2007年7月31日火曜日

【入院第9日】

点滴2日目

ジェムザールを点滴して、今日で2日目になる。副作用は軽いとはいってもそこは抗がん剤、油断はならない。

先生の考えでは、私の場合昨日ジェムザールの点滴を開始するのにあたり、白血球の数値が3,110と低い状態で強行しているので副作用の経過を見る必要があるため、入院をこのまま延長して来週の月曜日2回目の点滴を行って、異常がなければ翌日退院ということで考えているようだ。(その後は通院による点滴となる)自分も副作用の出やすい不安な状態で自宅にいるなら、病院にいる方が安全なのでそれを聞いてひと安心だ。

ジェムザールの副作用として、皮膚疾患があるようだ。そういえば昨夜からオデコのあたりに痒みがあり、赤くなっている。これが副作用か?以前もらったデルモベート軟膏をつけるように指示された。その他の変化はない。

2007年7月30日月曜日

【入院第8日】

今回の入院はカルボプラチン+パクリタキセル第3クールのために入院したが、血液障害の副作用のため中断し、今日からゲムシタビン(ジェムザール)の治療に変更する。

朝の採血で白血球の数値は3,110と低かったが、上昇傾向にあるということでジェムザールの点滴は予定通り行うという。

午後3時頃から点滴を行った。
吐き気止めの点滴(30分)+ジェムザール(30分)
合計でも1時間なので前の点滴(約5時間)よりは随分楽だ。従って、通常は入院ではなく、通院で行うようだ。私の場合も2回目以降は通院になる。

2007年7月29日日曜日

【第3クール第6~7日】

金曜日と土曜日の夜は外泊のお願いをして、自宅に帰った。土日には周囲の人は外泊をする人が結構いるが、私は今回が初めてだ。というのは毎回短期の入院なので、すぐ退院できるということと、仕事を持っているわけではないので、家にいても病院にいてもやることは大差ないからである。
ただ、今回の外泊はは2つの理由がある。ひとつは土曜日の夜のアジア杯の3位決定戦を見たかったこと。もうひとつは日曜日の参議院選挙である。

サッカーの試合は先日の準決勝も消灯後に病院で見させてもらったが、家で遠慮なく見たかったので外泊とした。結果はご承知のとおりで、選手も疲れただろうが、見るほうも疲れた。「なぜ今の選手はゴール前で、パスばかり回すのか?」。他の選手に遠慮し過ぎるのかどうか「点を取る」という大きな目標を忘れている。がむしゃらに俺が俺という気持を前面に出さなければ、次のワーフドカップも予選さえ通らない。

日曜日の選挙については、今回の選挙はいつもと大分風向きが違う。今回は政権選択の選挙ではないといっても、有権者は長い間の自民党政権と馴れ合いの役人天国の悪い面を何とか変えてもらいたいという意思表示のスタートになる意味のある選挙だろう。

阿部首相に罪はないが、自民党支持者にも今回は「お灸をすえる」という人が実に多いようだ。といって次の衆院選あたりで民主党に政権を与えてもその能力に不安を持つ人が多いので、できるだけ早く自民党+民主党をガラガラポンして、アメリカやイギリスのような健全な2大政党制を望む声が多いのではないだろうか。そうしなければ、今のままでは日本はどんどん落ち込んでいくという不安が蔓延しているように思える。

2007年7月27日金曜日

【第3クール 第5日】

予定通り朝いちばんの採血をした。

朝の回診の時、Y先生から「今日の結果で白血球の回復がなかったら、これ以上体を痛めることはできないので他の抗がん剤の検討をします」といわれた。
その1時間後、病室でモニターを見たら血液検査の結果が出ていた。白血球の結果は残念ながら前回より悪く2,840だった。

10:30すぎ、I先生か治療方針の説明のため病室に見えた。

今朝の血液検査の結果、骨髄抑制が強く出るので、カルボプラチン+パクリタキセルの使用を断念する。

今後の治療方針 2種はやめて1種を試みる。薬剤はゲムシタビン(ジェムザール)。2種より毒性が少ない。但し、効果もやや落ちる。点滴は(1日目ー8日目ー15日目ー1週間休み)を1クールとし、それを繰り返す。2クールの後に効果を確認する。

第1回目の点滴は今入院中なので、入院したまま30日(月)に行う。その後(2回目以降)は通常原則として通院で点滴を行うことになる。

週末は特に治療がないので外泊OK。お言葉に甘え、今日の午後に外泊で自宅へ帰ることにする。

2007年7月26日木曜日

【第3クール 第4日】

今日も白血球の回復待ちの1日。回診の時、I先生から「退屈ですみませんね」と言われて、思わず笑ってしまった。私の体内の白血球のことで先生が謝るのもおかしい。私の年代では医師は患者より上から物を見るものという先入観があるが、最近は医師もサービス業的な意識を持つようになったかと感じることがある。

昨夜はサッカーのアジア杯準決勝のサウジ戦。キックオフは夜の10:20、何が何でも中継を見たかったので、看護師さんに交渉した。病院の消灯は10:00なので担当の夜勤の看護師さんに恐る恐る申し出たら、意外と簡単にOKが出た。消灯と就寝は違うようだ。人に迷惑がかからなければ、消灯はするが、就寝しろという意味ではない・・・とうれしいことを言われた。幸い、個室なので他の患者さんに迷惑がかからなければ・・・ということなので消灯した上で、テレビにイヤホンをつけて堂々と最後まで見させてもらった。途中その看護師さんが懐中電灯を持って2度ほど見回りに来たが、「どちらが勝ってます
?」と聞かれたりした。

結果はご存知の通り。昨日の日本は誰もが体が重く良いところがなかった。最初は圧倒的にボールを支配していたが、攻め手に欠き、ムダな動きが多かった。途中から相手に先行を許し、追いかけるのに精一杯で日本のよい所は見られなくなった。オーストラリア戦で消耗しきって疲労がたまっていたのかもしれない。連日35度という悪条件の中で、最高潮の条件を維持し続けるのは難しい。誰もがオーストラリアに勝てば、後は楽勝できると思っていた節がある。予選リーグを勝ち抜けたチームはどこも横一線、その時のコンディションで勝ちもすれば、負けもする。前回のアジア杯での優勝だって、奇跡と思えるほどの幸運が重なった結果だった。幸運はそうそう続かない・・・と考えるのが自然のようだ。

2007年7月25日水曜日

【第3クール 第3日】

朝いちばんで採血した。

結果は白血球の数値が2,920で前回より低い。好中球は横ばいだという。

従って、明後日の採血の結果まで点滴はお預けとなった。明後日は第1クールのときの点滴から37日目に相当する日「その後の方針は明後日の採血結果を見て決めましょう」と再びいわれた。

半分は予想していたことだが、不安な気持はつのる。まあ、それでも白血球はこのまま戻らないというわけではなく、時間さえたてば戻るので深刻になることはない・・・とあきらめよう。

2007年7月24日火曜日

【第3クール 第2日】

今日は入院2日目、明日の採血までは何もやることがない。

今回の病室は前回と同じ5階東病棟だが、部屋は東向きの部屋だった。この病院の病棟の作りは十文字型の建物が二つ並んで、西病棟と東病棟と名付けられている。その中央にデイルームやエレベー ター等の共通部分がある。病室は十文字のどの部分かによって、東西南北すべての向きがある。高台にあるので北か、西向きだと富士山、南か東向きだと駿河湾が見える。今回の東向きの部屋は今までで初めてだった。ここでは東向きだと沼津と裾野の町並みが見え、沼津の向こうに駿河湾が見える。

横浜や函館の夜景には適わないが、それでも天気のよい日の夜はぼんやり眺めていると気持が落ち着く。

もうひとつ、今回東向きでよかった点はPC用のワンセグテレビがよく入ること。これはパソコンのUSBに5センチ位の小さな器具を差込み窓ガラスに吸盤式のアンテナを付けるだけで、パソコンでデジタルテレビが見られるというもの。ワンセグなので携帯か、それより一回り大きな程度の大きさしか鑑賞に堪えないが一応放送内容は理解できる。今回の第一クール入院前にネットで面白半分で購入してみた(1万円弱)。今までは方向が悪かったようで放送が時々途切れたりしたが、今回は常にきれいに見ることができる。従って、普段はワンセグで、じっくり見たい番組は病室のテレビ(カード式・有料)で見るようにしている。

2007年7月23日月曜日

【第3クール入院】

今日は10時までに入院ということなので、家を9時に出た。病院まで約30分、今日は休み明け、予想していたことだが入院受付は大変な混雑だった。

幸い前回と同じ5階東病棟だった。呼吸器の病棟は5階(東と西がある)だが、最近呼吸器の患者が多く、5階だけでは収容しきれず、8階や9階にも入院受入れをするらしい。どこでも同じだとは思うが、看護師は病棟ごとに固定しているので呼吸器の患者を扱い慣れた看護師のいる病棟の方が何となく心強い。

入院してから、いつものように身長、体重、血圧、採血、レントゲン撮影を行った。12:30頃、病室のモニターで採血結果をみたら入力済みだった。白血球の数値は心配したとおり3,230と低かった。その30分後くらいにI先生が病室に見えた。治療方針は「普通は明日点滴をするところだが、今日の採血結果では白血球の数値が低い。好中球も1,300位(正常値1,500以上)と低く、前回と同じ経過を辿っている。前回は点滴日から37日後に白血球が正常値が戻っているので、今回は取り敢えず金曜日まで入院して水曜日と金曜日に採血して、その結果を見て点滴日を決めたい。それでもよいか?」といわれたので、了解した。

またまた、今回も白血球との持久戦となりそうだ。

2007年7月22日日曜日

いよいよ後半の治療、明日入院

一昨日病院から「ベッドの空きができたので、7月23日(月)10:00に入院してください」との連絡があった。いよいよ第3クールの治療が始まる。

13日以降ということだったので、10日遅れの入院となった。入院予約をした段階で30人待ちということだったので、予想したとおりの時間がかかった。

治療に関する心配は自宅療養中に白血球の数値が正常値にもどっているかどうか・・だ。戻っていなければ、前回のようにまた退院して戻るのを待つということになるが、それもイヤだ。

第1クールの点滴は5月15日だった。第2クールは6月13日に入院してすぐ白血球を図ったが、3,300と低くて駄目、2日後の6月15日も3,100と低くて一旦退院した。5月15日から実に6月15日まで1ヶ月たったのに白血球は上がらなかった。それからさらに6日後に再入院して6月21には正常範囲に戻って、翌日2回目の点滴をした。

そんな事情があったので、今回の入院は指定日の13日よりできるだけ遅れて欲しいと願っていた。幸い明日の入院は第2クールの点滴日6月22日からは1ヶ月以上経っているし、点滴量も1回目の75%だったので、白血球の数値は多分大丈夫だと思うが、それでも一抹の不安がある。トラウマは結構大きい。

2007年7月19日木曜日

余命1ヶ月の花嫁

昨日、TBSで放送された「余命1ヶ月の花嫁」を途中から見た。実は放送されることを知らなくて、他チャンネルを見ていたが、CMのときチャンネルを回していて偶然この番組に出会った。途中であったがそのまま番組に引き込まれ最後まで見た。
後でホームページ(こちら)を見てみたら、5月10日と11日の2日間、夕方のニュース番組『イブニング5』の特集コーナーで「24歳の末期がん」を放送したら、放送終了後スタッフの予想以上の反響があったという。その中の多くは、「感動した」「もう一度みたい」「もっと多くの人が見られる時間に再放送してほい」というもので、それらの反響に後押しされるように、今回の特番が実現したということを知った。

番組は乳がん転移のため余命1ヶ月と宣言された24歳の長島千恵さんの最後の1ヶ月を密着取材したもの。父親、 恋人、多くの友人に支えられた千恵さんの闘病生活を通して命の尊さを1人でも多くの人に感じてほしいと制作された。クライマックスは暖かい友人たちが急遽企画した教会での結婚式。病院から酸素と車椅子で教会に向かって、憧れのウェディングドレスを着て式を挙げるとき、死の半月前なのにその輝く美しさに涙を誘われる。余命を知っていて困難な結婚式を実現させた恋人や友人達の奮闘振りと暖かい気持には、今の若い人たちも捨てたものではないと思わせる。まるでドラマのように・・という言い方があるが、これは実話であり実写だけにドラマ以上に見る人の胸を打つ。多分これを見て涙を流さない人はいないだろう。

それにしても、奥さんをガンで亡くし、10年後に1人娘に先立たれて一人ぼっちになってしまった68歳のお父さん・・・この悲しさは想像を絶する。失意から早く立ち直るように願わずにはいられない。ガンの専門病院にいると、時々若い患者を見かける。ガンで死ぬ人は年間6万人、殆どが高齢者である。人の死は一様に悲しいが、歳の順番であれば周囲は悲しみの中にも納得がある。しかし、このドキュメンタリーのように子供が親より先に死ぬ場合はその悲しみは何倍にもなる。

ガンの専門病院にいると、時々若い患者を見かける。ガンが怖い病気でなくなれば理想だが、それまでは予防や早期発見など本人の自覚しかないようだ。

普通なら病気で苦しむ姿は人には見られたくない。「がんと闘う自分の思いを同世代の人たちに伝えたい」と取材に応じた千恵さん、その思いは本人の想像以上に全国に伝わったことだろう。

2007年7月17日火曜日

災害連休

昨日までの3連休は大変な連休だった。過去最大級の大型台風4号に続いて新潟県中越沖地震と国中を恐怖に陥れた。「天災は忘れた頃に来る」という言葉を言い出したのは寺田寅彦であるといわれているが、最近は忘れる暇も与えてくれない。

台風4号は土曜日に駿河湾沖を通過し、幸いにして私の住む場所では雨も風もなかった。しかし、その前日の金曜日の夜、まだ台風が九州にいた時間帯に大変な集中豪雨があった。「バケツをひっくり返したような」とよくいうが、本当にそんな表現がぴったりの雨が長時間続いた。沼津市郊外の小さな川が氾濫し、床下浸水になってそこの住民が避難した地域もあり、テレビの全国版ニュースで流された。埼玉に住む兄がニュースを見て心配の電話をくれたが、我が家はその地域とは離れている。それでも、すぐ近くの道路が冠水し、このまま続けば床下浸水かと夜中肝を冷やしたが、運よくその直前で止まってくれた。

16日(海の日)は朝からテレビは新潟県中越沖地震のニュース一色に切り替わった。私の住む東海地方も地震には敏感な地域だ。地震のニュースを見るたびに人ごととは思えない。何しろこの地域は大地震の見本のような東海地震がいつ起きてもおかしくない。それもひとつが引き金になって太平洋沿いに南海地震、東南海地震と続けてか同時にか起きる可能性もあるといわれている。

現に歴史上でも宝永の大地震はいわゆる東海地震、南海地震という一連の大地震が同時または短時間のうちに一度に発生した地震であり、安政の大地震は安政東海地震の32時間後に安政南海地震が発生した地震だったようだ。宝永および安政の地震ともに歴史上最も規模の大きな地震であると考えられており、いろいろな資料が残されている。東海地震、東南海地震、南海地震の震源域が同時に破壊される場合は『揺れによる被害、津波による被害ともわが国最大級となり、建物全壊が90万棟、死者約2万五千人に及ぶ』(中央防災会議 東南海、南海地震の被害想定について 平成15年9月)などとありがたくない予想がされている。

せめて自分が生きているうちには起きてもらいたくないとは思うのだが、残された家族が出会うのも・・・。

2007年7月14日土曜日

アジア杯の予選突破が見えた

第3クールの入院は13日以降ということで予約をしてある。入院待ちが30人ほどいるという話だったので、簡単にはベッドは空きそうにない。できれば17日以降になってほしいと思っている。というのはアジア杯の中継が13日(金)と16日(月)だからだ。病院では消灯が早いので時間によっては見られない試合ができてしまう。その先もあるが、それは見られる試合だけ病院で見るしかない。

昨晩はアジア杯のUAE戦をテレビで観戦した。前の試合でカタールに引き分けたので、オシム監督が荒れ狂ったせいか、選手の気合の入り方が違っていた。前半に3点も取るとは予想外だった。その代わり後半は疲労が目に付きヒヤヒヤした。後半1点取られたときはイヤな感じになった。3点は安全圏だが、2点差は危険範囲とよく言われる。2点差のリードは不思議に僅かな時間で追いつかれるケースはよくある。

スポーツの監督はピッチ外での言動も含めて選手をまとめる力を要求される。特に外国人の監督は言葉が通じないだけ、自分の考えを理解させるのは難しいだろうと思う。高原にしても、俊輔にしてもそれぞれ海外で通用するほど選手としては一流だが、日本チームをまとめる力はまだ弱い。1回戦後のオシム監督の言動は選手たちを発奮させたという意味では監督のファインプレーのようだ。記者団を前にただ荒れ狂っているように見えても、実は感情だけをぶつけているわけではなく、選手たちに伝わることを計算に入れて話す。実に味のある知将という印象をもった。

予選最終戦はベトナムに引き分け以上は堅いだろうから、これで予選リーグ突破はほぼ見えてきた。

2007年7月13日金曜日

初孫の誕生日


横浜に嫁いだ次女の所に生まれた子は我が家にとっても、義理の息子の実家にとっても初孫(女子)になる。

昨年の今頃は娘が出産のため我が家に帰っていて、地元の病院の産婦人科には私の運転で毎日通った。年月が過ぎるのは早いもの、昨日は1歳の誕生日を祝ったそうだ。インターネットで早速写真を送ってきてくれた。横浜と沼津では比較的近いので何かあると里帰りする。
「主婦が家を空けるのは迷惑なので、あまり里帰りはするな」といいながらも「今度はいつ里帰りするのか」と心待ちにする。気持は矛盾するが、孫に会うのは正直なところうれしいものだ。闘病中の私が孫に会うのを楽しみにしているので、私の励みになるようにと先日の入院のときも連れてきてくれた。あいにく孫に風邪を引かせてしまったようで、病院に来ても1階のキッズルームで遊ばせるだけだったが、会うたびに大きくなって表情が変わる。

沼津では1歳の誕生日に歩くようだと、1升の餅を風呂敷に包んで背負って歩かせるという風習がある。我が家の二人の娘も1歳のときそのようにして、今もそのときの写真が残っている。孫も昨日そのようにしたようだが、まだ7歩ぐらいしか歩けないので1升餅を背負うのは無理のようだ。

2007年7月12日木曜日

ごっくん、カプセル型内視鏡

「ごっくん、カプセル型内視鏡」の記事は興味深い。(記事はこちら
今まで開発や発売の記事は度々目にしたが、これは実際に使用されたという記事だ。患者第1号は岐阜の病院で20代の女性だという。

私も以前人間ドックで十二指腸にポリープがあると指摘された。良性なので、手術の必要はないが毎年ドックの際に胃カメラ(内視鏡)で確認するようにといわれ、10年以上も毎年内視鏡を呑んだ。

これは何回呑んでも慣れるということはなく、いつも苦しかった。看護師さんは胃カメラとはいっても、太さはウドンと変わらない・・というが、胃カメラをウドンとは考えにくい。それに技師の技量によってもずいぶん楽だったり、苦しかったりした。
今では鼻から通す内視鏡が登場したり、麻酔で寝ている間に検査する等々ずいぶん改善はされているようだが、もっと良い方法はないものかな・・と思っていたので、このニュースを読んだときには「これなら良さそうだ」と思ったものだ。

4月に厚生労働省が輸入販売を認可、5月から販売が開始されたばかり。価格はカプセル10個入りが100万円、携帯型記憶装置一式が140万円、実際にデータを取り込んで医師が画像を見る専用のコンピューター一式が503万円。医療器具にしてはそれほど高い設備ではないので、大病院でなくとも導入されそうだ。

検査はまだ健康保険適用されていないが、導入した岐阜の病院では希望者に13万8000円で検査を実施しているという。早ければ2007年中に保険適用される可能性もあるという。 健康保険が適用されれば4万円ちょっと、量産効果で価格がさらに下がるだろうから、もしかしたら普及するかもしれない。

記事には使用後のカプセルは医療廃棄物になるとあるが、1個10万円のカプセルは患者のもの?病院のもの?トイレで流すわけにはいかないから、拾って病院へ持っていくのだろう。
病院によっては高価なものだから再利用しようと考える病院が現れそうだ。でも再利用はイヤだな・・・などとヒマ人はいろいろくだらないことに想像をめぐらせてしまう。

2007年7月10日火曜日

スポーツ観戦三昧

退院後は次の入院まで安静に体力回復の期間。昨日は朝から1日中テレビの前から離れられなかった。朝はアメリカから松坂が登板の中継、夜はベトナムからサッカーのアジアカップ日本チームのカタール相手の初戦中継。

松坂の登板日、中継ではなく録画放送だったが、幸いニュースで結果が流れなかったので、中継と同じ状態で楽しむことができた。
とはいっても、結果はご存知のとおり、松坂が絶不調、散々な結果で、見ていられず、もやもやな気分が残った。相手チームはオールスター休暇で主力打者3人を欠くチームだったので楽勝かと思っていたのだが、松坂の球は初回から勢いがなく、コントロールも悪かった。いきなりホームランを浴び、普通なら徐々に調子が上がるのに、昨日は毎回調子が上がることはなかった。表情も明らかにいつもとは違っており、精彩がなかった。春からの疲れがピークに達しているのは明らかだ。オールスターに選ばれなかったのは松坂にとっては幸いかもしれない。休暇で疲れを取って、後半に立ち直ってもらいたいものだ。

夜は7時からサッカー観戦。アジアカップの緒戦のカタール戦。これも結果はご存知のとおり、1点のリードを最後の最後に追いつかれ引き分けに終わった。カタールはFIFA順位は日本よりはるかに下だが、今まで勝ったことがないそうだ。この結果は意外ではないようだ。
今後は順当なら残るUAEとベトナムに勝って、勝ち点7でトップ通過と思いたいが、アジアカップは毎回本当に何が起こるか分からない。相手は国の威信をかけて死に物狂いで当たってくるのでFIFAの順位はあまり関係ない。それに気温35度のところで90分も走り回らなければならない。日本とトップ争いをすると思われているUAEでさえ第1戦で格下のベトナムに2-0で負けている。日本だって下手をすればグループ通過ができないこともあり得る。そこが親善試合とは違ってスリリングで面白いところ。

次の13日のUAE戦の中継は夜22:30から。悪いことに私の入院予約が13日以降で申し込んでいる。ベッドの空きができると、入院するということになるが病院の消灯は22:00でテレビを見ることができない。「入院の通知がきたら、延期してもらおう」と冗談で言ったら、家内に叱られてしまった。

それにしても朝はアメリカから、夜はベトナムから、スポーツ中継をしかもきれいな映像で楽しむことができる。よい時代になったものだ。

2007年7月7日土曜日

【第2クール再入院第17日】

【点滴16日目】 晴れて退院!

今日は朝から雨、退院には向かない天気だが、無事退院した。退院時に13日以降の入院予約をして来た。家に帰ったとはいっても、家にいられるのは1週間ほどだ。家でゆったりとした気持になれるのは第4クールが終ってからになるのかもしれない。

第2クールの入院は予想より長くかかってしまった。6月21日に入院して、今日で17日間だった。その前に血液数値が上がらずに一旦退院した3日間があるので合計して20日間。第1クールは21日間だったので、ほぼ同じような日数になった。通常の場合の入院日数は第1クールが2週間、第2クール以降は5日間ぐらいが普通だと聞かされていた。

入院期間が長引いたのはブログにも書いたように第1クールが血液中の白血球の減少と肝臓数値の上昇だった。第2クールの場合は第1クールの反省から抗がん剤の液量を75%に減らした結果、肝臓数値の上昇は見られなかった。

白血球の減少は第1クール同様だったが、その数値は若干改善された。第1クールよりは第2クールの方が副作用は若干軽めだったといえる。

この治療の開始前にこの治療の効果は「①約3割の人が腫瘍が半分以下に。②続いて3割の人が現状維持。③4割は効果なし」という説明があった。現状の中間折り返し点では何とか②に入っているようだ。どうしても意識は③の方へ行きやすいが、③でなくて胸をなでおろしているというのが今の気持。

第3、第4クールも当然今までと同様な苦戦が予想される。ただ中間で実施したPET-CTで抗がん剤の効果が見られたという結果は正直うれしい。これからの約2ヶ月にも亘る副作用と戦う闘志にスイッチが入ったというのが実感である。

第4クールが終った時点で上記①に入ることを念じてがんばろうと思っている。

2007年7月6日金曜日

【第2クール再入院第16日】

【点滴15日目】

昨日ブログの記事をアップしてから、午後に「悪い情報」「良い情報」がもたらされた。
「悪い情報」午後担当のI先生が病室に見えた。昨日の血液検査の好中球の計算値を間違えていたという。好中球は血液検査の表にはいつも載っていない。分析結果から計算して出すらしい。そのときの計算を間違えたという。そして計算し直した値はあまりよくない。従って白血球増強の注射を明日の朝に打って、午後いちばんで採血して結果をみるというように変更したい。「しっかりしてよ」といいたいが、先生にそんなことはいえない。ニコニコして 「そうですか。明日はよくなるでしょう」という。

「良い情報」夕方の回診で、主治医のY先生からうれしい話があった。昨日3:30~5:00に行ったPET-CTの結果が速報で分かった。前回行ったPET-CT結果との映像を比較したところガンの進行が止まっているようだ。従って今の抗がん剤に治療効果があると判断して、3・4クールの治療を引き続き行う・・・という話だった。私には血液に対する副作用が強く出過ぎるので、3・4クールを行わないと言われるのではないかという不安を持っていた。中間チェックなので効果は厳密には分からないが、取敢えず次のステップへ進めることに安堵した。

朝の採血の結果が14:00頃分かった。白血球は9,290に上がった。注射の効果はすごい。前回の時と同じ経過を辿っている。好中球もそれなりに上がってるということで退院の許可が下りた。
ちなみに好中球とは白血球の一種である顆粒球の1つ。白血球の中で最も数が多い。白血球の40~60%を占め、細菌などの体内の有害物を除去する働きがある。これが少ないとウイルス感染しやすい。いつも渡される血液分析表には載っていない。口頭での説明なので、いつもピンとこなくて聞き流してしまう。

今日あたふたと片付けて退院することも可能だが、入院生活で体力は想像以上に衰えていることと、荷物が多いことを考えると手伝いがいてくれると心強い。退院予定が2転3転するので、迎えの人の予定がたたない。今日はあいにく家内も仕事が休めない。電話でやりとりして家内の都合のよい明日の午後退院としてもらった。次の予定は10日に予定されている外来診察はやめて、入院(第3クール)を13日以降に予約することになった。

2007年7月5日木曜日

【第2クール再入院第15日】

【点滴14日目】 ようやく退院許可 → 明日退院

今日は朝6:30にいつもと同じ採血を行った。
結果は白血球2,660(一昨日1,500)だった。まだ許容範囲までは達しないが、再び上昇し出した点は良い傾向と解釈できる。好中球も前回に比べて同じ傾向で上昇し出したという。厳戒体制から普通の要注意体制に1レベル変わったといったところであろうか。

従って今日以降の退院許可が出た。但し、今日午後PET-CTの予約が入っていてそれを終るのが5時以降なので、明日の朝10時頃までに退院することにした。でも、自宅に帰って何でも自由ということはない。感染要注意の状態はしばらく続くので、あまり外出はできないし、発熱した時の心配もある。

来週火曜日の通院で、採血して1昨日のCTと今日のPET-CTの結果を聞くことになるが、それまでは病院にいるのと同様の不自由な生活をすることになる。

2007年7月4日水曜日

【第2クール再入院第14日】

【点滴13日目】

今日は朝から典型的な梅雨の天気。窓の外は終日雨が降っている。それでもツバメは元気に飛び回っている。
今日は白血球増強の注射を一本打つだけだった。白血球が下がっているのにダルさもなく、体調はよい。表に出ている副作用は手先の痺れ以外は何もなくなった。

朝食を終わり、今日は8:00から病室のテレビの前に陣取る。
今日は松坂の登板日、松坂にはいつもヒヤヒヤさせられるが、今日は途中で味方打線が点を取ったこともあり、初めて安心して見ていられた。
今日は10勝目の区切りの試合だったが、松坂のあの落ち着き振りには驚かされる。彼のすごいところはボールにしろ、マウンドにしろ、ピッチング間隔にしろ、移動にしろ日本での試合と異なる点は山ほどあるのに、一つ一つ試合をしながら調整して、今日のような安心して見ていられるような状態に持ってこられるところだろう。

シーズン15勝は確実だろうが、日本でもできなかった20勝をしてもらいたい。今日の試合振りを見ると余程のことがなければ可能なような気がする。試合数も多いし、バックにも恵まれている。中継ぎ、抑えのピッチャーも最高潮。それにニューヨークよりボストンの方が観客が明らかに暖かい。

2007年7月3日火曜日

【第2クール再入院第13日】

【点滴12日目】

今日こそ退院だろう・・と自分では体調の良さからそう思っていたが、またまた退院にストップがかかってしまった。というのも、今朝の採血の結果が白血球1,500(一昨日2,230)と再び下がってしまったからだ。おまけに好中球も下がったという説明であった。前回の採血ではその前より上昇したので、てっきり上昇カーブに入ったと思ったのは甘い観測だったようだ。私にとって、この抗がん剤は血液へのダメージがかなり強く出ることを思い知った。

この状態では退院しても感染危険があるので、再び入院生活を延ばして今日と明日白血球増強の注射を打つ。明後日採血の結果を待つことになる。第1クールの経過と全く同じ道を辿っている。

明後日(5日)は外来でPET-CTの撮影の予約が入っている。今日のCT撮影と同様またまた入院の状態で受けることになった。といっても、自分としては退院を強く望んでいない。この状態では家に帰ったからといって行動が自由になるわけではない。むしろ高熱を出したりした時の対応に右往左往することを考えれば、病院にいる方が平穏にしていられる。家内もそれを望んでいる。退院するならある程度元気な状態が良い。

15:00 CT撮影(造影剤あり) この結果は5日に予定されているPET-CTの結果と併せて10日(火)の外来検診で説明される。これが今回の抗がん剤の効果判定になり、以後の治療方針を決めることになる。

2007年7月2日月曜日

【第2クール再入院第12日】

【点滴11日目】

本来なら今日採血→退院という運びだったが、たまたま明日にCT撮影の予約をしており、日がつながってしまったので明日朝採血、午後CT撮影をして退院ということになった。もちろん朝行う採血の結果が良ければ・・・という条件付きだが。
今日退院できてもまた明日通院でCT撮影に来院するのは大変なので、私にとっては良い形になった。

今日は朝から比較的体調が良い。先週あたりは毎日何となくだるかったが、今日はそれが抜けたような感じがする。これは抗がん剤がなじんできたのか、抜けてきたせいだろう。
都合よく解釈すると、血液中の白血球が上がったのか?とも思えるが、前回の経験からして、どうもそれとは関係ないように思われる。

午後は体調がいいので、階段を何階分か上ってみようと思いついた。前回の入院の際見つけた裏道の従業員通路にある階段のドアを開けようとしたら、白衣を着た従業員と鉢合わせをしてしまった。「あの、エレベーターはあちらですが・・」と声をかけられた。患者が来る場所ではないので、迷って来たと思ったのだろう。

ここではリハビリをする患者は別に広々としたリハビリ室がある。普通の患者にはエレベーターだけしか使えないようになっていて、患者が使える階段はない。
階段は生活の場に存在する最高のトレーニング設備だ。ちょっと体調の良い患者が使える階段があっても良いと思うのだが。

2007年7月1日日曜日

【第2クール再入院第11日】

【点滴10日目】

今日は日曜日なので医師の回診はない。
いつもは退屈しのぎに病院内であちこち歩き回るのだが、白血球が下がった状態ではそれもガマンして室内にじっとしているしかない。
血液の数値以外では自覚する副作用は手先の痺れ以外はない。膝の痛みも短期間で治まったようだ。

先週末から下の娘が孫を連れて私の入院に合わせて手伝いに来てくれている。ただ、あいにくこちらに来てから孫が風邪を引いたようで、病院までは家内を送ってくるが、病室には入れない。
私が感染要注意期間だからである。孫に会うことを心待ちにしていただけに抱き上げたいが、それができなくて残念である。
孫は7月12日が最初のお誕生日。見るたびに目に見えて成長し、違う表情を見せる。ハイハイの状態から立ち上がって今にも歩き出しそうな状態。

昨夜は長女も都合をつけて東京からお見舞いに来てくれた。
1階のキッズルームで遊ばせている所まで、私がマスクで完全防備して降りていったところで、家族全員が揃ったのだが、遠くから眺めて話をするだけである。