていないサプリメントが医学的に見てどのように評価されているのかを解説している。

ほとんどのサプリメントは現段階では医学的なエビデンスを得られていないので、結論までは出ていないが、素人がどのように判断したらよいかのヒントを与えてくれる。上記の抗酸化性ビタミン(マルチカロチン)の他にβグルカン(アガリクス等キノコ類)、大豆、大豆イソフラボン、高麗ニンジン、サメ軟骨エキス、漢方薬、ポリフェノール、ミネラル、食物繊維、ニンニク、生姜、セント・ジョンズ・ワート等が取り上げられている。

↓本の詳細

2007年6月2日土曜日

退院時の支払

一昨日の退院時には21日間の入院費用の支払をした。
今回大きく変わったことは今年の4月1日から高額療養費の現物給付化(わがブログ4/6,4/15にも書いた)になったことである。

今回21日間の計算書を見ると、医療費総額815,100円だった。今までならこの30%が自己負担分だから、244,530円を支払う。そしてこの金額は高額療養費に該当するので、2~3ヵ月後に自己負担分85,580円を超える分158,950円が戻される。

それが今年4月からは高額療養費の現物給付化により、「限度額適用認定証」(国民健康保険は市役所でもらう)をあらかじめ医療機関に提出することで、今までの手間をふまないでも医療機関で高額療養費の計算をして最初から85,580円を支払えばよいということになった。(なお「限度額適用認定証」を提出しないと、今まで通りの手続きとなるので要注意)。

医療費が安くなるわけではないが、それでも後から戻るとは言っても24万円を払うよりは8万5千円を払う方がよい。準備する現金は少しでも少ない方が気は楽である。

年金でも、健康保険でも最近は何でもかんでも改悪ばかりでうんざりしていたが、行政サービスでも、たまには改正されることもあるのかと思ったものだ。希少価値だから際立つということなのかもしれない。

なお、今回の入院でかかった医療費の詳細を「tamyのつぶやき ガン治療の医療費」に掲載したので、参考にされる方はご覧ください。

2007年6月1日金曜日

久しぶりの我が家

昨日、3週間の入院を終えて我が家へ戻った。

うまく表現できないが、我が家というものは独特のものだ。しばらく家を空けるということは今までもよくあった。入院でいえば、同じ病院に4年前に27日間、3年前に22日間、サラリーマン時代も単身赴任の経験があったので、長期間よく家をあけた。2~3週間の海外出張も数回あった。

その都度、家に戻るときは周囲の変わりばえしない景色もどこか懐かしく感じるものだ。近所のラーメン屋さえ懐かしい。

それでも今回は今までとどこか違う。それは身体がかなり弱って戻ったと感じることだ。病院にいたときはだるさを感じたが、今日あたりはそれは抜けたようだ。でも、普通に歩いているつもりでも、何かフワフワした感じが抜けない。2階へ上がったり、階下へ降りたりするとき、階段の上り下りに膝がガクガクする。前はタッタッと走るように上り下りしたが、今はそんなことはとんでもない。手すりを使って、そろりそろりと歩かないと危ない。見るからに年寄りか病人になってしまったようだ。

抗がん剤がまだ体内に残っているのか、3週間の病院生活で筋力が衰えたのか、白血球の変化や肝臓の機能が落ちているのか、よく分からないが、今までとはどこか違う。多分、典型的な病み上がりの症状で、日数を経れば回復をするのだろうが、自分でもそれなりに回復する努力をしなければならないのだろう。