2008年7月30日水曜日

定期検診 休薬1週間延長

タルセバを休薬して本日で2週間経過した。

副作用の状況は最もてこずった皮膚疾患は各部とも湿疹の跡は若干残るものの、ほぼ治まった。
ただ爪皮疹のみがまだ完治まで至らない。それでも、痛みは軽くなり、ピーク時の3分の1ぐらいだろうか。物に触れると若干痛いが、シャツのボタンやパソコンの入力などはできるようになっている。あとしばらくで消えそうな予感はある。

本来は今日の状態で再度今日からタルセバ再スタートになるはずだった。ところが、今日行った血液検査で肝臓の数値が高く出た。
 GOT 107(10~40)、GTP 331(5~40)  ()内は許容値。

原因ははっきりしない。可能性としてはタルセバの残留成分による、皮膚関連の薬剤による・・・等々が考えられるが、イレッサでも肝臓の数値が高く出た実績があるのでタルセバの副作用である可能性が高い。

肝臓数値の上昇もタルセバの副作用の一つなので、あと1週間休薬を延長して、肝臓数値が落ち着くのを待つことにしようということになった。肝臓の薬剤を除いてはすべての薬剤(皮膚関係)を飲まないで、1週間後に再度血液検査をして次の方針を決める
休薬1週間延長(~8/4・合計3週間)して次週次の方針を決める。

予期せぬ結果になったが、癌の治療という面では若干の心配はあるが、副作用の状態が予想以上だったために本音では再開延期でほっとした面もある。

あと1週間、爪の状態も完治させて次の挑戦の覚悟を固めるにはちょどよい期間になると思っている。

2008年7月23日水曜日

定期検診 CTの結果

タルセバを休薬して1週間が経過した。

薬をやめたからといって、副作用はすぐには消えない。タルセバの成分が血液中に残っている間は効能と同時に副作用もなかなか消えないようだ。
今日時点での副作用の皮膚疾患の状況はどうかというと、いちばん悪かったときを10とすると、頭と顔・2、両腕・3、足・6、背中8といったところ。爪も若干は良くなっているが、物に触れると痛いということは変わらないため、不自由をしている点では変わらない。

早く出始めた順に治りつつあるようだ。全部消えるのはまだしばらくかかりそうだ。

〔16日撮影のCT結果について〕全体の奏功があったとはいえないが、部分的に濃さが薄くなっているところが見受けられる。病勢コントロールの状態といえるので、タルセバを続ける価値はある。但し、副作用が強く出ているので、もう1週間休薬をして一旦副作用を消して、来週から再スタートする。

タルセバには同じ薬でも150mg、100mg、25mgと3種の容量がある(今回は150mg)。再スタートに当たってはどのように服用するかは次回までに検討する。

副作用は本当に厄介なものだ。今まで何種かの抗がん剤を試しているが、それぞれ副作用には悩まされている。それでも今回はいちばん応えたという感がする。今日は休薬1週間で顔の皮疹が大分消えたのでマスクを着用しなかったが、他の部分は今でもとても人には見せられない。

人に分かりにくいのが爪皮疹、パソコン操作ではマウスは使えるが、キーボードの打ち込みは爪が痛くてなかなか打てない。記事更新もなかなかできないでいる。この記事も普段の3倍ぐらいの時間がかかっている。

「敵は本能寺」再スタートは量を減らして癌との戦いとなるが、できるだけ歩きやすい道を選びながら敵を攻める・・ということか。途中で転んでしまっては敵は討てない。

2008年7月16日水曜日

CT撮影・定期検診

タルセバ服用は今日で35錠目になる。
今日は9:30からCT撮影、その後皮膚科検診、続いて退院後2度目の定期検診だった。

この病院ではCTを撮影後専門家がチェックして、コメントをつけて医師に回すシステムなので、今日の定期検診ではCTの正式な結果は間に合わなかった。ただ、先生が画像を見ることができるので、その結果を教えてくれた。私の場合は右肺内にガン組織が複数あるが、そのすべてが半分になるといった劇的な効果はなかったようだ。それでも部分部分に前回のCT画像より薄いものがあるので、一定の効果はあったというのが先生の見方のようだ。

多少なりとも効果がある場合、本来ならこのまま服用を継続したいところだが、私の場合かなり副作用が強く出ている。主体は皮膚疾患だが、患者自身がガマンできるなら継続もあるのかもしれないが、私が少々弱気になっているのを見てかどうか、とにかく1週間休薬しようということになった。

1週間後、正式なCTの結果と副作用の状況をみてその後の治療方針を決めようということである。

カミさんなどは癌を小さくしたいので、このまま続けたい意向のようだ。せっかく多少なりとも効果があるのなら後戻りはさせたくはないというのは当然の考え方だ。副作用といっても皮膚疾患程度だから・・・というように感じるようだ。

しかし、たかが皮膚疾患といっても頭から足先まで全身を皮膚疾患に襲われると、そのストレスは結構なものだ。なかなか本人でないと分からない。

頭、顔、両腕、腹、背中、足。場所により程度は様々だが、全身に皮疹が出ている。
普通の皮疹は慣れて来たが、今いちばん厄介に感じているのが、爪の皮疹と尻の皮疹。爪は両手と足の爪に出ている。爪の皮疹は触ると痛いので何もできなくなる。ボタンが掛けられない、パソコンが打てない・・いろいろな行動が制約される。

尻の皮疹は座るときと立つときに痛む。これも厄介だ。横になっていれば良いのだが、そうはいかない。横になっていればどんどん病人になることが分かっているので、できるだけ家の内部を動き回るようにしている。

休薬することで副作用をいったん抑えて、次には薬の量を変えながら良いバランスのところを探しながら治療を続けられたら良いと思う。

症状の詳細は「tamyのつぶやき」→「闘病記(タルセバ服用)」参照。

2008年7月10日木曜日

爪皮疹

「爪皮疹」という言葉があるのかどうか確かではない(前にこう聞いたような気がするので使っているが)。タルセバの副作用で「爪の左右の肉に炎症が起きる症状」のことだが、今この副作用に悩まされている。

副作用でなくとも、深爪でもそうなるので、がん患者でなくても何となく分かってもらえると思うが、右手は人差し指と薬指、左手は人差し指と中指がそうなっている。足も右足の親指にその傾向が出てきている。

支給された薬をつけて包帯を巻いている。

何もしなければ痛みはないのだが、何かにぶつけたり、触ったときなどに痛みを感じる。時々無意識に何かに思い切り指をぶつけて、痛みで飛び上がることがある。

それ自体はたいした副作用ではないのだが、通常の行動がかなり制限されて不自由なことこの上ない。パソコンも両手では文字が打てないので、昔のように痛くない指1本で入力していて、通常の何倍もの時間がかかる。しばらくは記事の更新も思うようにはいかないかもしれない。

タルセバは今日で29錠目になる。最初に皮膚疾患が身体から出て、次に顔や頭に出た。その後下痢をして、今は爪の障害・・・幸い肺炎や肝臓等々重篤な副作用は出ていないが、軽い副作用は殆ど順を追ってオンパレードだ。

効いているのかどうかは1週間後のCTで分かる。その後は副作用と相談をしながら、量や期間など調整できる。それでも効かなければ今の忍耐生活がすべて水の泡となる。とにかく効いてくれることを望むばかりである。

2008年7月6日日曜日

落書き事件

タルセバの副作用は日々それほどの変化はない。顔の皮疹は若干良い方向へ、身体の皮疹は増加方向へ。爪の皮疹が左右の指に合計3本ほど。先週末には下痢も。いくつかの副作用が重複して現われているが、耐える日々が続いている。

ところで、先週はイタリア・フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に日本人旅行者が書き残した落書きが話題となった。そういえば、この大聖堂へは2000年に訪れたので懐かしい思いでニュースを見ていた。

いちばん上部へ上がるのは有料で、常時外に行列ができていて30分ほど待たされた。エレベーターなどないので、石造りの回廊をぐるぐる回りながら昇る。当時は癌の手術の前だったので若い人たちに負けずに、元気に昇ったが、今は肺の一部を失っているので息切れして昇れないかもしれない。窓のない回廊も展望台も確かにいたずら書きでいっぱいだった。その時はあまり日本語の落書きには気づかなかった。

それにしても、その落書きをした高校の野球部の監督は解任だそうだが、その処罰は厳しすぎはしないか?大体、高校の名前やフルネームで夫妻の名前を書いた人に罪の意識などあるはずはない。その常識のなさには驚くが、外国へ行った開放感から、ついついハメをはずしただけなので、きついお灸をすえる程度でよいように思う。確かに名所史跡へのいたずら書きは軽犯罪には当たるようだが、世界の観光地にあふれる落書きの実態を見ると、少々処置が厳しすぎる。

その監督は生徒達になかなか人望もあり、優秀らしく惜しむ声が多いらしい。世間の評価を恐れた学校の幹部の過剰反応ではないだろうか。時には厳しいことも必要だが、同時に愛情ある指導もなければ、人材は育たないようにも思えるが。

2008年7月3日木曜日

定期検診

昨日7月2日(水)は退院後初めての定期検診だった。
タルセバ服用は昨日で21錠目になる。

入院中は身体の皮疹が最初に現われて、次は顔に身体とは少々性質の違う皮疹が現われた。タルセバは皮膚全体にダメージを与えるようで、採血の後にあてがうガーゼのアルコールでもひどい炎症を起こしている。

身体と顔の皮疹の状態は退院後顔の方がひどくなった。イレッサの時には経験がなかっただけに、これは正直ショックだった。

今日の通院は帽子とマスクを着用した。がんセンターには帽子の人とマスクの人はたくさんいるので、これはごく普通の防御策だった。

タルセバ飲用前の説明では90%の人が顔に皮疹が出ると聞いていたので覚悟はしていた。ただ自分の場合はイレッサでは顔には皮疹が出なかったので、かすかな期待を持っていたが、期待は見事に裏切られた。

内科の医師に「タルセバを飲むと多くの人が皮疹が出ると聞いたが、自分の場合はひどい方ですか、軽い方ですか」と、どうも答えにくいだろう質問を敢えてしてみた。「重度な部類に入りますね」とあっさりといわれた。これを聞いたところでどうすることもできないのだが、まあ、覚悟が決まったとはいえる。

退院するまでは副作用は顔と身体の皮疹だけだったが、その後いろいろな副作用が出てきた。爪皮疹といって、爪の周囲の肉の部分に炎症が出る。イレッサのとき足の爪に出て「ひどい場合は指も切り落とすことがあります」などと脅かされたが、ドライアイスで処理したり、塗り薬を塗って大事には至ることはなかった。今回もそれと同じ現象が2日前から左手の人指し指と薬指に現われた。

昨晩から下痢をしている。これも退院後初めてだ。いずれも事前に説明を受けている症状で、副作用としてはそれほど重篤ではないのでガマンするしかない。

今はその効き目の方は不明(7/16のCTで確認)だが、この小さな錠剤のどこに強烈な副作用をもたらす毒が含まれているのだろう?毎日10時に飲む錠剤を見ながら感じてしまう。

症状の詳細は「tamyのつぶやき」→「闘病記(タルセバ服用)」参照。

2008年7月1日火曜日

今日から7月

今年も早いもので今日から後半に入る。
先週の退院後5日がたち、タルセバ服用は今日で20錠目になる。

タルセバは写真の右の錠剤で、左のイレッサとほぼ同じ大きさの錠剤である。ピンク色の外観は一見とてもソフトな印象を与えるが、外見とは違い、私にとっては非常に強烈な薬だ。ピンクの衣装を着た一見かわい子ちゃん風の悪女といったところだ。

抗癌剤といえば点滴を連想するが、近年出現したいわゆる分子標的薬といわれるこの錠剤の抗癌剤はいろいろな長所がある。

難しい理論は良く分からないが、説明によると分子標的薬というのは「上皮増殖因子受容体と呼ばれる癌関連たんぱく質に特異的に作用し、これらを阻害する薬剤として開発された肺がん領域で最も臨床応用の進んだ薬」だそうである。両方の抗がん剤を体験したが、この種の分子標的薬の良さは副作用が軽い、飲み薬なのでストレスが少ない。自宅で治療できる・・・というように点滴に比べてずいぶん楽な治療法だ。

タルセバの副作用はイレッサに非常によく似ている。皮膚疾患が多くの人に出やすいことをはじめ、下痢、肝臓数値の上昇、つめ障害、間質性肺炎等々である。

私の場合は皮膚が元々人より弱いので、イレッサのときも今回も皮膚疾患には人一倍悩まされている。主治医の先生もイレッサのときの症状を見ているので、タルセバを服用する前にずいぶん心配されたが、実際にその通りになった。
特に飲み始めて1週間前後から出だした顔の皮疹はイレッサの時には経験がない副作用。今日は今までより少し症状が緩和されているように感じる。このままだんだん良くなることを期待するばかりだが、問題は7月中旬に予定されているCTで効果がどうなのかということである。

2008年6月27日金曜日

退院

昨日【入院17日目】(タルセバ服用15錠目)退院した。

入院によって、初期に現われる副作用(私の場合は皮膚疾患だけ)の確認、及びその処置の仕方。心配される重度な副作用(間質性肺炎、肝臓数値の上昇等)のチェックや今後出た場合の対応の仕方を十分に指導を受けての退院ということになる。

2週間強の入院は今までも何度か体験しているので、特にストレスなく過ごせたといえる。悪く言えば、変な場慣れをしたということか。

それでも、待ちに待った退院である。18日目の我が家は精一杯の背伸びができる場所だ。入院中のストレスはないといっても、6時の起床と10時の消灯、日中動ける範囲等々日常とは違うことがいくつかあるので、すべてを含めて我が家にいる良さには適わない。

副作用の方は前回書いたときと大差はない。副作用は今のところ身体と顔に現われた皮疹だけである。身体の皮疹はそれほど変わらない。新しい皮疹が現われ、古い皮疹が消えて行く。腕や足が多く、その他は少ない。

問題は顔に現われた皮疹。顔全体が赤みがかり、ごつごつとした無色の湿疹が出ている。加えて口や鼻の周辺に粟粒状の赤い皮疹が出てきた。体の方はイレッサのときと同じようにそれほど痛くもかゆくもない。ところがそれと違って、顔の皮疹はかゆみがあり、触れるとひりひりと痛みがある。ひげを剃ることもできない。
1日中、薬を塗ってべたべたとしているので、木村拓也似の容姿も台無しである。

これからどのように変化していくのか分からないが、どちらにしても引きこもりは避けられそうもない。

それでも、病院へ行くときなどは外出しなければならない。大きなマスクにサングラス、帽子・・・などと家族で冗談を言って笑ったが、芸能人の変装と同じでその方が人の注目を引いてしまいそうだ。

病人だから病院へ来るんだと割り切って、平気な顔をするのがいちばん目立たないだろう・・という結論にになった。

2008年6月25日水曜日

副作用で引きこもり

今日は【入院16日目】(タルセバ服用14錠目)

日曜日位から全身の皮疹とは性格の違う顔の皮膚炎症が出ている。全体に赤みを帯びて少し痒みがある。眼の周辺が赤みが強く眼球にも痒みがある。何かのアレルギー反応のようだ。その対応として昨夜から新しい抗ヒスタミン剤が支給された。今日は午後皮膚科検診が予定されている。

身体の皮疹は状態は似ているが、日々古い皮疹が消えて、新しい皮疹が出ている。古いのも跡が残るので、全体としてはひどくなっている印象。

今日がちょうど予定の2週間目、幸いひどい副作用はないので今の状態が続けば多分明日退院になるだろう。

患者からみると、医師側が数ある副作用の中で特別注意しているのは間質性肺炎や肝臓の数値の上昇、骨髄抑制等々であり、皮膚疾患や、吐き気、脱毛などの副作用はどうも軽く見ているように感じることがある(実際はそうではないが)。

命を落とす危険のある副作用は要注意であることに依存はないが、そうかといって皮膚疾患や脱毛など外見に現れる副作用だって患者にとっては命を落とすのと変わらないくらい気の重いことである。これは患者になって見なければなかなかその気持は分からないであろう。

このような副作用は間違いなく患者を引きこもりにする。仕事を持っていたり、どうしても出なければならない場面には引きこもっていられないだろうが、その第一歩には大変なエネルギーを必要とする。

これも癌になって困ることのひとつである。

2008年6月21日土曜日

ちょっと遅めの父の日プレゼント

今日は【入院12日目】(タルセバ服用10錠目)

今日は朝から本格的な雨天。梅雨の中休みも終って、梅雨の後半に入ったようだ。

昨夜から、イレッサの時には出なかった顔への皮疹が出てきた。数は鼻の頭に一箇所、右頬に3箇所、左頬に2箇所。皮疹といっても身体に出ているものとは形状が違う。例えるとちょうど蚊に刺された後のように感じ、色がなく、若干痒みがある。色がないので最初はあまり目立たなかったが時間が経ったら全体に赤みを帯びてきた。

身体の皮疹はパラパラと若干数が増えているが、ザーネ軟膏の効果で殆ど消えたものもあり、全体としては大きく変わってはいない。

今日は長女(結婚して横浜に住む)と次女(同じく横浜に住む)と次女の娘(孫)が見舞いに来てくれた。そして、やや遅れたが父の日プレゼントを持ってきてくれた。こんな時はいつものことだが、まもなく2歳になる孫が主役となる。

大勢の人が集まるようなときは病室ではなくて、デイルームにある個室を使う。病室ではあまり大騒ぎをすると周囲に迷惑になるし、椅子もないので長時間はいられない。各階に2つ個室があり、無料なのだが、殆どの患者さんはそんなことは知らない。入院が7回目ともなると、この病院のことは隅々まで分かっているので、部屋の確保などはお手の物だ。

長女は勤務があるので明日横浜へ帰るが、次女はご主人のありがたい配慮で主婦業のお休みをもらって1週間ほどこちらに滞在してくれるようだ。来週は私の退院などがあるので娘がいてくれると助かる。

また孫がいることで老夫婦の心の支えになってくれそうだ。いつものさびしい生活にも灯りが灯ったようになることは間違いない。

2008年6月18日水曜日

居酒屋タクシー

皮疹は16日をピークに数は増えていない。ザーネ軟膏を1日2~3回塗ったせいか、それぞれの皮疹もやや色が淡くなったような気がする。その他の変化は今のところなし。

沖縄が梅雨明けしたらしい。本州の梅雨明けはまだまだ先だろうが、ここのところしばらくは雨が降っていない。

そんな天気と同じように世間のニュースも気が重くなるものばかりだ。

四川大地震から、岩手・宮城地震ではやはり自然災害の恐ろしさを見せ付けられた。この種の災害報道は最近、際立って映像が豊富になっただけにその恐ろしさが倍加されて伝わってくる。

自然災害だけでなく、後期高齢者医療制度や秋葉原大量殺傷事件、居酒屋タクシー等々気が重くなるようなニュースが次々と起きている。地震の自然災害だけでなく、この種の人災にも痛めつけられる日本はこれから一体どうなってしまうのか心配になる。

居酒屋タクシーなどは今回民主党の長妻議員が指摘して火がついた。内容にも驚いたが、永年このような慣行がずーっと行われてきたことにも驚かされる。民間の会社ではありえないことだろう。お役所という所には自浄作用はないのだろうか?

取り締まるべき幹部までも腐っているということか?ダレきっているとしか思えない。そういえば、ちょっと前、自分で倫理規定を作っておきながら、家族ぐるみでどっぷりと接待に浸かって逮捕された防衛庁の長官がいたっけ・・。

仕事が忙しいなどと言い訳をしているようだが、タクシーで出される生暖かいビールとピーナッツ(かなにか分からないが)をもらって飲んで、情けなくないのだろうか?例え薦められても「それはちょっと」と言って断ることができないのだろうか?

皆さん、彼らの給料だって、彼らが飲むビールやおつまみ(タクシー料金に上乗せ)だって、皆税金だと思うと腹が立ちませんか?

2008年6月16日月曜日

ツバメと再会

副作用として一番多く見られる皮疹が14日(3錠目)の夜に現れた。場所は両腕、赤い小さな皮疹だが、痒みはない。最初気付いた時は両腕とも数箇所だったが、昨日、今日と数が徐々に増え、場所も背中、足に広がってきた。4年前イレッサの飲み始めの時は6日目に初めて皮疹が現れたが、今回はそれより早く現れた。最初顔に出やすいという説明だったが、私の場合は今のところ顔には出ていない。個人によっていろいろなパターンがあるようだ。

その他の副作用は今のところ出ていない。

薬の効果は約1ヵ月後の7月16日(水)にCT撮影にて確認する予定。

今日も梅雨の中休み50%の空は雲に覆われていて、富士山も全く厚い雲の中だ。窓の外を見ていたら、窓の1メートル位はなれたステンレスの手すりにツバメが留まってさえずりながら毛繕いをしている。

昨年も書いた記憶があるので、遡って見てみたら6月24日にやはり病室から見たツバメのことを書いている。昨年と病室が違うので外の風景は違うのだが、今年は昨年の裏側に当たる。コの字型になっているビルのちょうど4階と、5階の軒下の角の部分に巣が2つ見える。

新築ビルとツバメの巣はなじまないが、できた巣を取り去らないのはちょっとした粋な計らいといえる。

子供の頃は大きな民家の軒下にツバメの巣をよく見かけた。

ツバメは人が住むにぎやかな環境に営巣するという習性から、地方によっては、人の出入りの多い家、商家の参考となり、商売繁盛の印ともなっている。

今は昔と違って自然破壊が進んでいるので、ツバメも餌を探すのに苦労するだろうがこの近辺は山岳部なので比較的楽なのだろう。

2008年6月14日土曜日

梅雨のひとやすみ

入院も今日で5日目になる。タルセバは今日で3錠目だが、特段の変化は現れない。

今年の梅雨は何年かぶりの梅雨らしい天候のような気がする。ここ何年かはカラ梅雨が多く、梅雨明けも境目がよく分からず、何日か過ぎてから遡って何日が梅雨明けだった・・というような発表が多かった。

連日の梅雨空のなか、昨日からは梅雨の一休み。せっかく富士山の見える病室へ入ったのだが、昨日4日目にして初めて富士山が姿を現した。今日も雨は一休みで、富士山は雲から頭を出している。

私はもともと基本的には晴れが好きだが、外出の予定のない時の雨はそれほど嫌いではない。じっくり落ち着いた気分になるものだ。

従って、入院中のように束縛されている身には晴れているより、雨の方がずっと気持が落ち着くから不思議だ。外の雨をぼんやりと眺めながらいろいろな考えごとをする。

雨を見ながらこんな話を思い出した。

日本の曲(楽曲)のタイトルには天候がよく使われるが、どの天候が一番多いか?

殆どの人が晴れが好きなので、晴れが入った曲が多いと思うだろう。

正解は「雨」だそうだ。しかもダントツらしい。1位が雨で400曲、2位が晴れで30、雪20その他10以下だそうだ。

そういえば、雨の付くタイトルは「あの歌、この歌・・」といくつも思いつくが、晴れの方はあまり思い浮ばない。

好き嫌いと関係なく、雨の降る風景の方がドラマになりやすいということか?

2008年6月12日木曜日

タルセバ服用開始

いよいよ今日からタルセバ服用開始。

タルセバはイレッサと同じ系統の分子標的薬で、イレッサより成分の強い薬のようだ。イレッサもタルセバも切除不能な再発・進行性で、化学療法施行後に憎悪した非小細胞肺がんの治療薬として認可された薬とされている。

従って、イレッサが効かなくなった患者には再度効果が出る可能性がある薬として期待されている。

副作用もイレッサと殆ど同じで、発疹、下痢、皮膚乾燥、そう痒症、肝臓疾患などが多いようだ。重篤な副作用として間質性肺炎も要注意のようだ。国内第Ⅰ、Ⅱ相試験では123名中6名(4.9%)が間質性肺炎になり、そのうち3名(2.4%)が死亡されたという。

この間質性肺炎の率はかなり高率のように思うが、一般抗がん剤でも1~3%は副作用で亡くなる人がいるようなので、抗がん剤そのものがリスクの高い薬剤であることを思い知らされる。

癌そのものが死亡率の高い病気で、それを治す薬もさらにリスクの高い薬であるということはとにかく癌にならないことがいちばんだとつくづく考えさせられる。正に「前門のトラ、後門のオオカミ」「行くも地獄、戻るも地獄」の心境である。

4年前、イレッサを始めるときもこんなことを考えたような気がする。

でも、「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」3日後にはこんなこともすっかり忘れるであろうことも間違いない。副作用の出現に細心の注意をすること、処置を早くすることしか対策はない。

「tamyのつぶやき」トップページに「闘病記・タルセバ服用」のボタン(上段・右端)を付けたので、詳細をお知りになりたい方はご覧ください。(旧ダイアリーのボタンをはずしました)

2008年6月10日火曜日

本日入院

前回の定期健診の際、9日以降で入院予約をした。
長い人で2週間ぐらいは待たされるだろうと聞いていたので、まだまだ先かなと思っていたが、昨日連絡があり、本日入院した。今日から2週間の病院生活が始まる。

昨年は抗がん剤の点滴で、都合4回ほど入院した。5年前の手術時、4年前のイレッサ服用も含めると、今回で7回目になる。そういう意味ではすっかり入院慣れした。

今回の入院では次の薬(タルセバまたは治験薬)を服用するための入院なので、痛いとか、苦しいとかは何もない。入院中やることといえば朝1錠の錠剤を飲むだけ。痛いとか、苦しいとかはないので楽といえば楽だが、束縛された退屈との戦いである。

それでも、退屈との戦いには慣れたもの、対策はばっちりだ。本や、ラジオも持ち込むが、結局はメインはパソコンになる。病室にはLAN端子があるので、それをつなげばすっかり自宅と同じ環境になる。前回からワンセグチューナーをパソコンにつけた。部屋のテレビは有料なので、パソコンで殆どの番組を見る。ワンセグなので、携帯よりやや大きめの画面しか見られないが、殆どは「ながら族」で、流しているだけのことが多いので、それで十分である。テレビで見るのは大河ドラマと、衛星の大リーグ中継(あればサッカー中継)ぐらいで、あとはパソコンのテレビで十分だ。

病院は山の上にあるので、眺望はよい。南向きなら駿河湾、北向きなら富士山が見える。病室は選べないので部屋の向きで景色は変わる。今日入った部屋は北向きで寝ながら富士山が見える位置だ。ただ、今頃は連日天気が悪いので、入院中何日富士山の顔が拝めるか?

2008年6月7日土曜日

蚊帳(かや)のある風景

今年は梅雨入りして以来、毎日梅雨らしいはっきりしない天候が続いている。

例年、蒸し暑い時期になると、蚊に悩まされる。我が家の周辺には流れの悪いドブがあって、季節に関わらず蚊が大発生する。最近の住宅は密閉性が高いので、外には蚊が柱を作っても、家の中には殆ど入ってこない。

それでも、時々どこからか蚊が入り込んで、家内が丸めた新聞紙を片手に家中を追い回している姿を見かける。

昔は梅雨時から蚊帳(かや)を出したのを思い出す。冬の間閉まっておいた蚊帳を皆で広げると、独特な匂いがしたものだ。子供心に蚊帳の中ではしゃぐことが楽しい思い出として記憶に残っている。今の日本ではとっくの昔に蚊帳が消えたと思っていたら、どうやら世界中で活躍しているらしい。

先日、「ガイアの夜明け」で、日本の蚊帳がODAで大活躍している様子が放映されていた。アフリカやバングラデシュなどでは蚊によるマラリア感染に悩まされているが、日本の蚊帳を現地で普及させることで、マラリアを撲滅した村があり、とても感謝されているらしい。

特に2000年、世界保健機関(WHO)から蚊帳の増産とアフリカへの無償技術移転を依頼された住友化学はタンザニアに工場を2箇所建設しているという。

2003年からODAやUNICEFを通じた支援で3年間で200万個以上の蚊帳を世界各国に配布しているということだ。 ナイジェリアでは、テレビドラマやコマーシャルを通じたPR活動を進めた結果、普及が進んだ。

昔、蚊帳の中で子供達がふざけあった風景がはるか離れたアフリカで今繰り広げられているのを想像すると、何か複雑な気持になるものだ。

2008年6月4日水曜日

接骨院・整骨院

最近、産科医や小児科医の不足が深刻で、全国で問題になっている。医師全体が不足かというと、そうではないらしい。特に歯科医は毎年何千人という歯科医が新たに増え続けているために全国どこでも歯科開業医が乱立気味で、ワーキングプア並みの収入の歯科医も結構多いらしい。

もうひとつ、医院ではないが、接骨院・整骨院の類が近所に雨後のたけのこのように何軒も開業している。柔道整復師(略して柔整師というようだ)は専門学校を卒業して国家試験に合格すれば比較的簡単に開業できるので、開業希望者が年々増えている(こちら)。

最近、近所に開業した整骨院のチラシを見ていると、「各種保険使えます」と書いてある。何でも健康保険が使えるような印象を与えるが、実際健康保険が使えるのは骨折、脱臼、ねんざ、打撲、肉離れだけで、肩こりや、加齢による腰痛などには健康保険が使えない。 ところが、受診をした高齢者は皆一様に保険が使えたという。それはなぜか?

多くの柔整師は腰痛の治療をした場合、「腰部捻挫」等と、保険がおりるような表現に変えて保険を請求することが多いようだ。多くの健康保険では医院の請求に比べると、金額が少ないので、審査もなくそのまま支払うケースが多いのだそうだ。治療内容の改ざんだけでなく、1箇所の治療を2箇所、3箇所と増やして請求する例も多いと聞く。

10年程前にも柔整師の不正請求のことが話題になって、新聞で一大キャンペーンが行われたことがあったが、最近また接骨院・整骨院の数が増えており、受診する高齢者も増えていることから、不正請求の金額が年々大きくなっているようだ。

柔整師が保険者に請求した治療内容は受診した患者に聞いてみれば一目瞭然なのだが、実際はそのようなことは殆ど行われていないようだ。数は少ないが、保険者によっては柔整師の請求内容を患者本人に聞いて、内容が違っている場合は支払いをしないという処置をしているところもあるようだ。

いうまでもないが、まじめな柔整師もたくさんいる。というか、普通は不正などはしない。ただ、不正をする柔整師の率が医院の率より高いということである。

「マッサージのような行為に公的保険が使われているなら、一番の被害者は保険料を払う国民だ」ということで、保険料を払う被保険者がバカを見る。従って、その種の調査は定期的に行われ、不正をしている接骨院・整骨院には退場してもらわなければいけない。

2008年6月1日日曜日

長寿は罪?

最近のNIKKEI NETに「日本が長寿世界一を維持、男女平均83歳・06年時点、WHO調査」という記事が出ていた。世界保健機関(WHO)がまとめた2008年版世界保健統計では、2006年時点で日本の平均寿命は男女平均83歳で世界一を維持した。男女別では女性は86歳で単独首位。男性は79歳で05年に続いて2位となったそうだ。

今、正に「後期高齢者医療制度」で国中大騒ぎになっているときにこのニュースを読むと誰でも複雑な気持にさせられる。

テレビ「笑ってこらえて」の冒頭に「ダーツの旅」というコーナーがある。所さんが日本地図に向かって針を投げ、刺さった場所へ取材に行くというシンプルな番組だが、大抵は都会から遠く離れた田舎町で出遭った人と話をするものだが、どこの場合も出遭うのは殆どが高齢者だ。

「おばあさん、おいくつですか?」というお決まりの質問に「いくつに見える?」と問い返すご老人が多い。質問者は若いので70歳以上の人の年齢など想像も付かないのが普通だが、歳を聞いて「お若いですね」がこれまたお決まりの返事だ。それを聞いたご老人が喜ぶのだが、素朴なそのやり取りが面白くて今でも人気がある。

ことほど左様に、日本では高齢になることは美徳だったし、一族の誉れでもあった。今から何年前か家内の祖母は百歳(今は故人)を越えたとき、市長がわざわざ自宅まで訪問してお祝いをしてくれた。

世界中で「敬老の日」があるのは日本だけだという。今揉めている「後期高齢者医療制度」の背景では、これから日本では歳をとることは肩身の狭いことになってしまう。財政の苦しい台所事情は分かるが、そこにお役人の知恵と工夫と情熱さえあれば解決できない問題はないと思うのだが。

諸悪の根源は「少子高齢化」。子供が少なく、高齢者が多いという構図が続くなら、若年者が高齢者を養うという一方通行の形だけでなく、元気なお年寄りが現役としてもっと活躍しやすいように環境整備することではないだろうか。高齢者も収入があれば、病気の高齢者を養うことにはそれほどの抵抗はないと思うのだが。

2008年5月28日水曜日

定期検診 PET-CTの結果

本日(5/28)は5月2回目の定期検診だった。
病院到着9:30。採血、レントゲン撮影、11:00検診。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=31(基準値10~40)、GPT=60(5~40)とGPTが基準値の上限はやや上限を超えたが、自覚症状もないし、先生の説明でも問題なしだった。
・白血球の数値は5,100(正常範囲3,900~9,800)で、毎回バラツキはあるものの、正常範囲にあり安定している。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは今日までで140錠服用した。
副作用として心配される、肝臓の数値は服用している薬(プロへパール)の効果か、ほぼ安定している。

【PET-CTの結果】直近2回(2/6と5/14)の画像を比較すると、濃さが明らかに濃くなっている。但し、形は同じで、他への転移も見られない。

イレッサの効果がなくなったと判断せざるを得ない。従ってイレッサは本日をもって中断する。

【今後の方針】タルセバまたは治験薬(現在適切なものがなく、次の候補は1ヵ月後ほど待つ)を考えているが、5月9日以降で入院予約をしてもらい、(今混んでいるので、今日申し込んでも2週間前後待つことがある)休薬期間を過ぎた頃に次の薬の服用を開始する。

心配が的中した格好だった。ただ、状況は癌の進展は軽微で、他への転移は見られない。自覚症状も従来通り皆無の段階なので、悪さ加減からいえば、まだそれほど深刻な状況ではないと考えるようにして、気を持ち直して次の治療に取り組むこととする。

2008年5月25日日曜日

薬漬け

今年の1月からイレッサの再服用が始まった。
イレッサはご存知、飲む抗がん剤。これだけで済めば楽なのだが、私の場合副作用対策で、みるみる薬の種類が増えた。

まずは朝食後にイレッサ一錠。これだけならよいが、イレッサを飲むことで肝臓の数値が高くなった。そこで肝臓の数値を下げるための薬1日3錠。皮膚乾燥を起こしやすいので、かゆみ止めを朝と寝る前に各1錠、最近季節的なこともあるのか、皮膚のかゆみが強くなったので、さらに強いかゆみ止めを追加、1日3錠、薬で胃をやられないように胃薬1日3錠、便秘にならない薬1日2錠。

気がついてみたら、手元は薬の袋だらけになった。朝、昼、夕、寝る前と1日4回飲み分ける。あまりに複雑なので、時には忘れたり、間違えたりする。

近所の100円ショップでたまたま写真のような薬いれ容器を見つけた。これに1週間分を朝、昼、夕、夜と分けて入れておくとまず間違いはない。ここにも整理整頓の考え方が役立ったようだ。

こんな容器が100円で買えるなんてありがたい。多分中国製だと思うが、日本製なら1000円ぐらいになるだろうから、食料品でなければ有害ではないので、この種の生活用品は大いに助かる。

こうやって詰めてみて眺めると、いかに薬が多いかが良く分かる。1年前はこんなに飲んでいなかったなぁと思いつつ「勘弁してよ!」といいながら、ついシャッターを押してしまった。

2008年5月22日木曜日

エアバスA380

「エアバスA380」と聞いてピンとくる人は相当な飛行機ファンだ。
この飛行機は欧州エアバス社が開発した総2階建ての世界最大の旅客機。シンガポール航空が世界に先駆けて導入したA380がシンガポール~成田線に就航し、20日昼すぎ、初便が開港30周年を迎えた成田空港に到着。誘導路上で空港消防隊による放水アーチの歓迎を受けた。

予定では同日午前に到着予定だったが、悪天候のため、いったん中部国際空港に着陸し給油。その後、成田空港に着陸したというニュースが夕方のテレビ各社で放映されていた。

そしてこの飛行機は、今まで最大だったボーイング747を抜いて、民間機としては史上最大・世界最大となったジャンボジェットだそうだ。全長72.6メートル、主翼の端から端まで79.8メートル。高さは24メートルを超える。まるで一つのビルのようだ。

すべてが今までとは桁違いの新時代の旅客機なので、成田空港では新たに、2億2000万円かけて2階部分に接続できる搭乗橋を造ったという。

キャビンの総面積はボーイング747の約1.5倍、座席数は標準座席仕様で同じく約1.3倍だが、エアバス社では「従来の大型機と比べて同じ座席仕様でありながら、一人当たりの占有面積が広くなる」を同機のセールスポイントとしている。

少し前なら、飛行機が大きくなれば、座席数を増やすことが最優先だったが、乗客の快適さを優先する考え方になったことは客としてはうれしいことだ。

私自身は飛行機を使うことはそうそう多くはないだけに、飛行機に乗ることは大好きだ。私のような庶民は通常エコノミークラスに乗るが、あの座席の狭さには辟易とする。せめて新幹線ぐらい前があいているとありがたいが、果たしてそうなっているのだろうか。

この病気になってからはとんと海外旅行に行っていないが、空港のロビーにいるときはいくつになっても童心に返って、ワクワクしたものだった。ロビーのガラス越しにジャンボ機を間近に見るたびに、この巨大な鉄の塊が何百人もの人間を乗せて空を飛ぶということがいつも不思議に感じてしまう。そして、飛行機が滑走路にスタンバイし、ジェットエンジンの轟音とともに、身体が座席に押し付けられる感覚を感じながら、急速にスピードを上げて離陸するときの感覚は何ともいえない。

2008年5月20日火曜日

四川大地震

四川大地震は発生から1週間が過ぎたが、日に日にニュースで明らかになる惨状には目を見張るばかりだ。

今日朝時点で死者34,073人。生き埋め、生死不明者が3万人を越えているから、まだまだ被害者は増えそうだ。

かつて、32年前に河北省で起きた唐山地震は公式記録によれば死者が242,419人を数え、これが20世紀最大の大地震といわれているが、殆ど記憶がない。その被害者の数からいって、惨状が想像されるが、今回とは違って映像は出ずに、公式発表だけが新聞に報道された程度だったのだろう。記録では火力発電所建設のために派遣されていた日立製作所の社員3人が犠牲になったという話が残っている。

今回の地震は唐山地震の規模には及ばないのだろうが、ニュースで実態を目にするだけに、その恐怖感はより大きく感じる。

ニュースで見ていると、地震の規模の大きさに加えて、人口の増加による居住地域の拡大、建造物の脆弱さが被害を益々大きくしていることが良く分かる。加えて、役人が加わった手抜き工事など人災が重なると、これから益々被害は大きくなる方向へ行くように思う。

日本人は特に世界一といわれるほどの地震国だけに、今回のニュースは敏感に感じる。過去の地震を被害者の多い順に並べると、関東大震災(大正12年)142,803人、明治三陸地震津波(大正12年)22,000人、宝永地震(宝永4年)少なくとも20,000人・・・。

唐山地震の規模には及ばないが、今回の四川地震より大きな地震を経験した歴史があるだけに、人口密集が増加した現在、地震が起きると・・・益々不気味に感じてしまう。「この際、身の回りの地震対策をしなければ」と思うのだが。

2008年5月18日日曜日

DICE-K2.0

松坂は無傷の7連勝、今年はヒヤヒヤさせてくれるが、それでも何とかレッドソックスの大黒柱になり、ボストンファンにも受け入れられているようだ。

でも、昨年は松坂の試合は殆ど放送されたが、今年は実に中継が少なくて不満だ。大リーグには今年は移籍した日本人選手が多すぎるせいか、放送が分散してしまって放送の予定が立たないのか。

先週、米スポーツ専門有線テレビ局『ESPN』のウェブサイト『ESPN.COM』が、北海道日本ハム・ダルビッシュ有投手の特集記事をに関するニュースDICE-K2.0は今の日本のプロ野球の現状をアメリカ側から掘り下げて解説していて面白かった。

局の取材陣が3月中旬に札幌を訪れ、ダルビッシュ本人を取材。記事の前半では、彼がメジャーに挑戦するのかどうかといったテーマに振れながら、千葉ロッテのバレンタイン監督や元日ハムを一流チームに育て、現米大リーグ・ロイヤルズ監督トレイ・ヒルマン監督らがダルビッシュのポテンシャルの高さを証言する構成となっている。ポスティング移籍時の落札金は7500万ドル(約79億円)と試算という点が日本のスポーツ紙に大きく取り上げられているが、メインテーマは、彼の移籍よりむしろ、日本野球の将来にもフォーカスが当てられ「ダルビッシュがいなくなったら、どうなるのか」と問いかけている点が興味深い。日本語訳も付いているので、野球好きの方は一度読まれることをお勧めしたい。(こちら

日本ではあまり知られないが、かつて、アメリカにはメジャーリーグのほかに黒人選手だけのニグロリーグがあったそうだ。ジャッキーロビンソンというリーグトップレベルの選手がメジャーリーグに行って、他のスター選手がそれに続き、さらにミドルレベルの選手も続いた。その結果、ニグロリーグが消滅につながってしまったという歴史がある。

バレンタイン監督は今の日本のプロ野球の状況をそのニグロリーグの歴史にたとえて次のように心配する。

「MLBはその状況を理解すべきである。なぜなら野球はアジアにおいて大切な文化。有能な選手だけを奪ってはいけない。MLBがすべきことは、野球が世界中で発展すること。アメリカの一部のフランチャイズだけが発展することではない」

プロスポーツはビジネスなので、弱肉強食の世界ではあるが、自分達が長期繁栄を望むなら、そろそろ国の枠を超えて関係者が手を結んで世界規模の大きなビジョンで再編成する時期がきそうだ。

2008年5月15日木曜日

定期検診・MRI、CT結果説明

●5/12(月)CT撮影

●昨日(5/14)は5月2回目の定期検診だった。
病院到着9:30。採血、レントゲン撮影、11:00検診。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=31(基準値10~40)、GPT=50(5~40)とGPTが基準値の上限をやや超えたが、自覚症状もないし、先生の説明も問題なしだった。
・白血球の数値は5,370(正常範囲3,900~9,800)で、毎回バラツキはあるものの、正常範囲にあり安定している。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは昨日までで126錠服用した。
副作用として心配される、肝臓の数値は服用している薬(プロへパール)の効果か、ほぼ安定している。

【MRIの結果】異常なし。

【CTの結果】前回(昨年9/25)と比較すると形は同じだが、濃さがやや濃いように見える。2/6撮影のPET-CTとの比較では変化が見られない。但し、CTとPET-CTでは比較画像の大きさが違うので正確な比較はできないので、2/6撮影のPET-CTと本日これから撮影するPET-CTとを同じ大きさの画像で比較して、次回の定期検診時に今後の治療計画を検討する。

【皮膚科検診】副作用の皮膚疾患は最近かゆみが強くなっているので、飲み薬を一つ追加した。

【PET-CT撮影】12:45~14:20

今回、気懸りだったCTの結果説明は何となくすっきりしなかったが、次回の診察まであまり深刻に考えないで待つことにする。同じようなことが繰り返えされると、一喜一憂の幅は小さくなるから不思議だ。

2008年5月13日火曜日

新しい日中関係

中国の胡錦濤国家主席は奈良の法隆寺や唐招提寺等の訪問を最後に5日間の異例の長い滞在を終わって先週帰途に着いた。

胡錦濤主席は代々の主席と比べて、実に温和で誠実そうな印象なので、テレビで見る人は良い印象を受ける人が多い。報道は概ね好感を示してはいるが、「微笑み外交」の裏に隠された不気味さをひと言付け加える報道が多いようだ。

最後の訪問地、奈良の法隆寺や唐招提寺は約1300年前に聖徳太子や中国から来た高僧鑑真和尚が尽力した史跡で・・・日本と中国は何千年という気の遠くなるような永い期間の結びつきがあることに思いを馳せる人が多い。

永い間には良いことばかりではなく、中国が元寇で日本に侵略しかかったり、逆に日清戦争や日中戦争では日本が中国を侵略した。永い付き合いをしていると、蜜月期間があったり、険悪な喧嘩状態があったり、人の友達関係と全く同じことが起きるのはやむをえないことか。

私個人としては、父の仕事の関係で昭和17年に瀋陽市(当時の奉天)で生まれたので、中国に対しては複雑な感情がある。3歳のときに引き揚げたので、殆ど記憶はないが、関口知宏の「中国鉄道大紀行」で最近の街の風景を見たりすると、生まれ故郷への特別な郷愁を感じる。

その後、10数年ほど前に仕事の関係で北京と上海を訪れた。発展途上とはいえ、まだ国民服の人が街を往来し、車よりも自転車が多いことを記憶している。最近テレビで見る中国の街々の発展振りはまるで別の国を見るような変わりぶりで驚くばかりだ。

「ジャパン アズ №1」などともてはやされたバブルの時代から見れば、どんどん国の評価が落ちていく日本に比べて、今や経済で世界を席巻する勢いの中国。

国は引っ越すわけにはいかないのだから、これからもお隣同士であることに変わりはない。お互い張り合うよりはお互いの良い点を生かしあった「新しい日中関係」を築いてもらいたいというのが本音である。

2008年5月10日土曜日

母賛歌

明日は母の日だ。

先日、カーラジオで印象的で耳に残る曲を聴いた。車でも、散歩中のラジオでもときどき良い曲に出遭うことがある。でも第一印象で惹かれる曲はそう多くはない。

この曲を聴いたとき、第一印象は強烈だった。曲終了後アナウンサーが話す曲名を注意深く覚えておいた。家に戻って早速検索したら、その曲がMetis の「母賛歌」であることを知った。さらにその検索で次のことも分かった。

女性レゲエシンガーのMetis という名前は始めて聞いたのだが、彼女は2006年にミニアルバム「WOMAN」でメジャーデビューを果たし、音楽シーンでの活躍が目立つようになってきた。6年前彼女のお母さんが肺がんを宣告された。その彼女のお母さんのために作った新曲「母賛歌」を今年の2月20日にリリースしたのだという。

そして、Metis が活躍するようになるにつれて、お母さんの病状も少しずつ快方へ向かい始めていて、担当の医師も「原因が分からない」と言っているという。

Metis が小さかった頃、朝も昼も夜も懸命に働いたお母さんは太陽のように明るい人で、いつも笑顔でがんばってきたという。病気で倒れた後も、泣くより笑う生活が病気を後退させてくれることは私達ガン患者にとっても教訓になる。

誰にとっても母は偉大。特に明日母の日は母に感謝、感謝だ!

母子家庭で二人三脚でがんばってきたというMetis とお母さん。いろいろな苦労があったのだろうが、そんな暗さはみじんも感じさせず、かえって勇気をくれるスケールの大きな曲だ。聴く人は皆ホロリとすることは間違いない。

Metis『母賛歌』→こちらで聞けます。

2008年5月8日木曜日

血液の新型分析装置

毎日イレッサを服用している関係上、2週間に1度がんセンターで定期健診を受けている。

先日電子カルテのことに触れたが、その他にも患者の立場から以前に比べて格段に進歩したことがたくさんある。そのひとつが血液検査であろう。定期検診で患者の状態を把握するのに血液検査は欠かせない。

定期検診で診察の前に必ず採血とレントゲン撮影を行う。看護師さんが「今日は2本採ります」とかいうのだが、その時の検査項目によって小さな試験管が2本だったり、3本だったりする。採血が終わると、看護師さんはその試験管のようなガラス管をそのまま後方にある検査器にかける。検査は自動で行われるらしく、しばらくすると医師のモニターで血液検査の結果を見ることができる。この病院では入院している場合には、病室のモニター(テレビ兼)でも検査結果を確認できる。

これができるのは血液を簡単にしかも正確に分析できる自動器械のおかげだろう。以前は当然化学分析を人手で行っていたので、結果が判るまでには何日もかかっていた。

昨日ネットを見ていたら、ノーベル賞を取った島津製作所の田中耕一さんの記事が出ていた(こちら)。
 
従来型の数十倍の感度でたんぱく質を分析でき、がんなどの早期発見につながると期待される新型分析装置の試作機を初公開し、秋ごろから内外のがん研究機関などに貸し出し、「万病診断」の実現に向けた実証実験を始めるそうだ。

試作機の能力アップや費用の削減が現在の主な課題だという。

2002年のノーベル化学賞受賞後に5年先の目標として語った「血液1滴から様々な病気を分析出来る技術」について「人間の体内はもっとシンプルだと思っていたが認識が甘かった。実現にはあと5年かかりそう」と述べたという。

血液1滴ならば、腕に注射針を刺さずとも耳たぶから採血すればすべてが済むことになる。そうなれば定期的に病院を訪れる患者にとってはとてもありがたいことだ。

2008年5月5日月曜日

こどもの日

今日はこどもの日、ゴールデンウィークも残り少なくなった。

といっても、毎日が日曜日の今日この頃、祭日でもうれしさはない。それでも、かつてのサラリーマン時代、盆と正月、それにこのゴールデンウィークは心ときめかせたことを思い出す。

先日定期検診でいつもの病院へ行ったとき、ロビーに展示された立派な5月人形と背面に高さ10メートルはあろうかという1対の幟(のぼり)に目を奪われた(1日のブログ写真・・後ろの幟は途中で切れているが、上に10メートル位ある)。やはり季節を表す伝統の人形は心を慰めてくれる。

街を歩くと、鯉のぼりもあちこちに見られる。お茶のお供に柏餅が出るのも懐かしくてよいものだ。ところで、童謡の「鯉のぼり」の中に「ちまき食べ食べ・・・」というせりふが出てくるが、東京で育った子供の頃からちまきという食べ物はあまりなじみがなかった。端午の節句で食べたのはもっぱら柏餅だった。

後で分かったことだが、端午の節句で食されるのは関西ではちまき、関東では柏餅だそうだ。もともと平安時代に中国から端午の節句が伝来したときにちまきが伝えられ、全国に広がっていったという。

その後江戸時代に端午の節句が五節句のひとつになってから、縁起のいい柏餅が江戸の主流となったが、伝統を重んじる上方ではちまきが根強く伝承したということらしい。

同じ国の中でも、関東と関西で食べものの文化が違うことは面白いことだ。

2008年5月1日木曜日

定期健診


昨日(4/30)は4月2回目の定期検診だった。
病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:00の検診を待った。病院のロビーには季節の物が飾られる。先日までは雛人形だったが、今日は写真のように端午の節句の飾り物だった。待ち時間にしばし、人形を眺めるていると、日頃忘れている季節をふと感じる。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=31(基準値10~40)、GPT=40(5~40)とGPTが基準値の上限ではあるが、自覚症状もないし、先生の説明でも問題なしだった。
・白血球の数値は4,370(正常範囲3,900~9,800)で、毎回バラツキはあるものの、正常範囲に戻っている。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは昨日までで112錠服用した。
副作用として心配される、肝臓の数値は服用している薬(プロへパール)の効果か、ほぼ安定している。
副作用の皮膚疾患も前回とほぼ同じ状態。付け薬と飲み薬を使用しているせいか状態は変化がないのかもしれない。皮膚の表面を見ると、乾燥してシワが多くなったような気がするのは副作用なのか、年齢のせいか。
病院内で昼食をとり、午後はMRI撮影(脳への転移の確認)を行った。結果説明は次回の定期検診時に行われる。

【今後の予定】
・CT5月14日(月)
・次回定期検診、MRI結果説明5月14日(水)。
 同日12:45PET-CT撮影(肺以外への転移の確認)

2008年4月28日月曜日

電子カルテの普及

27日、日経新聞の記事に「電子カルテ普及は遠く」という記事が載っていて、興味深く読んだ。

そこには「電子カルテをめぐっては、2001年厚生労働省が2006年度には診療所と、400床以上の大規模病院での普及率を6割という数値目標を掲げたと記されている」。それに対して実際は2005年10月時点で400床以上の病院で21.1%、診療所で7.6%だそうだ。その後普及のピッチは上がっているとはいえ、目標には程遠いようだ。

電子カルテの良いところは、事務処理の効率化と患者へのサービス向上につながること、良いことは分かっているが、導入時の費用が300床程度の病院で5~8億円もかかる。医師不足や看護師不足など、診療以前の問題を数多き抱えて、やりたくてもできないという病院が多いようだ。

私の通うがんセンターは平成14年開業と新しいので、最初から完全に電子カルテになっていた。通常の大病院では受付で自分のカルテをもらって、受診科の受付へ持参するが、電子カルテの病院だとそのような基本的な手続きから違うし、レントゲンでも採血でも画像や測定データはコンピュータに保管されるので、受診科の医師がモニターを開けば瞬時に見ることができる。

その他、電子化によるメリットはたくさんあることを実感する。患者サービスの点では在来の病院と比較して、革命的に変化することは間違いない。

ただ、物事には表があれば裏もある。贅沢かもしれないがいくつか欠点を感じることがある。

膨大な費用がかかるのはもちろんだが、医師は患者の顔を見て話すのは冒頭の一時だけで、あとはモニターへ入力との格闘となる。だから、年配で入力ができない先生はこの病院では仕事ができない。どの科の医師も若い先生ばかりだ。医学はマニュアル化され、「医は仁術」の精神からは益々離れていくように感じる。

「医は以て人を活かす心なり。故に医は仁術という。疾ありて療を求めるは、唯に、焚溺水火に求めず。医は当に仁慈の術に当たるべし。須く髪をひらき冠を取りても行きて、これを救うべきなり」

うーん。良いことか悪いことか、時代は変わっていく。

2008年4月25日金曜日

黒澤作品30本

黒澤明監督は1998年に亡くなったので、今年で10年を迎える。没後10年の企画としてNHK衛星映画劇場では全30作品が4月から12月にかけて放送される。《くわしくはこちら
【羅生門、用心棒、椿三十郎、野良犬、姿三四郎、続姿三四郎、一番美しく、虎の尾を踏む男達、わが青春に悔なし、素晴らしき日曜日、酔いどれ天使、静かなる決闘、醜聞(スキャンダル)、白痴、生きる、生きものの記録、蜘蛛巣城、どん底、七人の侍、隠し砦の三悪人、悪い奴ほどよく眠る、天国と地獄、赤ひげ、どですかでん、デルス・ウザーラ、影武者、乱、夢、八月の狂詩曲、まあだだよ】

子供の頃から映画ファンだった私はもちろん黒澤監督の信奉者である。中学、高校生の頃からだから、ずいぶん永い。当時、黒沢監督が新作を作るといっては製作前から雑誌などで話題になった。といっても1作品を作るのに他の監督より丁寧に作ったので、決して多作ではなかった。封切のときは大変な騒ぎで、劇場はどこも行列になった。
並ぶのが遅れたりすると、最初から最後まで通路の後ろで背伸びをしながら見るなんてこともあった。そんなときは一度放映が終わっても、席を確保してもう一度最初から見るなんてこともあった。当時は入れ替え制ではなかったし、2本立て、3本立てが普通だったから、それこそ朝から夜まで1日がかりで映画館で過ごすということも珍しくなかった。

黒澤作品は娯楽性と思想性を適度に混ぜながら作り込むので、誰にでも分かりやすく、世界中誰が見ても面白い作品が多い。黒澤作品は自分の成長過程の様々な場面に登場してきたが、見るたびに受ける印象は変わる。ストーリーはすべて頭の中に入っているのだが、見るたびに引き込まれる。自分が成長したのか、歳を重ねたのか、見方一つで印象が変わるから不思議だ。

今やレンタルショップにもDVDで黒澤シリーズは並んでいるので、自宅でも黒澤作品が観ることができる良い時代になった。だが、DVDではそれほど作品の種類は多くはない。上記30作品のうち映画館と、DVDとで自分が見た作品は何作品あるだろうかと数えてみたら、16作品しかない。ほぼ半分しか見ていないというのは驚きだ。特に監督が有名になる前の映画は見ていないので、これからそれが放映されるのはありがたい。今から楽しみだ。

既に「羅生門」「用心棒」が放映された。この2作品は映画館や、リバイバル上映で何度も見たが、いつもと同じように楽しく観た。

2008年4月22日火曜日

花粉症に朗報

桜の季節で気分が浮き立つ人もいれば、花粉症で憂鬱な毎日を過ごす人も多い。そんな中花粉症の人にとっては少し明るい話題がある。

「山口大学の研究室の研究では花粉症を引き起こすたんぱく質をスギ花粉から取り出し、弱毒化して錠剤として飲む方法で、花粉症患者8割以上の症状が改善した」というニュースだ。(情報はこちら

花粉症の原因となるたんぱく質を1日に0.7ミリグラム摂取するよう調整した錠剤を患者40人に30日間投与したところ、34人の症状が改善。うち5人は完治したという。治療の原理は注射と同じだが、注射による治療が数年かけて、継続的に行わなければならないのに対し、この「経口ワクチン」による方法は錠剤を1カ月飲むだけで、「手軽な治療法」としている。

近年、花粉症の患者数は年々急増し全国で2,000万人と推定されていて、今や国民病とさえいえる。

戦後、杉を大量に植えたことにより起きたのだから、杉をすべて切って、その後にヒノキを植えろという乱暴な意見もある。花粉の少ない杉に植え替えているという自治体もあるようだ。

どちらにしても、簡単に解決するような対策はなかなかないようだ。

我が家の近くに花粉症を抑えてくれる評判の医院があって、この季節には長蛇の列になるという。一方で、その近くの別の内科医に勤務する看護師さんがいて、その人の話によると、そこにはその評判の医院で打たれた注射のせいで体調を崩したという患者が多く訪れるという。

花粉症を治すために他の病気になったのではたまらない。上記のニュースのような良い薬の発売は患者にとっては朗報だ。また製薬会社が大儲けをするのは気になるが、花粉症の人にとってはありがたいことに間違いはない。

2008年4月19日土曜日

中国と癌

ここのところ連日、ニュースではチベット問題と聖火リレーの話題で賑やかだ。中国といえば、毒餃子はどうなっちゃったんだろう?そんな中、上海での癌の予防運動のニュースがあった。

中国の新聞によると、2008年4月15日「第20回上海市腫瘤予防治療宣伝週間」がスタートしたという。2008年のテーマは「合理的な食生活、日常的な運動、癌の予防治療」となっており、癌の予防が重要な課題だそうだ。(ニュースはこちら

日本でもメタボ健診が4月からスタートしたが、中国でも似たような事情を抱えているようだ。

上は上海市のニュースだが、中国全土ではどうかというと、毎年約220万人が癌を発病、死亡者は160万人に達するそうだ。

数字が大きすぎてピンとこないが、参考までに日本の現状を並べると、日本では毎年60万人がガンを発病し、30万人が死亡していわれている。日本も中国も患者の統計はそれほど厳密に集計されているわけではないが、傾向はそう大きくは離れていないのだろう。

ざっと比べると、日本に比べて発病者が3.7倍、死亡者が5.3倍になる。中国の人口は約13億人で、日本のほぼ13倍だから、人口比率でみると日本の方が厳しい数字になるが、厳密に統計をとればもっともっと深刻な数字になるだろうと思う。

今の中国は日本の高度成長の時代に似ており、企業からの水質・大気等公害による影響が大きく、加えて食品から摂取する有害物質がその原因だといわれている。そのどれをとっても、中国国民が被害を受けるばかりでなく、隣国にも影響が及ぶのだから、真剣に対策を講じてもらわないと周辺国は堪ったものではない。

2008年4月16日水曜日

定期健診

本日(4/16)は4月2回目の定期検診だった。

病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:00の検診を待った。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=35(基準値10~40)、GPT=40(5~40)とGPTが基準値の上限ではあるが、自覚症状もないし、先生の説明でも問題なしだった。
・白血球の数値は4,450(正常範囲3,900~9,800)で、毎回バラツキはあるものの、正常範囲に戻った。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは昨日までで98錠服用した。
副作用として心配される、肝臓の数値は服用している薬(プロへパール)の効果か、ほぼ安定している。

湿疹は胸、腹などに見られる。それでも以前隔日で服用したときよりはずっと軽い。この湿疹はかゆみがなく自然に消失し、また別の湿疹が現れる。ただ、全身の皮膚が乾燥気味になって、そのせいかあちこち(場所は不定)にかゆみが出て掻くので掻き傷ができる。イレッサの副作用で皮膚が乾燥しやすくなるということなので、そのせいかもしれない。帰りに皮膚科に寄って、かゆみ止め(付け薬+飲み薬)を処方してもらった。

次回検診4月30日(水)。午後MRI撮影(脳への転移の確認)

2008年4月14日月曜日

長寿医療制度

後期高齢者医療制度、未だに毎日大ブーイングがやまない。大変評判が悪く、野党3党は廃止法案を提出し、全国500を越える地方議会が撤回を求める意見書を提出したという。

監督官庁もどうも気が進まないのか、周知徹底がいまひとつで、該当する高齢者がその保険の存在を知らなかったり、4月1日からスタート時点でも新保険証が届かない人が63,000人もいたり、散々な有様だ。

1年ぐらい前だったか、最初にコーキ高齢者の医療制度と聞いたとき、「コーキ高齢者?」ピンとこなかった。「高貴」な人の保険?などと思った。高齢者に前期と後期を作るなんて凡人にはちょっと思いつかない。聞けば聞くほど嫌味で無神経な命名だ。

政府も「さすがにこれはひどい」と気が付いたのか、「長寿医療制度」と名前を変えたが、それが新制度発足の日の4月1日だというからあきれるばかりだ。未だに新聞やテレビはそんな名前は使わない。今の政府は何ごとも後手後手だ。

発案者の「厚生・・省」の厚生という言葉は「生活を健康で豊なものにする」という意味だが、本当にそのような仕事をしているのだろうか?薬害、年金・・・どれをとっても、そのお仕事ぶりの評判は褒められないものばかりだが。

この制度発足の背景は高齢者の医療費が増加して、今後少子高齢化が進むと医療費は破綻しかねない。従ってお年寄りにも相応の負担をお願いするということのようだ。

コスト意識は必要だが、それを医療の分野に求めるのはちょっとおかしい。しかも収入のない高齢者本人にそのツケを押し付けるのは酷だ。この制度に該当する年齢の先輩方は戦後の日本を経済大国に押し上げた功労者、感謝するどころか厄介者扱いにするのでは日本も三流国以下に成り下がったといわざるを得ない。

今の世の中には巨額な無駄使いがたくさん潜んでいる。国民は皆それを知っているのに、政治家はなぜそれを正せないのだろうか?

利権に群がる官僚と政治家が支配する国の姿に早くメスを入れなければ国民はいつまでたっても浮かばれない。

2008年4月11日金曜日

吉祥三宝

「吉祥三宝」この名前を聞いて、すぐ分かる人はよほどの音楽通か、中国通か、映画通か、のどれかだと思う。まずは下の曲を試聴してみてください。

http://www.xuanxuan.com/flashmtv/mtv1985.html

歌詞の意味が分からないので、特別感動を受けるような曲ではないけれど、何となく耳に残る歌である。そんなことから、日本でも人気急上昇中で、携帯の待ち受けに使用する若者が多いと聞く。

モンゴル民謡特有の旋律を用いて、両親と娘のほのぼのとしたやりとりを歌った当作品、ほんわかしていて、子どもの問いかけに答える両親の返事が、素朴ながらたっぷりの愛情が感じられる。

もともとこの夫婦は内蒙古ホロンバイル大草原の歌い手で、この「吉祥三宝」は夫のブレンバヤル氏が13年も前に愛娘のために書いた曲。そんなブレンバヤル氏が2005年に自分のファーストアルバム『天辺』を制作するにあたり、「吉祥三宝」を収録しようと思い立ったものの、当の娘は既に大人。あどけない子どもの歌を収録するために歌が上手な姪のインガマーちゃん。そこで夫婦+姪というユニットが完成したそうである。

お隣中国では昨年から大ヒット、驚異の2500万ダウンロードを記録し、数々の賞を受賞した。香港、台湾でも大ヒットしているという。日本では2月にシングルリリースされた。4月封切の「カンフー君」でも主題歌になったので、日本でも注目を集めているようだ。

サイトの「おまけ」に日本公演の際の映像を載せた。そこに日本語訳が出るので興味のある方はごらん戴きたい(但し、1週間程度で変わります)。

2008年4月8日火曜日

ハンフリーさんの俳句集

いつも私のブログに書き込みをしていただくハンフリーさん(「after you`ve gone」当サイトとリンク)。句集ができたから送付したいとの申し出を戴いたので、お言葉に甘えて早速メールを差し上げてご送付いただいた。

ご自身のブログにも披露されているので、俳句がご趣味のことは承知していたが、送付いただいた句集「花林」を拝見して、本格的に句を詠まれていることを知った。

残念なことに私自身が俳句の世界にまるで疎くて、その価値が判断できないので申し訳ないのだが、素人なりに一つ一つの句からその時々の背景が読み取れてわが身と照らし合わせて共感することが多い。
たくさんの句の中から私が好きな句を一部だけ紹介したい。

点滴チューブの半径に食って寝る

僧形は仮の姿ぞ点滴器

白血球戻らぬままに四月尽

点滴の視界はるかに花吹雪

どの句も、患者としての心境をよく詠んでいる。選者が批評の中で、「ハンフリーさん(実際は俳号)は通常は各句に季語を織り込み、十七音にきれいにまとめるが、この時期の句はいずれもその基本からはずれていて、治療という極限状態の中から搾り出された真の声を映し出している」と書いている。

私も昨年の今頃は抗がん剤を点滴するため、何度か入退院を繰り返したのでそれぞれの句を詠むときの気持はよく理解できる。

一時副作用で毛髪が抜け、坊主頭になったが、父の日に娘がプレゼンドとしてくれた作務衣を病院で着たときには、清掃のおばさんに「失礼ですが、お坊さんでしょうか?」と聞かれた。毎日の日課は点滴に耐えることと、極端に下がった白血球の数値とのにらめっこだった。

これらの句を読むと、病気で苦しんでいるのは自分だけではないということに共感を感じて慰められる。同時にどんな環境にあっても、このような没頭できる世界を持つということは意味のあることだということも感じる。

今回の句集は昨年に時期を限っているので、ハンフリーさんの句は治療中の苦しさのみを詠った句ばかりが集められているが、次の句集には病気か治癒して、日常の楽しさやうれしさを詠った句集を見てみたい・・・と願う。

2008年4月6日日曜日

近所の桜


我が家の近辺での桜風景をご紹介する。ここは私がよく散歩に行く途中による場所である。この辺では桜のピークは先週の休日ぐらいだったので、今日はややピークを過ぎて葉桜ではあったが、幸いの好天に恵まれて結構な人出だった。

写真の場所は国道一号線(写真の左側に見える道路)沿い、沼津から西方向に約7~8キロ過ぎたあたり、1号線の側道沿いに数キロに亘って桜が咲く。1号線を車で通るとつい桜に見とれてしまう。今は車を走らせながら桜が楽しめるが、1週間後ぐらいには一斉に桜が散って1号線の道路上に桜の花びらのじゅうたんができる。その花びらを車が巻き上げるので、正に1日中桜吹雪となる。これも今やこの近辺の風物詩である。

この近辺に江戸時代の白隠禅師が起こした松隠寺という名刹があり、その寺と地元が共催で毎年今頃は「さくら祭り」が行われる。お寺の境内でカラオケ大会が行われたり、婦人会のきれいどころの踊りなども披露される。

私がかつて住んでいた東京ではお花見は盛んだった。上野公園を始め、飛鳥山、千鳥が淵、洗足池、芝公園等々名所がたくさんある。職場の仲間や家族連れで食べ物や飲み物を持って桜の花の下でひと時を楽しむが、ここ沼津の近辺はお花見はあまりポピュラーな行事ではないように見える。家族連れのお花見は本当に花を見にいくだけ、宴会をする人もいることはいるがその数は少ないようだ。桜の花を楽しむことに変わりはないが、その楽しみ方に土地柄があって面白い。

会社などではこの季節は新入生歓迎があるが、この辺では花見よりむしろ網引きの方が好まれるようだ。現役時代は何度も体験したが、朝暗いうちに集合して近所の網元に頼んで網を張ってもらい、皆で曳いてシラスやタコなどの獲物を魚に宴会をする。

2008年4月4日金曜日

ガソリン価格

一昨日(4/2)、病院へ行く途中、この近辺のガソリン価格はどうだろうとガソリンスタンドの表示価格を見ながら車を走らせた。

30分の道程の中に、ガソリンスタンドが10店があった。2店が表示なし。残りはすべて値下げして、最安値128円が1店、130円が6店、132円が1店だった。表示のなかったスタンドも今頃は値下げした価格を出しているだろう。

私の場合はあまり車を使わないので、1ヶ月に1回程度しか給油をしない。当分は入れる予定はないが、もし入れるとなるとやはり安い店へ行く。1~2円のことならどこでも良いが、1リットル25円となると大きい。

でも、ガソリンが安いからといって手放しで喜べない。元売りからの補助の対策はあるようだが、1週間程度はすべてスタンド経営者の自腹だということを知っているだけに複雑な心境だ。

もともと石油業界は何年も前から毎年のようにこの「ガソリン税の暫定税率を本則の1リットル28円に戻す」よう政府・自民党に陳情しているそうだ。しかし、当然聞き入れられてはいない。その業界が今回のような政治ドタバタのあおりを食らうのは誠にお気の毒としか言いようがない。

自民党はまたこの暫定税率を元へ戻そうとしているが、それがなくてももともとガソリンには「揮発油税」と「地方道路税」を合わせたガソリン税が28円かかっている。これでも十分高い税金だ。

それでも日本は税金で成り立つ国、税金がなければ何もできない。一般財源化を含めた良い使い方の道筋が納得できるものならば国民もガマンするだろう。

特に本当に必要な道路だけに絞ること、お役人の無駄遣いをどのようになくすのか、利権構造を正す具体策を示すことは最低限必要だろう。

2008年4月2日水曜日

定期検診

本日(4/2)は定期検診だった。

病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:00の検診を待った。やや早めに呼ばれたので、その後の会計、薬の受け取りを含めて病院を11:30に出られた。病院から、自宅までは30分、今日は11:10から松坂登板の野球中継が見たかったが、テレビをつけると、4回以降が見られた。最初からではなかったが、今日は「良い方の松坂」だったので、気分は満点だった。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=30(基準値10~40)、GPT=45(5~40)とGPTが基準値をやや超えていた。ただ、この程度だと自覚症状もなく、心配は要らないという説明だった。
・白血球の数値は6,650(正常範囲3,900~9,800)で、今までよりはずいぶん良くなっている。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは昨日までで84錠服用した。
副作用として、肝臓の数値がやや高いが、それを抑える薬(プロへパール)を平行して服用しているせいか、前回と同じ程度。

イレッサの副作用らしき湿疹が胸の辺りにいくつか出ている。この湿疹はかゆみがなく以前の例では自然に消失するのであまり気にならない。但し、この湿疹が人によっては顔に出る場合があって、その場合はニキビのようなのできっと気になるだろう。

それよりもアレルギーなのか加齢による皮膚疾患なのか、手や足や背中など場所は不定でかゆみが出ることがある。イレッサは皮膚乾燥を起こしやすいので、これも副作用なのかもしれない。ただ、生活に支障が出るほどではないので気にしなければ軽症といえる。

次回検診4月16日(水)。4月から5月にかけて定例のCT、MRI、PET-CTの検査を行う。

2008年3月31日月曜日

花見の思い出

桜は既にあちこちで満開を迎えており、桜前線は北上中のようだ。テレビニュースでは上野公園の桜がよく取り上げられる。

上野公園は毎年花見に170万人が訪れるというから大変なものだ。29日の土曜日だけでも20万人を越えたという。

この時期には近辺のホームレスが花見会場に集合する。ご馳走や飲物がたくさん残される。それに最近はアルミ缶はゴミ置き場からは持ち去ることができなくなった。花見会場では簡単に手に入るので最高の稼ぎどきになるようだ。

上野公園の花見といえば苦い思い出がある。
20年ほど前のサラリーマン時代、東京へ転勤になったばかりの4月、職場で恒例のお花見に参加した。若手が昼間から場所取りをして、結構良い場所で気分よく花見をした。

皆車座になって、ゴザの上で宴会が始まった。4月といっても花冷えで結構寒い。コートを着ていて、それを脱いでカバンなどと一緒に自分の後ろに置いた。

宴も盛りを過ぎて、さあ帰ろうというとき、コートを着ようとしたら置いた場所にコートがない。人が間違えたのなら、代わりがあるだろうからしばらく待ったが出てこない。どうやら盗まれたようだ。新調したばかりのコートだっただけに悔しい思いをしてすっかり酔いがさめてしまった。1ヶ月と経たないうちに同じコートを買うとき、家内にさんざん嫌味を言われたが、このときばかりはじっと我慢の子になった。

酔っ払いが持ち帰ったか、ホームレスの仕業か定かではないのだが、ホームレスがブルーシートの中でネーム入りのコートを毛布代わりにしているところを想像して悔しい思いをしたものだった。

お花物シーズンになってニュースで上野公園の風景が流されるたびに、このことが夫婦の間で笑い話になる。

2008年3月28日金曜日

肝炎検査

血液製剤「フィブリノゲン」の投与でC型肝炎を発症した薬害問題は国が補償する事で和解した。

この問題ではニュースを見ながら私も少々気懸りなことがあった。というのは約30年前に蓄膿症の手術をしたからである。当時の手術は片側の手術をして、1週間後にもう片側の手術をした。たかが蓄膿症といっても3週間を越える入院で結構大変な思いをした。

手術前の注意で手術中の血液は決して飲み込まないようにといわれたが、つい苦しくなって飲み込んだら、案の定手術後に嘔吐したことを憶えている。全体にそれほどの量の出血は伴わなかったので、輸血もしなかったと思うし、血液製剤などは使わなかったように記憶するが、何しろ年月が30年も経っているので確かなことは分からない。

家内との会話のなかで「念のため検査をしてみたら?」といわれた。近所の内科医院の待合室に肝炎検査を薦めるポスターが貼りだされていたという。そこで近所の内科医院に出かけた。検査といっても採血だけの簡単なもの。C型肝炎と一緒にB型肝炎のことも分かるということだった。検査料も本人負担1,000円ちょっとでできる。

本日はその結果が分かる日だった。医院に先日の血液検査を聞きに行ったところ、結果はC型肝炎、B型肝炎ともに「白」だった。

別に不安があったわけではなかったが、思い切って白黒つけることでずっと安心していられるので、無駄ではなかったと思っている。

もし、心当たりがあるような人は、ぜひ検査を受けることをお勧めしたい。

2008年3月26日水曜日

酸蝕歯

最近のテレビCMで、よく「酸蝕歯(さんしょくし)」という言葉を耳にするようになった。この言葉、以前は殆ど聞かず、最近になって聞くようになった言葉だ。新聞で「アメリカテキサス大学等の調査研究では10~14歳の児童900人のうち30%に酸蝕歯が認められた」というニュースを読んだ。日本人にもその傾向が増加していて、ある歯科医によると、患者の6人に1人にその傾向が見られるということだ。

酸蝕歯は、清涼飲料、スポーツ飲料、一部の果汁およびハーブティーなどのごくありふれた製品に含まれる酸が原因となって生じるようだ。これらの飲料に含まれる酸の侵蝕性が高いと、虫歯の原因菌は生きられないかわりに、酸蝕歯になりやすいという。また、アスピリンのような薬剤の定期的な使用や、酸逆流症、嘔吐を繰り返す摂食障害も胃酸によって酸蝕歯を引き起こすことがあるようだ。

酸蝕歯になると、歯の先端が透明になったり、黄色に見える。また歯の先端がひび割れたり、ざらざらになる。重度になると、知覚過敏になり、抜歯をしなければならなくなる。

食べ物が西洋化することで歯の病気も多様化している。食事の中心は伝統的な和食、飲み物は熱いお茶というのが最も健康的に過ごすポイントのようなのだが・・・。

ところで話は違うが、日本の食料自給率が39%ということが問題になっているが、米を中心にした和食にすると自給率は一挙に70%を越えるという。この際、メタボ対策と一緒に、和食中心の運動でも起こしたらどうだろうか。そうすれば酸蝕歯の問題も一挙に解決すると思うのが。

2008年3月24日月曜日

桜の季節

今朝はしとしとと降る雨音で目が覚めた。今頃は桜と晴天のイメージが強いが、「菜種梅雨」という言葉もあるように雨が多い季節なのだそうだ。

寒いときは暖かくなるのを待ち、夏は夏で涼しくなるのを待つ。日本の四季はそれぞれに趣がある。

「1年でいちばん好きな季節は?」と聞かれると、私の場合は即座に春と答える。

長い一生の間には悲しいこと、うれしいことがたくさんある。悲しいことは早く記憶から消し去りたいが、うれしいことは記憶に留めたいものだ。それでも心の底からうれしかったことはそうは多くない。

私の場合は、今まで生きてきた中で、記憶に残っているうれしい出来事はいくつかある。結婚、出産、子供の入学、七五三・・・。

そのなかでも、大学に合格した春のあの喜びは忘れることはできない。高校3年生のときは不合格となって、1年浪人して受けた受験で合格したときは今までの抑圧が大きかった反動もあってか、普通とは桁の違う大きな喜びは47年たった今でもはっきり記憶に残っている。

当時はテレビが各家庭に普及し、我が家でも買いたいという兄弟達もいちばん末っ子の私の受験勉強の妨げになるといって、皆でガマンしてくれた。

発表の後、隅田川を散歩したとき、満開の桜が自分を歓迎してくれているような気がしたものだった。

人はそれぞれの物語を持つが、桜の時期は花の美しさだけではなくて、そこにある出会いや別れと一緒に記憶に残っていることが多いようだ。

2008年3月21日金曜日

フライドポテトに発がん性?

娘がネットを見ていて、「こんなのがあったよ」と情報を送ってくれた。タイトルは「揚げる前に水に浸すことでジャガイモの発癌(がん)物質を軽減」(情報はこちら)。

食品では魚のおこげとか、塩辛いもの、油物を多く取ると、ガンになりやすいということは聞いているが、ジャガイモに発がん性があるということはあまり聞いたことはなかった。

ところがその情報によると、どうもジャガイモなどでんぷんを多く含む食品に存在するアクリルアミドに発がん性があるらしい。

その物質はジャガイモなどでんぷんを多く含む食品を揚げる、蒸す、焼く、あぶるなど、高温で調理する際に形成されるようだ。アクリルアミドはさまざまな食品に含まれていて、健康に悪影響を与え、動物で癌を発生させることを示唆する研究もあるという。実験ではジャガイモを揚げる前に水に浸すことにより、アクリルアミドの形成を抑えられるということらしい。

研究では、揚げる前にジャガイモを洗う、30分間水に浸す、2時間水に浸すの3種類のアプローチが試みられ、それぞれアクリルアミドのレベルが23%、38%、48%低減することが明らかになった。ただし、これは軽く揚げた場合の結果であり、キツネ色になるまでしっかり揚げた場合にも同様の効果があるか否かは不明。

発がん性であるからといって、それを食べたらガンになるということもないので、それほど神経質になる必要はない。もしそうなら、ジャガイモを多く食べるドイツや、日本なら北海道などにがん患者が多く発生してしまう。マックの好きな最近の若者だってフライドポテトでがん患者が多く発生してしまう。

そんなこともないようなので、知らないよりは知っていた方がよいという程度に考え、何ごとも過ぎないようにするということが良いようだ。

2008年3月19日水曜日

定期検診

昨日(3/18)は定期検診だった。

病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:00の検診を待った。ロビーには立派な段飾りのお雛様が飾られている。一般家庭で今頃お雛様が飾られていると、婚期が遅れると気になるところだが、ここは病院、多くの患者や来客の目を楽しませている。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=46(基準値10~40)、GPT=38(5~40)と基準値をやや超えていて、イレッサの副作用が若干出ているようだ。ただ、この程度だと自覚症状もなく、先生からも心配は要らないという説明だった。
・白血球の数値は3,720(正常範囲3,900~9,800)で、正常範囲よりやや低い。前々回は一度だけ許容範囲内に戻ったが、それ以外は正常範囲に達していない。やはり常態でも低い状態になっているようだ。これも特に自覚症状はない。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは昨日までで69錠服用した。
副作用として、肝臓の数値がやや高いが、それを抑える薬(プロへパール)を平行して服用しているせいか、前回と同じ程度。次回の検診までに副作用がひどくなるようなら先生に連絡をする。

イレッサの副作用らしき湿疹が腕と足に少し出ている。ここ2~3日暖かくなって、背中など皮膚がややかゆいが、副作用なのか、アレルギーなのか、あるいは老人性疾患なのか不明。生活に支障はない。
皮膚疾患は前回の服用時に比べて、非常に軽い。服用前は皮膚疾患をいちばん心配したが、2ヶ月以上同じ状態が続いている。

次回検診4月2日(水)。

2008年3月17日月曜日

サイト開設3周年(続)

今やブログ全盛の時代、誰でも無料で簡単にブログを作れる。3年前はもちろんブログはあった。私が知らなかっただけかもしれないが、あまり一般的ではなかったように思う。最近は超多忙な政治家や芸能人なども簡単にブログを公開している。たった3年なのに、この進歩の早さには今さらながら驚かされる。

3年前ホームページをスタートする際、レンタルサーバーはlolipopをお借りして、そこへ自分が作ったサイトを転送した。ダイアリーと掲示板もLolipopに付属するもので作った。掲示板は途中から、商用の書き込みや外国から英文の宣伝などが書き込まれ、削除に追われたのでやむなく廃止した。ダイアリーも古いスタイルだったせいか、使いにくいことがあったので、今のブログに変えた。ブログはgoogleのbloggerを使い、ホームページからそこへのリンクを貼った。

このブログがなかなかの難物である。
病状の記録だけだと、私の場合2週間毎の定期検診で、病状もあまり変化がないので、月2回程度しか記事が書けない。これでは休眠状態に近いブログになってしまう。

そこで、多少は常に動きのあるブログにするために、タイトル「tamyのつぶやき」の通り、普段新聞や本を読みながら、テレビを見ながら、外を歩きながら、つぶやいていることを記事にするようにしている。そこには一貫性もまとまりもないが、その点はご勘弁いただきたい。

怠け心を出すと、何日も記事は書けない。自分への負荷をかける意味で(言いか変えるとボケ防止?)2~3日に1回は記事を書こうと自分に言い聞かせている。

もともと、文章は苦手な分野。技術系に育ったせいか、きれいな文章を書こうという発想そのものがなく育った。現役時代は技術レポートやクレームの謝罪文ばかり、手際よく、正確なことは心がけたが、文学的な気の利いた文章などはとても書けない。書き終わった文章を読み直す度に、「う~ん、つまらない」と思いながらも、面白い文章が浮かばず時間切れで記事をアップする。

最近の若手女流作家などの文章を読むと、どうすればあんな文章が思い浮かぶのだろう・・といつも思う。これも持って生まれた才能なのだろうかと感じる。

この歳になると、才能や能力は変えられそうもないので、今後も今までのペースで続けるしかないようだ。

2008年3月15日土曜日

サイト開設3周年

サイト「tamyのつぶやき」の右上に「since Mar.15 2005」と書いてあるが、今日はサイトを開設して、ちょうど3年のアニバーサリーに当たる。
 
スタートした2005年は再発が告げられて半年、ⅠB期からいきなりⅣ期になってしまって、気落ちをしている時期だった。なにしろ、過去のデータを見るとⅣ期は5年生存率が3%である。正直言って自分の余生はあと何年だろう、いや何ヶ月だろうと考えていた時期であった。今年の4月は告知から5年、6月には手術から5年、8月には再発から4年になる。もしかしたら、5年生存率3%の中に入れるかもしれない。

サイトの右上の「初めてご訪問の方へ」にも書いているように、サイトを立ち上げた第一の目的は同じ病気の方々に私の病状や経過を見ていただくことで、闘病の参考にしてもらいたいということであった。

もうひとつそこには書いていない目的もあった。それは闘病をする上での自分自身への目的意識を与えることだった。

サイトを作ること、及びメンテナンスをすること、ブログを書くこと・・・いずれも結構なエネルギーがいる。その道のプロなら簡単に作れるのだろうが、インターネットについては全くの初心者だった。

サラリーマン時代は主に生産、技術関係の仕事をしていて、業務上必要な技術レポートをWORDで書いたり、管理上のデータをEXCELLで整理したり、発表用にPOWERPOINTを使ったり・・・OFFICEのお世話にはなって
いたので、パソコン初心者ではなかったが、ネットや通信の知識は全く別物だった。

2005年の正月にサイトを立ち上げようと思い立って、早速IBMのホームページビルダーをアマゾンで購入して、マニュアル片手に取り組んだ。内容をWORDでまとめながら、サイトを作ることに取り組んだ。

今ならブログが普及しているので、必要はないが、当時は内容はできても、やれレンタルサーバーだの、そこへ転送するだの、今までの知識ではチンプンカンプンのことがたくさんあった。

自分の労作が公開されるということは結構うれしいものである。展覧会に自分が描いた絵を出すような感じだろうか。その約3ヶ月は毎日が楽しくて、病気であることを忘れて没頭したものだった。

そのことがガン細胞に「ちょっと待ってね」と囁くことにつながったのかもしれない。病気になったら、ともすると病気に負けそうになるものだが、何か没頭することを持つことは必要かもしれない。といっても、それがストレスになるようでは逆効果なのだが・・・。

そんなこんなで、皆さんの目の前にサイトが登場したのが、5年前の今日ということになる。当初は今考えると、お恥かしい内容だった(今もそうだが、それよりずっと)。

その後、文章を足したり、体裁を修正したりして今の形になった。プロが作るものと比べると、いかにも素人くさい素朴なスタイルだが、そんなこともかえって好感を持たれるのではないかと・・・勝手に考えている。

これからもこの調子は変えられないので、どこまで続くかは自分では決めてはいないが、病状が悪くなってもベッドへパソコンを持ち込んで最終日まで続けばいいかなとは思うが、その時になるとどうなるか分からないので、約束はしない方がよさそうだ。(続く)

2008年3月12日水曜日

迷走するお隣の巨人

今週の始め、北京オリンピックの代表選手が決まった。

選手にとってはこんなうれしいことはないだろうが、場所が北京だということで気持は複雑だろう。

日本代表が決まったニュースの一方で、前から心配していたことが現実問題となった。それは男子マラソンの世界記録保持者、エチオピアのハイレ・ゲブレシラシエ選手が10日、北京五輪同種目への欠場を正式に表明したというニュースだ。現在の北京の汚染状況では42キロを走るのは難しいというのがその理由のようだ。

選手にとってはオリンピックは最高の晴れ舞台、恐らくは一生に一度のチャンスを得ながらも、自ら辞退せざるをえないというというのはさぞかし無念だろう。

「食の安全」問題も「毒入り餃子事件」を見れば分かるように、中国政府の対応は解決の方向どころか、ますます混迷な方向へ向かっているように見える。

野球の星野監督は選手の体調に不具合が生じないように、食料を持ち込む考えを示しているという。オリンピックが近づくにつれて、関係者は頭が痛いことだろう。

この夏、オリンピック開催までにはまだまだ波乱がありそうだ。本当に開催ができるのだろうか?ひとことでいえば、中国でのオリンピック開催は時期尚早なのだろう。

オリンピック出場の選手達は、オリンピックが終わって自分の国へ帰れば大気汚染から逃れることができるし、中国から食材を輸入している国は買わなければ済むが、いちばん気の毒なのは中国に住む13億人の人たち。今の状態は日本でもかつて経験した。大気汚染、河川汚濁、土壌汚染・・・経済成長の副産物、これを何倍にも拡大した姿が今の中国なのだろう。食物も空気も河川も今の状態では、いつになったら「苦難」から開放されるのだろうか? 
オリンピックを契機に公害問題も食糧問題も根本的な解決に乗り出すというなら諸外国も見守る姿勢を持つのだが、どうも軍事にばかり力を入れているようで、いずれも本格的な対策を採ろうという姿勢が感じられない。中国の問題は隣国の我が国への影響も大きい。早く迷走をやめてもらいたいものだ。

2008年3月10日月曜日

外国人の看護師

日本政府はインドネシア、フィリピンと看護師・介護福祉士を受け入れる合意をしているが、その第一陣がインドネシアから年内にも来日するようだ。(情報はこちら

病院現場への外国人の受け入れは、看護師不足の解消につながるとの期待が大きい反面、来日するのは国家試験の合格を目指す研修生。即戦力ではない研修生の受け入れには6割が消極的で、「未知の制度」に対する現場の懸念が大きいようだ。

私もこの病気になってから、この数年の間に何度か入院を経験したが、看護師不足は肌で感じた。がん患者は年を追う毎に増加し、入院患者も順番待ちをしているということを聞く反面、入院しているとあちこちに空きベッドが目立った。それはいずれも看護師不足が原因のようだった。
この病院で起きているということは、全国の医療現場ではどこも同じ問題が起きていることは想像に難くない。どうやらこの問題は一時的ではなくて、慢性的な問題であることは間違いないようだ。

昨年の入院で気がついたことは、男性の看護師が増えたことだった。女性の看護師が不足していることと、男性の中にも看護師希望者が増えてきた結果なのだろう。私の若い頃には想像もできなかったことだ。

将来的に見ても看護師不足を解消する目途が立たないなら、外国からの看護師受け入れはやむを得ないように思う。患者の立場からいわせてもらうと、男の看護師がいるのだから、外国人の看護師がいたっておかしくはない。でも、日本人と同じように意思が通じるような教育だけはしてもらいたいものだ。

工場などの3K職場では外国人を多く受け入れている。ただ、現在のように不法残留や、研修生のようなイレギュラーな形では問題が多すぎる。人手不足の問題解決のためだけに人を放り込むだけでは長続きしない。国や地方自治体がバックアップ体制を十分に考慮して、長期的観点で取り組まなければ、現場は手助けになるどころか、混乱するばかりになるだろう。

2008年3月7日金曜日

消費期限

昨今の「食」はまことに不安だ。質についても、量についても、価格についても・・・。まだ農業の盛んだった昔の日本に比べると、何かが狂っているように思えて仕方がない。

我が家では家内も娘達も賞味期限は気にする。冷蔵庫の中に賞味期限が過ぎた食品を見つけると、すぐ廃棄する。日本中のコンビニやスーパーで毎日棄てられる弁当や惣菜は相当な量のようだ。回転寿司で時間を過ぎた皿も破棄される。その種の食料を回収、肥料として作り直して再利用する工場も稼働中とか。

毒餃子の事件は論外としても、賞味期限、消費期限等での大騒ぎには若干の抵抗を感じた。私は戦後の食糧難時代を生き抜いたせいか、期限のラベルを張り替えた事件などはそれほどの深刻さは感じずに、むしろ日本人の贅沢さの方に不安を感じてしまう。

不二家、赤福等々消費期限を過ぎた食品をごまかした事件は悪いことに変わりはないが、カメラの前で頭を下げる経営者を見ていると、何か気の毒に感じてしまう。食品会社の中には、まだ使える食材を前にして、思い切って棄てるということができない人もたくさんいたのだろう。

私の子供の頃には賞味期限も、消費期限もなかった。もっぱら,鼻センサーと腹センサーが頼りだった。食品を残したり、棄てたりしたら親の世代からこっぴどく叱られたものだ。

昔に戻れというつもりはないが、私には賞味期限だとか、消費期限だとかたくさんの無駄を生む、ややこしい法体系に問題があるように思えてならない。だから、マスコミは事件を起こした会社の幹部ばかりを追いかけないで、法体系を放っておくお役人や政治家の意見を聞いてもらいたいと思ったりした。

私と同じように考える人も多いらしく、首相の諮問機関である国民生活審議会では現在食品表示に関する複数の法律を一つにまとめて、新しく「食品表示法」(仮称)を作るという提言を用意しているようだ。賞味期限、消費期限という分かりにくい期限表示を「消費期限」だけにまとめるということになるようだ。

2008年3月5日水曜日

定期検診

本日(3/5)は定期検診だった。

病院到着9:30。採血、レントゲン撮影を済ませて、11:30の検診を待った。

【診察結果】
・肝臓の数値はGOT=50(基準値10~40)、GPT=62(5~40)と基準値をやや超えていて、イレッサの副作用が出ているようだ。ただ、この程度だと自覚症状もなく、心配は要らない。
・白血球の数値は3,600と正常範囲(3,900~9,800)で、正常値より低い。前回は許容範囲内に戻ったが、今回はまた下がった。やはり常態でも低い状態になっているようだ。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは今朝までで56錠服用した。
副作用として、肝臓の数値がやや高いが、それを抑える薬(プロへパール)を平行して服用しているせいか、前回と同じ程度。次回の検診までに副作用がひどくなるようなら先生に連絡をする。

イレッサの副作用らしき湿疹が腕に少し出ているが、前回からの変化は殆どない。皮膚疾患は前回の服用時に比べて、非常に軽い。皮膚科に寄って、皮膚疾患がひどくなった場合の付け薬をもらった。
レントゲンはイレッサの副作用としての肺炎等をチェックしている(ガンはレントゲンには写らない)が、今までに異常が出たことはなく、今回も異常なし。

次回検診3月18日(火)。

2008年3月3日月曜日

B級グルメ

最近、テレビや雑誌などでB級グルメという言葉を頻繁に目にするようになった。地元静岡にも富士宮やきそば、静岡おでん、浜松ぎょうざなどが全国的にも有名になっているようだ。日本全国どこにも同じよう地元に根付いた郷土料理がある。

我が家の食卓にも、昼食などに富士宮焼そばが登場することがある。他の地区の焼そばとどう違うか?そばの製法が違うようで、やや固くて歯ごたえがしっかりしているのが特徴だ。静岡おでんは黒はんぺんや牛すじ肉が入っている点が特徴。

私は20歳を過ぎて当地に来たので子供時代は知らないが、家内は地元育ちなので、駄菓子やにこの静岡おでんがあって駄菓子を買うついでにおでんを食べたという。これらは昔から郷里に根付いていて、その地方の伝統と一体となっている。

ところで、「B級グルメ」という名称は誰が付けたのか知らないが、私にはセンスのないネーミングに思えて、どうも好きになれない。

それに、元々グルメという言葉は美食家とか、食を楽しむ「人」のことを指して使っていたように思う。今使われているB級グルメという言葉は料理自体を指す言葉なので、使い方も間違ってはいないのだろうか?

それに料理にA級とか、B級とかランク付けをすること自体に抵抗を感じる。高い、安いはあるが、それは料理のランクではない。ミシュランの三ツ星レストランに行く人も毎日それを食べるわけではない。家庭に帰ったり、故郷に帰ったときには郷土の料理をおいしく戴くはずだ。比較するものではなくて全然別物だと思うのだが。

今年のサラリーマン川柳の中に「ミシュランよ 手が届くのは ガイドだけ」というのがある。私もその口だが、そうかといってひがんで言っているわけではない。

B級なんてネーミングはやめて、郷土料理とか、庶民料理といった特徴を現すものにしてもらいたいものだ。

2008年3月1日土曜日

2月29日の誕生日

つい先日まで、やれクリスマス、お正月といっていたと思ったら、もう今日から3月、正に「光陰矢のごとし」。最近は矢どころではなく、映画「マトリクス」の映像に出てくる銃弾のように日が過ぎて行くような気がする。

昨日は4年に一度の2月29日。散歩をしながら「今日誕生日の彼、今頃どうしているかな」と、サラリーマン時代の後輩であったその人のことを思い出していた。

大分以前のことだが、2月29日は4年に一度しか来ないので、「君、毎年のお誕生日はどうしているの?」と彼に聞いたことがあった。すると、その答は4年に1度、盛大に4年分を祝ってもらってるということだった。

しかし、子供時代には誕生会的なものは4年に1回ではなく、毎年28日か1日には簡単に祝ってもらったようだが、熱が入らずどうしても略式になるので、4年に1回の29日が通常年よりも盛大な誕生会をしてもらえる分、得をしているような気がしたと言っていた。

そして、本人は意識して、人とは違うのだからということで、プレゼントをちょっと高めのものを要求すると、大体は通っていて得をした気分だったということだった。まあ、親の方もかわいそうだという気持があって、多少の無理をしたのかもしれない。

そして、子供の頃には友達からは12歳でも4歳じゃないか等とからかわれるのがいやだったそうだ。もっとも大人になってからは、4年に1つ歳をとるならありがたいが・・・と思うようになったそうだが。

その人とはずいぶん会っていない。今頃どうしているんだろう。誕生日が4年に1回だと、こうして人の記憶に残るので、それも得なことかもしれないと考えたりした。

2008年2月28日木曜日

死語の世界

先日「腰パン」のことを書いた。若い人は日常会話で普通に使っている言葉も世代が違うと外国語のように分からないということはよくある。新しい言葉が次々と生まれる反面、どんどん死んでいく言葉もある。

先日、23日の日経新聞に「死語の世界」という記事が出ていて面白かった。「死後」ではなく、「死語」なのでお間違いなく・・・。

長く生きていると、言葉は次から次へ生まれては死んでいく。若かった頃は年長の上司が古い表現をするといっては仲間で笑ったことがあったが、自分も年をとって、逆にその立場になって今度は笑われる番になって久しい。これは時代の流れとともに延々と繰り返されることなのだろう。

例えば、私が若い頃だから30年ぐらい前のことだが、会社の避難訓練のときヘルメットのことを「鉄かぶと」と言って、失笑を買った上司がいた。その上司はその後も山手線がJRになったのに「省線」などというので「それ古いですよ」などとよく訂正したことを思い出す。

上記の日経の記事によると、「社会の窓」「ナウ」「ヤング」「フィーバー」「生娘」がすぐ分かる人は、古い世代に入るようだ。ショックを受けた人は周りの若い人に聞いてほしい。これらは今では「死語」に入るそうである。

毎年年末に発表される「新語・流行語大賞」、今や国民的行事だが、皮肉なことに、ここで選ばれた言葉はすぐに消えるようだ。流行語は賞味期限も短く、次の年の正月までという説もあるくらいだ。

これだけマスコミやネットが普及している背景では、いろいろな情報がまるで洪水のように氾濫している。次から次から新語ができるということは、同時に消えていく言葉も多いということのようである。

2008年2月26日火曜日

腰パン

家内と近所のスーパーへ出かけたときのこと。家内が会計をしている間、壁の掲示板を見ていたら、買物客の苦情が貼ってあった。「夜、バイトが腰パンで荷物の出し入れの作業をしていた。不愉快になるので注意するように」と書いてある。

帰りの車内で家内と「腰パン」とは何かと議論となった。その結果、多分「腰パン」とは大分前からよく見かけるようになった若者がパンツ(ズボン)を腰まで下げていることではないか、ということになった。

家に戻って検索で調べてみたら推理が当たっていて、Wikipediaにも載っていた。元々の起源は、ニューヨークの監獄での囚人服の着方だったらしい。囚人服はたいてい大きめの物が用意されていて、ベルトの着用が許されていなかった。そこで自然とずり落ちてきて、それが後にヒップホップの間で流行したらしい。アメリカ南部の地方では、腰パン着用を禁止する条例が広まっているとか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B0%E3%83%91%E3%83%B3

先日散歩をしていたら、ちょっと前をひとりの男子中学生が歩いていた。その中学生、ジャージの上下を着ているのだが、ズボンが尻まで下がっている。しきりにその位置を気にして、上げたり下げたりしている。下がっているのを気にしているのかと思ったら、そうではないらしい。下がり過ぎないように、上がり過ぎないように位置を気にしているようだった。それにしても歩きにくそうだった。

もちろん全員がそうではないが、女の子もそういう子をよく見かける。美意識とは縁遠い不思議なことがはやったものだ。

我々の年代は、それを見て眉をしかめない人はいない。でも、考えてみたら若い頃は誰にでも社会への反発がかっこいいという時代がある。一種の「ハシカ」のようなもので、反抗期の表れなのだろう。注意をすれば余計に反発を招くだけ。放っておけば自然にその時期は終わる。

そういえば自分の中学生時代も決して不良ではなかったが、学生服の詰襟のホックをはずし、崩して着たり、高下駄を履いたり、手ぬぐいを腰に下げたり、帽子をきたなくしたり、いわゆる「バンカラ」を気取った時期があった。半世紀も前の古い話だが・・・。

2008年2月24日日曜日

サッカーの東アジア選手権

重慶で行われたのサッカーの東アジア選手権3試合とも見た。

結果はごらんの通り、韓国・日本・中国・北朝鮮の順位だった。それにしてもこの大会は後味の悪い大会だった。

特に対中国戦はひどすぎた。日本チームは元々開幕前からけが人が多く、ほぼ2軍に近いチームだったが、それでも中国とはレベルが違っていた。中国は日本のスピードについていけず、いわゆる「アフターチャージ」という足にタックルをかける反則が随所に見られた。サッカーは格闘技に近いので、闘争本能が強く出て、荒れた試合になることはよくあることだが、それだけに審判の役割が大切になる。中国戦で笛を吹いた北朝鮮の主審はひどかった。観客を恐れたのか、明らかに日本には不利になるような審判が数多く見られ、ハンドボールでの「中東の笛」に近い印象を受けた。

FIFAランキングでは今や日本チームはアジアでは最強になっている。
日本(35)、韓国(41)、中国(75)、北朝鮮(120)
この順位をみても、日本が出場しない大会には意味がない。中国チームに対して罰金が科せられることが決まったようだが、今回のような蛮行が繰り返されるようなら日本はこの大会をボイコットをすべきだ。選手達は皆プロなので、こんな大会で傷つけられるようなことがあると、メシの種を失って気の毒である。

2年前、同じ重慶で行われたアジアカップで現地中国人の観客の異常な行動が記憶に新しい。私が今回のこの大会に興味を持った点は、中国が今年のオリンピックを控えてどう変わっているかだった。

結論からいうと、中国は少しも変わっていない・・ということだ。環境、食品の安全、海外へのゲストへの対応等々どれを取っても心配だらけだ。

イギリスの女子マラソンのラドクリフ選手などは防毒マスクを付けて練習をしているという。オリンピックの直前練習は日本でする国が多いらしい。選手村での食事は自分達で持ち込む・・・もしかしたらオーバーに伝えられているのかもしれないが、こんな話は未だかつて聞いたことがない。例え話半分でも、こんな状況で参加する選手達はたまらないだろう。

中国でのオリンピック開催は、まだ10年ぐらい早いのではないだろうか?もっとも10年たったらどうなっているか分からないが・・・。

2008年2月22日金曜日

東海林さん

毎日の散歩は歩いている途中が退屈なので、お供としていつも携帯のラジオを聞いている。地方のローカルFM局では若いお嬢さんがディスクジョッキーをしている。元気が良くて明るいのだが、聞いていて、時々「ん?」と思うことがある。

昨日聞いたディスクジョッキーでのこと。「次の曲はトウカイリンさんのリクエストにお応えします」という。トウカイリンさん?想像するところ「東海林」と書くのだろうが、もしかしてショウジさんではないか?と思った。

東海林と書くと、多くは「ショウジ」と読ませる。それでも少数派で「トウカイリン」と読ませる家もあるというから、必ずしも間違いとはいえない。ラジオのリクエストハガキにルビがふってあれば別だが、多分想像するところその若いアナウンサーは東海林をそのまま素直に「トウカイリン」と読んだのではないかなと感じたものだ。東海林を「トウカイリン」と読む場合は、まともなアナウンサーならば、ひとこと気の利いた注釈をつけるだろう。

私より上の年代の人なら、テレビのない時代に東海林(ショウジ)太郎という歌手がいて、ラジオで「赤城の子守り歌」や「国境の町」が大ヒットして、誰でも知っていた。だから殆どの人は疑問ももたずに東海林を「ショウジ」と読む。それに団塊世代には「東海林(ショウジ)さだお」という漫画家もいる。

大分前だが、同じ職場に東海林(ショウジ)さんがいた。宴席か何かでその名前にまつわるエピソードで盛り上がったことがあった。

彼の話によると、東京都の電話帳で調べたら、「東海林」という苗字は300軒ぐらいあって、そのうち9割が『しょうじ』だが、『とうかいりん』と読ませる人も1割ぐらいいるそうだ。

彼が子供の頃「東海林」のどれが「ショウ」で、どれが「ジ」かと親に聞いたが、答えてくれなかったという。

それもそのはず、学生時代に調べた結果、次のようなことが分かったらしい。『東海林(トウカイリン)という苗字の人が、長く大陸渡来の承仕師(シュウジシ)として、寺院や公家の佛事の雑役などを勤めていたために、いつとはなしに「しょうじさん」と呼ばれるようになったことから、東海林をショウジと呼ぶようになった』という説が有力なようだ。

苗字にも歴史があるので、聞いて見なければその由来は分からない。
その時の彼によると、子供時代はその名前がイヤでたまらなかったが、大人になってからは話題となるので、得をすることが多いと感じているということだった。

2008年2月20日水曜日

定期検診とPET-CTの結果

昨日(2/19)は定期検診だった。

定期健診はいつもは午前中だが、今回は先生の都合で13:30だった。
病院到着12:00。採血、レントゲン撮影を済ませて、昼食を取りながら時間待ちをした。

【診察結果】
・PET-CTの結果説明 前回と比べてがんの画像が薄く、やや小さくなっている。イレッサの効果ありと認める。
・肝臓の数値はGOT=51(基準値10~40)、GPT=70(5~40)と基準値を超えていて、イレッサの副作用が出ているようだ。
・白血球の数値は4,420と正常範囲(3,900~9,800)で、ようやく正常値に戻った。
・レントゲン画像には(肺炎等)異常は見られない。

イレッサは今朝までで41錠服用した。画像の結果からイレッサの効果ありと認められるので、このまま1日1錠の服用を継続する。副作用として、肝臓の数値が上昇しつつあるので、それを抑える薬(プロへパール)を平行して服用する。次回の検診が3月5日なので、それまでに副作用がひどい場合には先生に連絡をする。

皮膚疾患は先週全身のかゆみがあった。これはイレッサ服用前から毎年1~2度あったアレルギー症状に似ていた。イレッサは皮膚乾燥を起こしやすいので、それが引き金になったか、あるいはイレッサに関係なく起きたものか不明。前回イレッサ服用時、同様なことがあった際にもらった薬(アレルギーを抑える薬、かゆみ止め、塗り薬)があったので、早めに使ったせいか2日ほどで治まった。それとは別に、イレッサの副作用らしき湿疹(かゆみなし)が上肢に少し出ている。皮膚疾患は前回の服用時に比べて、非常に軽い。

次回検診3月5日(水)。

2008年2月18日月曜日

メジロサミット


メジロの写真が好評だったので、続編として、「メジロサミット」として送信されてきたKさんからのメールに添付された写真をもう一枚。


以下はKさんの文章をそのまま・・・。

『山の餌が減ったので麓まで遊びに来ます。
簡単に蜜柑に自分達で、蜜柑を剥かずに食べれるので賑わっています。

色々の餌台を作って出来るだけ・・・食べやすい姿勢で・・・食事が出来るように作ってあげました。
ヤマガラや四十雀は自分で籠から出し梢の上で上手に皮を剥いて食べています・・・

塵とお土産が庭を汚しますが・・・ボケ爺さんの所に、遊びに来てくれるだけ・・・幸せです。
早く花が咲いて・・・散歩が楽しくなるのを・・・心待ちにしています。』

2008年2月16日土曜日

メジロの会食 春の知らせ


我が家から車で10分ぐらいのところに会社での先輩、Kさんが住んでいる。

先週送信してくれたメールには、自分の庭にぶら下げたミカンにメジロが止まって会食している珍しい写真を添付してくれた。春を知らせる貴重な写真なので、そのうちの1枚を紹介したい。

Kさんのメールによると、ミカンを食べやすいように平らに出すと、とたんに「ヒヨドリ集団」が来てしまいあっという間に食べ終えてしまう。針金だと、止まれないので食べにくいかわりに、メジロが写真のように曲芸のように食べるとか・・・。

Kさんは私が就職した頃からの付き合いなので、知り合ってからもうかれこれ40年は越えている。最初は怖い先輩だったが、いつの頃からか遊び仲間になり、週末にはよく気心の知れた仲間達とKさんの家に集まったり、我が家へ来たりしてワイワイガヤガヤ麻雀などで遊び、気がついたら朝になっていたということが何回もある。

Kさんの趣味は写真で、その腕前はプロ級。季節ごとに撮影した作品を自分なりの「歳時記」にまとめ、定期的にメールで送信してくれる。色とりどりの花々の色彩はいつも美しく見惚れてしまう。ひとりで見るのはもったいなくて、娘などにその写真を転送したりしている。私のホームページの表紙の「花のある生活」もKさんの作品を多くの人に見てもらいたいという趣旨で、許可を得てデータをお借りして載せている。

何年か前、Kさんは心臓の重い病気を患い生死の境をさまよった。でもKさんは頑健な身体とエネルギッシュな精神の持ち主なので、奇跡的な回復を遂げた。今は体力に見合った散歩をして趣味の写真撮影を楽しんでいるようだ。カメラはプロ並みの腕前で、外国も含めてあちこち旅行しながら撮影したアルバムは居間の壁一面にある本棚を一杯に埋めている。

何年か前から、パソコンを覚えそのデータをデジタル化して保管している。私の味気ないサイトの彩りとしてこれからもお世話になりそうだ。

2008年2月14日木曜日

死ぬんじゃない!

昨年2月6日、東武東上線ときわ台駅の踏切で、踏切自殺を図った女性を救おうとして宮本警部が線路に飛び込み殉職した事故は記憶に新しい。早いものであれから1年がたつ。

東武東上線ときわ台駅には私の叔父が駅に近くの商店街で薬局を営んでいた。子供時代から何度か訪問したので、駅前の商店街も、駅前の交番もよく憶えている。叔父は何年か前に亡くなって、その葬式に伺ったのが最後だった。

そんな関係で、このときの事故をテレビニュースで見たときは周辺の風景を思い浮かべたものだった。

殉職した宮本警部はすばらしい人だったようだ。通夜、告別式には1,200人もの人が訪れたという。そして、ときわ台交番の前の勤務地町田の人達も数多く列席したという。これは簡単なことではないと思う。

近所の子供達も、商店街の人達も、多くの人達が皆「宮本さん」という名前を良く知っていたようだ。そして事故の話を聞いて、口々に「宮本さんならきっとそうするだろう」と言っていたという。

どんな仕事であれ、そこまで自分の仕事を全うする人はそうはいない。私の近所にも交番がある。申し訳ないが、そこの駐在さんの名前を知らない。田舎でさえそうなのだから、まして都会ではなおさらのことだ。

公務員が公僕と言われなくなって久しい。しかし、多くの公務員は奉仕の気持を持って仕事をしているはずだ。高級官僚の数々の不祥事でイメージを悪くして、肩身を狭くしている多くの公務員のためにも宮本さんの功績を多くの人に知らせることは意義がある。公務員だけでなく、誰にでもその仕事ぶりは参考になるだろう。

そのときの事故からちょうど1周年を記念して『死ぬんじゃない!~実録ドラマ・宮本警部が遺したもの~』宮本警部の生涯がドラマになって、15日(金)フジテレビで21:00に放映されるという(くわしいことはこちら)。

宮本さんはどんな人だったのか、またどんな仕事ぶりだったのか、とても興味がある。ぜひ見てみたいと思っている。

2008年2月13日水曜日

感謝チョコ

最近、バレンタインデーほど大騒ぎをする国民的行事も珍しい。

もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日であるとされているので、クリスチャンでない日本人とは無縁のはずだ。当の聖ウァレンティヌスはきっと天国で苦笑いをしているに違いない。

日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年に国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出したのが発端らしい。その後1958年2月に伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートカムパニーが「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったが、どちらにしても、あまり売れなかったようだ。伊勢丹でのセールでは、1年目は3日間で板チョコが3枚、カードを含め170円しか売れなかったとの記録があるという。それが現在のような大騒ぎになったのはその後の宣伝活動のためだろう。

私の年代では若い頃にはまるでそんな習慣はなかった。こんなに全国津々浦々まで普及したのはこの20年ぐらいのことだろうか?

今は隠居生活なのでチョコレートとはとんと無縁だが、サラリーマン時代は職場の若い女性から「義理チョコ」をいくつか戴いたものだ。ホワイトデーの昼休みに近所の駅前のお菓子店に出かけたら、普段見かけないワイシャツ姿の男性がたくさんいて、その異様な風景にびっくりした記憶がある。自分も商業主義に毒されてしまったかと苦々しく思ったものだ。

それでも、戴いたチョコを口にするときの職場は不思議に笑顔になるし、明るい雰囲気に包まれてこれも悪いものではないと思ったものだ。これで日本の購買力が増えて、人間関係が円滑になるなら経済活動にとって悪いことではないかもしれない。

「義理チョコ」は最近では「感謝チョコ」と呼ぶ人もいるようだ。「感謝チョコ」というネーミングは良い。上げる方も、もらう方も「義理チョコ」よりは気分が良い。女性同士で交換する「友チョコ」という名称まであるという。

たくましい商魂は次々と新しい手を考え出すものだ。

2008年2月11日月曜日

日本のたばこ価格と喫煙率の関係

2月8日の日経新聞に「たばこ安く、喫煙率高く」という小さな囲み記事があった。世界保健機構(WHO)の報告書で、『喫煙による健康被害を防ぐ方法として、たばこ価格を引き上げるのも有効と指摘している』という記事なのだが、日本は他国と比べてたばこが高いのかと思っていたが、この記事で意外に安いということを知った。英国の9.69ドルというのは強烈だ。

主要先進国だけの比較なのだが、以下のようなデータだそうだ。
     喫煙率(%) 価格(ドル) 税率(%)
●日本   43.3・・・・2.58・・・・58
●米国   20.7・・・・3.89・・・・10
●フランス 28.2・・・・6.33・・・・64
●ドイツ  27.9・・・・5.62・・・・62
●イタリア 28.3・・・・4.05・・・・58
●英国   27.0・・・・9.69・・・・63   
(価格は最も人気の高い銘柄をドル換算したもの)

このデータを見ると、日本はまだ喫煙率は欧米の倍近いし、税金だって安い。まだまだ喫煙率を下げる方策はありそうだ。

20年ほど前になるが、私がまだ地方の工場に勤務していた頃のことを思い出す。

その頃日本で国際的なある業界に関係する展示会があった。そのついでにアメリカ、イギリス、中国などの同業の会社幹部が会社ごとにが我が工場を訪問した。

応接室には訪問客の小旗と並んで、灰皿とシガレットケースが置かれており、お茶と一緒に一応来客にもタバコを薦めた。

工場長の横に列席してそれぞれの会社ごとに接客したのだが、何人かいた工場側の人間は私も含めて殆どの人がタバコを吸った。中国のお客さんはタバコが大好きのようだったが、アメリカとイギリスの人は全員が「No thank you」といってタバコを吸わない。

欧米はタバコの害が徹底されていて「喫煙と肥満は出世の妨げ」は事実なんだと実感したものだ。私はその後まもなく禁煙に入ったのだが、その時の体験も禁煙のきっかけの一つになっている。

2008年2月9日土曜日

腰の痛み

2月6日は定期検診だったが、その10日前ぐらい腰の痛みを感じて心配した。

私の年齢になると、周囲で腰や膝が痛いという話をよく聞く。私の場合は幸いに生まれて66年間、腰痛の体験はなかった。

ところが、10日ぐらい前から、腰の中央よりやや右あたりに電気が走るようにピピッと痛みが走る。歩いている時、座っている時、普通の姿勢なら感じないのだが、ある角度に腰を曲げたときだけに痛みを感じる。
腰をひねったとか、打ったとか心当たりはない。痛くて我慢できないというほどのことはないのだが、ちょっとした角度で痛むので気になって仕方がない。原因がはっきりしていれば気にならないのだが、原因不明なのが困る。

いちばん疑心暗鬼になったのが、がんの転移である。私のがんの範囲は今まで右肺の中だけに収まっているが、再発がんなので、転移を始めると全身に広がる危険性がある。

さては骨盤あたりに転移をしたのか・・と考え出すと何か落ち着かない。6日に検診があるので、先生に聞いてみようと思っていたところ、前日に急に痛みが軽くなって、検診当日は朝から全く痛みは感じなくなった。

先生に相談すれば、放っておけないので、またいろいろな検査が待っていることが分かっているので、もう少し様子を見ようということにした。そんなことで、ここ10日ぐらい日課の散歩もやや軽めに、いつもの半分ぐらいにしていた。

あれから4日間、嘘のように痛みは感じなくなった。今日は朝から天気も良く、体調も気分も良かったので、久しぶりにいつもの5キロをさらに増やして6キロ歩いてしまった。どうやらあの痛みも一時的なものだったようだ。

結局痛みの原因は不明だが、自分の中では寝返りを打つときに筋肉のどこかを傷めたのだろう・・・軽いぎっくり腰だったということにしている。

年は取りたくない。あちこちの部品にガタがきている。油断をするとダブル、トリプルに別な病気に襲われる。やはり万病に対する予防は大切なようだ。

2008年2月7日木曜日

定期検診とPET-CT

昨日(2/6)は定期検診とイレッサ効果確認のためのPET-CT受診を行った。

PET-CTは11:00に予約が入っているので、定期検診はその前10:00だった。

病院到着9:00。採血、レントゲン撮影を済ませて、検診を待つ。

診察結果
・白血球の数値は3,500と正常範囲(3,900~9,800)よりやや低めだった。
・肝臓の数値GOT=42(基準値10~40)、GPT=42(5~40)は基準値をやや超えている。
・レントゲン画像には異常は見られない。

イレッサは今朝までで28錠服用した。幸い今日までのところ、心配していた副作用らしきものはまだ出ていない。肝臓数値(GOT、GPT)はやや高めなので、副作用かもしれないが、これくらいの数値は許容範囲内と考える。皮膚疾患はまだ出ていない。以上のことから、このままイレッサ服用を継続する。

11:00からPET検査を行う。その結果説明は次回検診2月19日(火)に行う。

2008年2月5日火曜日

サラリーマン川柳

今年もサラリーマン川柳の時期が来た。
第一生命が主催するこの「サラリーマン川柳コンクール」、かつてキミマロの盗作で話題になったことがあったが、今年で実に21回目になるという。毎年応募作が増えて、今年は実に22,225点もの応募があったそうだ。

今回はその中から100作品が発表された。
2月4日~3月14日まで同社のホームページで投票を受付け、5月上旬にベストテンが発表されるという。

内容は、例年とも好不況や流行語など、その年の流行や世相を反映しながら、サラリーマンの悲哀や夫婦関係をユーモアや皮肉たっぷりに読んだものが多くて、ひとつずつ読んでいると読み手の周辺が想像できて結構楽しいものだ。

ところが、最近では企業のリストラやうつ病や自殺の増加、格差社会の拡大等々悪い側面もあるので、応募作の中にはユーモアといえず、度を越えたブラックユーモアや、残酷な句も多く見られ、選考する人の頭を悩ますというのが現実のようだ。

あまり現実的には考えず、明日への活力に役立つようにユーモアの面だけをみて楽しめばよいと思う。

【100首の中から私が選んだベスト10】

・部下思い 思うだけでも けむたがれ

・鈍感力 持ってることさえ 気が付かず

・部長にも 「別に」と返事を してみたい

・貼り替えは 昔障子で 今、日付け

・衣食住 すべてそろった 偽装品

・ボーナス日 はにかむつもりが 苦笑い

・花粉症 ボクはハナカミ 王子です 

・エコと言い 課長のお茶だけ やや薄め

・レントゲン 今年の思い出 これ一枚

・社長業 今や問われる 謝罪力

2008年2月3日日曜日

中国、食のChina Free

私の住む田舎町にも中華料理のお店がいくつかある。昨年、住まいのすぐ近くにこぎれいな中華料理屋さんができた。我が家は昔から中華料理は好きなので、昨年の暮れに家内とふたりで早速ランチを食べに行ってみたところ、そこそこの味だった。接客は日本人の女性だったが、厨房からは何人かの中国語の会話が聞こえてきたところをみると、中国人が料理を作っているようだった。

正月に娘が来た際、その話をして誘ったところ、返ってきた最初の反応は「大丈夫?」という言葉だった。結局その時は別の店になったが、中華料理のイメージもずいぶん落ちたものだと感じた。ちなみにこれは「JT毒ギョーザ事件」の前である。

私の年代では中国人のいる中華料理店はきっと味が良いお店だろうというイメージをもつ人が多いと思う。横浜や神戸の中華街へ足を運ぶ人が多いのもその味を求めてのことだろう。世界中、中国料理のない街はないといわれる。いいかえると、中国人は料理の世界をとうの昔に世界制覇している。

今回起きた毒ギョーザ事件、これはちょっと深刻だ。昨年日本中で起きた数々の「食の偽装」、これらは多くは賞味期限のごまかし、産地偽装等々だった。少なくともその食物で当たったり、入院したりという実害を受けた人はいなかった。

今起きている事件の詳細はこれから判明するのだろうが、「食品テロ」だという穏やかでない説もある。ネット上のある記事(こちら)に「(天洋食品で)複数の元従業員によると、昨年12月末、ギョーザを製造していた約100人のうち14人が理由もなく、クビになったという」。これが事実だとすれば、その事実の背景にからむドロドロした状況の中に今回の事件を解く鍵がありそうだ。

昨今、スーパーなどに「中国製」の製品が見当たらない。ところが、食品輸入量全体は変わっていないという。消費者はこれをどう考えればいいのだろう。今回の事件で「China Free」の傾向は益々強くなることは間違いない。

中国はオリンピックを控えているので、国を挙げて本気で取り組むだろう。真摯に「食の大国」のイメージを復活させることをしなければ、中国は決して真の大国にはなれないだろう。

2008年2月1日金曜日

医療被曝問題

1月27日の報道で『米がん患者2%が「CT原因」(当サイトの情報スクラップ参照)』はちょっと気になるニュースだ。

なにしろ、ガンの検査や治療のために使う検査機器のせいでガンになるというのだから。

4年ほど前にも読売新聞(16年2月10日)に次のような報道がされ話題になったことがあった。
『英国オックスフォード大グループの調査で、日本人は75歳までにがんになる人のうち、放射線診断が誘発したがんの割合を算定した結果3.2%となり、15カ国中で世界一』

被爆というと、人間は自然界からも常に放射線を浴びており、大地から1年間に0.46mSv(ミリシーベルト)また、宇宙からの放射線(宇宙線)で1年間に0.38mSv、その他空気などから1.5mSv程の被爆を受けているそうだ。

それでは医療機器からどのくらいの被爆を受けるのか?撮影部位や条件で幅があるが、被爆量の比較のためにいろいろな資料から大雑把に拾い出すと、(いずれも1回当たり。単位はミリシーボルトmSv)
●胸部X線で0.1 ●胃透視X線(バリウム検査)で15~30 ●CT検査で10~30 ●18F-FDGを使ったPETで2.2 ●PET-CTでは20
といったところだ。これを見ると、やはりCTは数値が高い。胃のバリウム検査も意外と被爆量が多いのが分かる。

核爆弾や原子力発電所の事故などで人体が白血病やガンになると言われている放射線量は、一度に1,000mSvを越える量と言われている。それから比べるとはるかに少ないので、医療関係者は一様に安全というので、それを信じるしかない。
そうはいっても、がん患者のように定期的に、継続的に被爆するときの細胞への影響などはどうなのだろうか?人によって、時によって、免疫力が弱った場合の影響等々・・心配はある。この種の研究は見たことがなく、実際は良く分かっていないのが実態かもしれない。

とはいっても、現在のガン医療はCTやPETを使わないということは、治療を放棄しない限りどうすることもできない。

せめて、上記のような知識を持った上で、患者に選択権のあるような場面(例えば念のために受けてみますか・・と聞かれた場合のような)では、やめておくことぐらいしかできない。また、健康な家族(特に子供や妊婦さん)には不必要には受けないように薦めるとか、将来は被爆の少ない検査機器を開発してほしい・・という要望を持つことぐらいしかできないようだ。

2008年1月30日水曜日

今年の年賀ハガキ

お年玉商品の当選は切手シート以外は当たったためしがない。今年も例年通りあまり期待はしていなかったが、それでも切手シートが4枚当たった。毎年思うのだが、切手シート以外で何か他の商品にはならないものだろうか。

最近は本当に年賀状以外の手紙のやり取りをしなくなった。私のような高齢者でさえ知人との連絡は電話だったり、メールだったりする。従って、切手シートが当たってもあまり利用価値がない。といっても日本郵政は手紙を奨励したいのだから「ま、しようがないか」とか言いながらも、一応は郵便局で切手シートには換えてもらうのだが、利用回数は極めて少ない。

今年は日本郵政グループの民営化元年、張りきっている意気込みは感じた。年賀ハガキの売れ行きは好調だったようだし、配達も大きな混乱もなく順調だったようだ。

それでも、売れ残りが4億枚も出たことと、古紙配合率偽装があったことなどの反省点もあった。

昨今の背景では、環境への取組み姿勢を前面に出したい気持は分かる。しかし、再生紙の年賀ハガキはどうもピンとこない。

元々、上質紙の再生紙は中質紙にしかならない。古紙を混ぜれば、白色度は落ちるだろうし、インキのカスだって残るだろう。「わら半紙」などという呼称があった時代ならともかく、今どきそんな再生紙の品質では通らないだろう。

年賀ハガキに求める品質は一般的には相当に高いもの。インキジェット用のハガキは元々再生紙ではないが、その他のハガキだって、毛筆で書いたり、版画を使ったり、品質が落ちても良いという合意は得られないだろう。

ユーザーも環境のためなら品質は2の次で良いという人ばかりではないだろう。「総論賛成、各論反対」という人はどこの世界にもいる。製紙会社も要求品質とコストに見合うような再生紙製造技術は完成していないようだ。日本の産業界ではどこの業種も発注側は絶対の力を持つ。今回の問題は、問題が表面化した場合は、受注側が被るという商習慣の結果だったのではないだろうか・・・これは私の想像だが。

できないことは無理をすることはない。そんなことより売れ残りをなくす方が余程環境にはよいことだと思えるが。

2008年1月28日月曜日

マスク

最近外へ出ると、マスクをしている人が目立つ。

私も毎朝、散歩に出かけるときはマスクを着用している。マスクをしていると、冷たい空気と遮断され、暖かい感じがする。散歩以外でも定期健診などで病院へ行くときや買物で市街へ出かけるときもマスクをよくする。

何日か前の新聞に次のような記事が出ていた。全国マスク工業会(という会があるんだ?)によると、「同工業会に加盟する44社の推計で、今年度の生産量は、過去最高の約12億枚に達すると見込まれている」そうである。

12億枚・・すごい数字だ。人口1億人としても、1年間にひとり12枚を使ったことになる。赤ちゃんなどマスクを使わない人もいるので、大人だけにすると一人当たり何枚になるのか?どうりで最近はよく外でマスクをしている人を多く見かけるわけだ。

ある会社の調査では、風邪などの予防目的でマスクを付ける人が年々増え、現在はマスク利用者の3割に達しているという。そしてマスクは、子どものインフルエンザ発症率を5分の1に低減できたという研究成果もあるようだ。

使い捨てマスクは出たての頃は如何にも型抜きしただけという味気のないものから、最近では口元に空間ができる立体型マスクや横に折り返しの着いたもの、ペパーミントやユーカリの香りが広がるマスクなど、いろいろな工夫がされているようだ。

そういえば、ここ何年か前からはマスクはガーゼのマスクを見なくなって、殆どが使い捨ての紙製のマスクになった。ガーゼなら洗濯して何度も使えて環境対策の点ではいいことは間違いなさそうだ。まだまだ日本人は環境対策の点で甘いような気もするが、それで風邪予防になるならその効果も大きいし・・・判断に迷うところだ。

それにしても、インフルエンザの予防に、防寒に、花粉症対策に・・・しばらくはマスクが外せなさそうだ。

2008年1月26日土曜日

さよなら、ゆるりさん

22日のユーミンさんの書き込みで、ゆるりさんが亡くなったことを知った。

ここしばらく彼女のサイトを訪問していなかったので、それを読んだときは「えっ?」と絶句をするほど驚いた。

あせらず、ゆっくり、という思いを込めてつけた「ゆるり」という名前。「ゆるりと肺がん記」は型にはまらない、個性的でユニークなホームページだった。

2005年の3月、私が自分のサイトを立ち上げようとしたとき、相互リンクをお願いするためにメールをしたのが最初だった。

その後、東京中央済生会病院で私のがんを見つけてくれた(命の恩人だと思っている)H先生が、転勤で当時ゆるりさんがかかっていた都立駒込病院へ移ったことをメールで知らせてくれたり、私のおぼつかないサイトを盛り上げるために、書き込みをして応援してくれたりした。

ゆるりさんの文章を読んでいると、その表現のすばらしさに引き込まれてしまう。そしてその表現力の源として、彼女のすばらしい感性を感じる。
私のような凡人が、町を歩いていて目にしても見過ごしてしまうような小さな風物でも、ゆるりさんの感性にかかると光り輝く宝物に変わってしまう。

その感性は周囲の人との会話にも表れる。そのユーモラスな会話は、病気のことを話す医師との会話でさえ楽しい雰囲気に変えてしまう。

きっとゆるりさんはそこにいるだけで、周囲を暖かな雰囲気に包みこんでしまうような人だったに違いない。

ゆるりさんが相棒とも同居人ともいうmiyaさんのエピソードはとても面白い。読みながら大笑いする。下手なお笑いよりはよっぽど面白い(こちら)。ゆるりさんのお骨はmiyaさん家のお墓に入るという。大好きなmiyaさんのお墓に入れてとてもよかった。

あれだけマメだった文章の更新も11月から極端に少なくなった。この何ヶ月かの闘病がいかにつらかったのかを物語っている。

。。。。。。。。。

ゆるりさん、ようやく闘病の苦しさから開放されたね。どうぞ安らかに眠ってください。

あちらの世界では色鮮やかなお花畑の中で、先に行った人達がきっと笑顔で出迎えてくれていると思う。そしてこれからは苦しみも痛みもなく、きっと永遠に穏やかに楽しく過ごせるよ。 
しばらくしたら仲間入りするので、その時はゆっくり話し合いましょう。  

2008年1月24日木曜日

定期健診

昨日(1/23)は定期検診だった。
朝から天気予報は最悪。太平洋岸は広い範囲で雪、地元静岡も山間部は雪の予報が出ている。病院は山の上にあるので、途中雪道になったらイヤだなと思って、朝早めに家を出た。雪が降ることは殆どないので、チェーンなどはもちろんない。幸い往復とも雨で済んでその心配も杞憂に終わった。こんな天気でも病院の混雑は相変わらずだ。

以前はいつ行っても呼吸器外科・内科の前の待合席には空席があったが、2年ぐらい前からは常に満席の状態。時間帯によっては、周囲で立って待っている人もいる。
こんなとき、ポケベルを持たせるシステムは便利だ。私の場合はもっぱら待ち時間は図書室で週刊誌を見たり、ラウンジでコーヒーを飲みながら待つようにしている。

診察結果
・白血球の数値は3,200と正常範囲(3,900~9,800)より大分低めだった。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

前の抗癌剤の影響か白血球の数値がなかなかもどらない。低くても日常生活に支障がないといわれたが、この状態が続くと、必要なときに抗癌剤の選択肢の範囲が狭まるので、何とか戻ってもらいたい。

イレッサは前回の診察日の翌日から今朝までちょうど2週間(14錠)服用した。幸い今日までのところ、心配していた副作用らしきものはまだ出ていない。
肝臓数値(GOT、GPT)も正常値。皮膚疾患もまだ出ていない。

請求書を見ると、イレッサの価格は以前(1錠7,216円=個人負担分はその30%)よりやや下がって6,806円になっている。毎日飲むものなので少しでも安い方が良い。それでもまだ高いが・・・。

効果の確認は2月6日にPET検査を行う。

2008年1月22日火曜日

がん拠点病院

1月17日に開催された、厚生労働省の第4回がん診療連携拠点病院の指定に関する検討会において、各都道府県におけるがん診療のとりまとめ役である、都道府県がん診療拠点病院(都道府県がん拠点病院)と、がん診療連携拠点病院(がん拠点病院)が新たに指定された。

新規に決まった病院 
今まで決まっている病院 

日本での医療機関は長い間、内科、外科、耳鼻科、皮膚科といった部首別の医療が行われていたが、がんはそういう範疇のすべてにまたがり、血液やリンパにまでその範囲が広がる。がんに関する医療の技術も格段に進歩し、専門部課の医師が片手間に行っていたのでは、とても対応は難しいようだ。

それでも国はがん対策に対して重い腰を上げ、ようやくいろいろな取組みを始めた。その具体的な形が「がん対策基本法の制定」であり、「都道府県がん診療拠点病院の指定」である。全国どこでも質の高いがん医療が受けられるようになることは、がん患者にとっては最低限の要望だろう。

日本では右肩上がりに患者数が増加しているが、がん対策に対するすべてにおいて日本より早く、本格的に取り組んでいるアメリカでは最近は患者数が減少に転じているという。アメリカは「がん戦争」という捕らえ方をして、国民の命を奪う大敵に向かうために、その予算も日本とは比べ物にはならないほど、つぎ込んでいる。

日本ではいろいろな疾病の中で、今やがんの死亡者数がトップになったということは、医療全体の対応の遅れが原因のひとつなのであろう。

高齢化の進む日本ではその傾向は増加の一途を辿ることは間違いないことなので、対策が前進することは明るい材料であることは間違いない。

2008年1月20日日曜日

散歩でのできごと

1月の16日以降はほぼ毎日散歩を復活した。

16日の写真のような松林内の遊歩道を歩くのだが、平日に出遭う人はすべてが散歩を目的とした人達。多くは私とほぼ同じ年代のジジババだ。格好だけは例外なくビシッと決めている。中には賑やかに談笑しながら、何が目的なのか分からないようなオバチャン集団もいる。また、歩くのが億劫なのか、ママチャリで往復している人もいる。

殆どの人は似たようなペースで歩いているのだが、早足で歩くときは、時には遅く歩く人に追いつき、「お先に」と言いながら追い抜いて行くこともある。ここで出遭う人は、登山道と同じように共通目的をもっているせいか、殆どの人が見知らぬ人同志でも「こんにちわ」などと声をかけ合う。

休日などにはメタボ対策らしき若い人やスポーツ目的の若い人も加わる。いくら私が早足で歩いても、若くて元気な人達には抜かれることもある。

ところが、今日の散歩では建て続けに二人の人に抜かれてしまった。まず、中年の男性が私より格段に早く抜いていった。「若い人は元気でいいや」等と思っていたら、すぐ続いて若い女性が抜いていった。

後姿だったが、多分20~30代だと思う。すらっとスタイルの良い女性だった。陸上とか競歩とかやっていそうな速さだった。足も私より長そうだったので歩幅も広いので考えれば無理もないのだが、自分も早足で歩いているつもりなので、女性に抜かれたということが少々ショックだった。

男というのはなぜこんなくだらない競争心を持つのだろう?と後で考えておかしくなった。

そういえば若い頃、車で高速などを走るとき、外車のような性能の違う車なら別として、明らかに自分の車より排気量の小さな車に抜かれると、ついくやしくなって追い抜き返すというようなことをした記憶がある。
そんなことをしたって、何の得もないし、それで事故でも起こしたらバカな話だと冷静になると思うのだが。

男性には生まれつきそんな本能が備わっているようだ。「三つ子の魂、百まで」というが、人間いくつになっても、本質はそうは変わらないものだ。

2008年1月18日金曜日

映画「アース」

昨日は映画「アース」を見た。この映画は「観たい」というよりも「観ておくべき」だろうなという感じで映画館に足を運んだ。

この映画に人間は一人も登場しない。奇跡の星「地球」上で繰り広げられる動物達の生きるためのドラマを描いた究極のノンフィクション。

最近はこの種のテレビ番組もよく見るので、全体にはびっくりするような印象ではないが、撮影に4年もかけただけあって、CGは一切使わうことなく迫力十分な映像をたっぷり堪能できた。

人が映画に求めるものの要素のひとつが「非日常」であるが、正にこの映画で我々が一生かかっても自分の目では見ることのできない壮大な旅ができることは間違いない。

ドキュメンタリーでありながら、全体にストーリー性を持たせてある点はこの監督の工夫なのだろう。

この作品は、地球全体の引きの画面からスタートし、北極にズームアップし、徐々に南下していき、シベリアのツンドラ、ヒマラヤ、アフリカ、南極を巡って再び北極へ戻る。

登場する動物は北極熊、ツンドラではトナカイの大移動、ヒマラヤを越えてインドに行く鶴、アフリカの象の大移動、鯨の赤道から南極への回遊。

そして、そのように食料や水を求めて「渡り」をする動物たちのドラマを軸に、チーターやホオジロザメ、ゴクラクチョウなどのいくつかの珍しい映像を差し挟み、最後は北極熊に戻って終わりという展開。

時節柄、環境問題をテーマにした映画かと思ったが、映画全体にその主張はなく、最後の部分だけに後からとってつけた感じで僅かに環境問題に触れている。この部分はどうも説教くさくて、全体の流れからすると、異質でマイナスの印象。時代背景を考えるとやむを得ないかなという感じだが・・・。

動物同士、弱肉強食の残酷な場面が数多く描かれているが、この映画を見て感じるのは、いちばん残酷な動物は人間だということが良く分かる。そして人間の身勝手な行動が地球上に住むすべての環境まで破壊しつつあるということは、敢えて環境問題に触れなくても誰でも感じるのではないだろうか。

映像と音声の迫力は満点、DVDではなくて映画館に足を運んでみる価値は十分にあると思う。

2008年1月16日水曜日

松林5キロ散歩復活


昨日は以前日課としていた松林の散歩を久しぶりに復活した。

昨年の5月11日に抗癌剤の点滴のために入院するまでは、毎日松林を5キロ散歩をしていた。その後抗癌剤を点滴のための入退院をする間は散歩は中断していた。病院の中や、家の中、近所の買物等を歩く程度で散歩らしい散歩はしていなかった。骨髄抑制で白血球が減少したこともあり、繁華街へも出かけることもなく、殆ど自宅でぶらぶらする生活だった。

秋頃、久しぶりにちょっと遠くまで散歩をしようとしたら、30分ほどで腰の辺りの筋肉が痛くなって、ほうほうの態で自宅に帰り着いたことがあった。

使うべき筋肉を使わないでいると、みるみる筋肉が弱ることを実感してショックを受けた。健康なときには何とも思わない「歩く」という行動さえできなくなってしまうことを思い知った。

それからは自宅周辺をできるだけ30~40分歩くように心がけた。

今日は8ヶ月ぶりに以前歩いていた松林の遊歩道を2.5キロの目標まで(往復5キロ)歩いてみた。以前と同じように、中断することなく、早足で歩くことができたので、これでようやく歩行機能の回復はできたものと思う。

散歩道には500メートル間隔に道標があるので、歩くキロ数がはっきりしていて都合が良い。
往復5キロの所要時間はおよそ1時間20分ほどだろうか、スタート時は冷えている身体も帰る頃は汗ばむほど暑くなる。

歩き始めて20分頃から身体が熱くななり始めて、徐々に血液循環がよくなることが実感できるような気がする。いつもは冷たい足先も歩いた後はポカポカと暖かくなる。

寒い時期はコタツから出て、歩き始めるには勇気がいる。血液が足先を折り返し点として、身体中を循環しているイメージがわき、血液に溶け込んでいるイレッサも肺の隅々まで届くような、そんな想像が歩行への後押しとなる。

ということで、日課の散歩は以前のように復活させるつもりである。

2008年1月14日月曜日

藤枝東高校、準優勝おめでとう

今日は全国高校サッカーの決勝戦をを堪能した。

以前は静岡勢は全国でもレベルが高く、どの高校が出ても上位進出も珍しくはなかった。その中でも藤枝市は昔から町を挙げてのサッカー王国。男の子は全員がサッカーシューズを持っているというほど、子供からお年寄りまでサッカーを楽しむ町として有名。しばらくは静岡市、清水市(今は静岡市と合併)に座を譲っていたが、最近はまた藤枝勢が県代表として選ばれるほど強さが戻っている。県大会の決勝は藤枝東と藤枝明成の同じ市内の高校同士で県代表を争った。

そうはいっても、全国のサッカーのレベルが上がった。全国どこも子供のサッカーが盛んになった証拠だろう。最近では静岡勢は下馬評に上ることも少ない。1回戦で負けることも多いので、あまり期待しないで応援するようになっている。

今年は1回戦で引き分け、PK戦で運よく勝ち抜けてからは、対戦相手にも恵まれてあれよあれよという間に決勝まで進出してしまった。1回戦から決勝戦まで楽しませてもらったのは久しぶりだ。

決勝相手の流通経済大学付属柏は下馬評でも優勝候補の筆頭に挙げられていた。トーナメントでは強いチームが必ず勝つとは限らないので、かすかな期待は持ったが、力の差は圧倒的だった。これで流経大柏は全国総体、全日本ユースと合わせて3冠を独占。かつて一時代を築いた静岡から「千葉最強」を証明した形になった。

流経大柏は非常に攻守共にバランスの取れた点が良い。守りの堅さはこの大会を通して4本以上シュートを打たせなかったという。決勝で初めて5本のシュートを許したというのだからまるで歯がたたない。

フォワードの大前選手は久しぶりにセンスのある名選手だ。160センチちょっとの小柄ながら、マラドーナやメッシを彷彿とさせる。

これだけ力の差があると静岡県民も諦めがつく。大前選手は清水エスパルスに入団が決まっているというから、地元のプロ選手として県民から応援を受けることになる。日本とはいわずに、世界での活躍を期待したい。

2008年1月12日土曜日

未来予知ノート その3

ジュセリーノの「未来予知ノート」について書いたが、今日はその疑問点と思われる点について少し・・・。

7日にも書いたように、この種に興味はあるが全面的に内容を信じているわけではない。世間では賛否両論あり、国会議員の中にも自身のブログで取り上げている人もいるぐらい。インチキだという人の根拠となる疑問点をあげると以下のようになる。

・本国ブラジルではあまり相手にされていない。
ブラジルでは何年か前に評判になったようだが、特に最近の内容が当たらないということで過去の人となっている。本人の発表によるとその予知夢の的中率は90%ということだが、実際は後になるほど当たらなくなり、せいぜい50%ぐらいではないかという説がある。

・偽装疑惑
予知夢をみると公証役場に届けているというが、その文章を公開していないので事実かどうかが証明されていない。

・日本でのプロモーターに疑問
「未来からの警告・ジュセリーノ予言集Ⅰ」の監修をしたのはたま出版社長韮澤潤一郎氏。このお方はたけしのUFOや宇宙人を取り上げた特番によく登場する。「1999年に火星から地球に攻めてくる」等ということを本気で信じていた人で、突飛なことを言っては共演者の大槻教授や松尾貴志等から攻撃されている。その人の取り上げるニュースのほとんどは「面白ニュース」という捕らえ方をした方がよいものばかり。

この人の予言はインチキだという人の根拠は以上のような点。但し、この人は予言者ではなく、予知夢を発表しているということなので、見た夢が事実でなくとも別に罪にはならないだろう。ただ、発表した事実は実際に夢に見たかどうかだろう。

的中率が90%ではなくて、50%といえども見た夢が現実になるなら特殊な能力といえる。発表している予知夢はすべて当たるかどうかこれから分かることばかりなので、いずれは判る。

発表している予知夢はサッカーの勝敗などは別として、その他は被害者がでるものばかり。

一般論として、今まで大きな災害を予言した人は大勢いるが、はずれたいいわけとして「人間の英知が災害を防いだ。はずれたことは喜ばしいことだ」というようなことを言う。

お酒の席やお茶の間で盛り上がる話題と考えれば、それはそれで意味はある。

2008年1月10日木曜日

定期健診  イレッサ再挑戦

定期健診  イレッサ再挑戦
昨日(1/9)は定期検診だった。
検診予約がいつもより早く9:30なので、その前の採血とレントゲン撮影を受けるために、いつもより早く8:30に病院に到着した。病院は9:00始まりなのに、採血には既に30人待ちだった。それでも採血は9時より早い時間から始まっており、採血の看護師さんも臨時の応援のテーブルが2つ追加されて7人体制で採血しているので、20分ぐらいで順番が回ってきた。昨年の春から夏にかけての入院の際に、この病院も他の病院同様看護師不足であることはよく感じた。そんな中でも、現場の状況に対応して、採血の人員増強をして、患者の待ち時間を少なくする努力は高く評価する点だ。患者の方を向いている姿勢がうれしい。
レントゲン撮影は待つことなくすぐできたので、9:30には余裕で間に合った。

診察結果
・白血球の数値は3,700と正常範囲(3,900~9,800)よりやや低めだった。
・好中球は50%と標準の範囲内に入っている。
・肝臓の数値等は正常値。
・レントゲン画像には異常は見られない。

イレッサを明日から2週間服用する。23日の定期健診で副作用の状況を見てその後継続するかどうかを決める。効果の確認は2月6日にPET検査を行う。

なお、今後の治療記録については今までの【闘病記・抗癌剤治療】から【闘病記・イレッサ服用】のいちばん下段に記録するようにしたい。

2008年1月8日火曜日

未来予知ノート その2

ジュセリーノ氏の予言、過去的中した予言は前日に記した通りだが、『未来からの警告』として、これから起きる予言についてもたくさんあげている。

そのうちいちばん気になるのが今年の9月13日、中国の南寧と海南島を震源地とするマグニチュード9・1の地震が起きて、 30m以上の津波が発生、百万人を超える犠牲者が出るという予言。この予言、最初は中国としていたが、最新の著書『ジュセリーノ・未来予知ノート』では、震源地が日本の東海沖に移動し、M8・6 被災者3万人規模の東海地震となる可能性を指摘していることだ。

しかし、この予言は100パーセント中国沿岸から日本近海に移動したということではなさそうで、新著には、両者の可能性をどちらとも断定せずに、併記する形にしたようだ。

そのいきさつは今回彼を日本に招聘した関係者がジュセリーノ氏に日本近海の地図を見せたところ、自分の見た予知夢は中国沿岸ではなく、日本の東海岸だったかもしれないと語ったことが、その理由だということである。

「おい、おい」東海沖なら私の住む場所で、その3万人の中に自分も入るかもしれない。9月13日付近、どうするか考えなければならない。

その辺はどうもあいまいで、日本の編集者がショッキングな内容にして本の売上げを上げようという意図が感じられなくもない。そう考えると彼の予言も商業主義に利用されているような感も否めないのだが。

【以下は今年以降に起きる予言の主なもの。当たるか当たらないかはこれから判明すること・・・最後の予言はショッキング】
2008年 エイズワクチンが誕生。ブラジルマットグロッソ州にあるルアナーと言う薬草から開発される。
2008年 アフリカで水不足が発生し数千人が死亡。
2008年9月13日 南シナ海(ルソン島沖)で地震と津波が発生する。マグニチュード8.5(フィリピン・台湾地域で最大級の地震)。中国南部(香港、海南島など)で100万人の死傷者。 東海沖かも?
2010年 アフリカでは気温が58度まで達して水不足が頂点に達する。
2010年6月15日 ニューヨーク証券取引所崩壊。
2011年 鳥インフルエンザが人間へ感染して8千万人が死亡。初症状は普通の風邪に似ているらしい。
2013年11月1日~25日 アメリカのイエローストーンが噴火。カナリア諸島でラ・パルマ島が噴火、150mの津波が襲い数千人が死亡。
2015年 ポルトガル、イギリス、フランス、スペイン等ヨーロッパ全域で干ばつ。2015年4月22日にはもっと激しくなる。
2015年 インドネシアのクラカトア火山が再噴火。
2023年2月9日 サンフランシスコで震度8.9度の地震が起きる。
2026年7月17日 サンフランシスコでザービッグワンと言う名の大地震が起きてカリフォルニアが崩壊。震度10.8度の過去最大の地震。150mの津波。
2027年 アメリカのイエローストン火山が噴火が始まる、1600kmまで灰降しカンサス、ネブラスカ、リビングストンなどで大被害。最後に噴火したのは7万年前で、新しい氷河期がくる。
2029年4月13日 地球の近くを小惑星アポフィスが通る。
2036年11月11日 再び地球に同じ小惑星アポフィスが接近。衝突の可能性は80%で地球壊滅の危機。
2039年 温暖化の影響で気温が60度以上になる国が現れる。
2043年 人類滅亡。

前回の先進国首脳会議サミットで、2050年までにCO2削減目標を今の50%にすることが決まっている。手遅れにならなければよいが。

2008年1月7日月曜日

未来予知ノート

今、ブラジルのジュセリーノという予言者が評判のようだ。昨年「未来予知ノート」を日本で出版し、12月にはテレビに登場したり講演をしたりして話題になった。彼のホームページもある(こちら)。

私は元々SFやUFO等の話は嫌いではないので、この種の話題には興味はある。といってすべてを信じているわけではない。できすぎた話にはトリックが隠されていることはよくあるので、眉にツバを付けながら見る位でちょうどよい。怪しげな点もいくつか感じるが、それはいずれ別の機会に譲るとして、ここではひとつの話題として紹介したい。

ジュセリーノ氏はブラジル生まれで、現在英語やドイツ語を教える高校教師、妻と子供3人がいるまじめなキリスト教信者だそうである。

彼の不思議な能力は9歳から発揮し始めて現在45歳。
大半の予言(特に個人ではなく人類に関わる)は夢にはっきりと現れ、彼がそこに立ち会っているのだと言う。夢の内容は次の日にすぐ文章にして、公証役場に届けて登録保管し、重要な予言だったらコピーをその国の大使館や政府に手紙で知らせるという。

予知が嘘でない証拠は公証役場へ行けば、過去のものも日付印が押されて保管されていうが・・・。

彼の予言はノストラダムスのような、どうにでも解釈できそうな詩などではなく、将来の出来事が場所も月日も分かる形で、映画のように夢に登場するのだという(予知夢)。

【今まで的中した予知夢】
 ・9・11同時多発テロとイラク戦争、サダム・フセインの所在情報
 ・スマトラ沖大地震とインド洋の津波
 ・チェルノブイリ原発事故
 ・オウム真理教による東京地下鉄サリン事件
 ・ダイアナ妃暗殺事件
 ・プレスリー、ビージーズ、ビートルズメンバーらの事故・病気・死亡
 ・アイルトン・セナの事故(殺人だったとしている)
 ・ワールドカップでの優勝国と上位の順位

この予知を何年か前に知らされた政府なり関係者は殆どこの手紙を無視したという。というよりどうすることもでいなかったのだろう。上記のうちのサダムフセインの所在情報については、アメリカは懸賞金をかけていたので、ジュセリーノ氏はその情報元としてアメリカ政府を相手に訴訟をする予定だという。

スマトラ沖大地震については、インドネシア政府は予知があったことを認め、感謝の意を表しているようだ。

さて気になる2008以降の予知については・・・(続く)

●本の詳細は↓

2008年1月5日土曜日

地球温暖化問題

昨日は異例の4時間のスペシャル番組「地球温暖化2008」が放送されていた。また正月にはTsutayaで借りたDVD「不都合な真実」を見たばかり、加えて首相の年頭挨拶にも地球温暖化問題が盛り込まれていた。

昨年までも地球温暖化問題の重要性は認識をしてはいたが、その注目度は日を追うごとに増しているように感じる。

「地球温暖化2008」では日本や世界中に起きている異常現象をいくつも紹介していたが、昨年の夏の異常な暑さや台風の多さ等々、自分の身の回りにも起きているので、人ごとではないと感じる人が殆どだろう。

「不都合な真実」はご存知のようにアメリカの副大統領アル・ゴア氏が地球の危機を訴える内容の映画。温暖化によって引き起こされる数々の問題に心を痛めた彼は、人々の意識改革に乗り出すべく、環境問題に関するスライド講演を世界中で開き、地球と人類の危機を訴えてきた。アメリカだけではなく、ヨーロッパやアジアなどでこれまで1000回以上の講演を行ってきている。

この映画を見た人はそのデータと数々の異常現象を目にすることで、誰でも近年の温暖化の深刻な状況を理解できる。例えば象徴的でショッキングなシーンとして、自分の住む氷山を失って大海を延々と泳ぐ白熊の姿がある。これは将来の人間の姿かもしれない。

2000年の大統領選でアメリカ国民がブッシュではなくてアル・ゴアを選んでいれば、アフガンやイラクの戦争もなかったかもしれないし、温暖化問題だって大きく前進したにちがいない。

ブラジルのジュセリーノという予言者は次々に見る夢の90%が実際に起きているという。今ベストセラーに名を連ねる「未来予知ノート」は売切れの店が続出しているようだ。彼がこの本の中で憂いているのは、2043年に人類が滅亡する悪夢を見たことだという。(彼の予言については次回に・・・)

もちろん外れてほしい予言だが、人間の未来は人間が作り出す要素も多いので、変えることも可能、というより変えなければいけない。特に温暖化問題は政治による国家的な取組みも重要だが、一人ひとりの生活とも密接に関連することなので、自分のできることでCO2削減に心がけなければと思うようになっている。

2008年1月3日木曜日

晴天の三が日



今年のお正月、当地は元旦から今日3日まで連続で穏やかな好天に恵まれている。元日は晴天でも、富士山の周囲だけにやや雲があったが、後の2日も3日も写真のように雲ひとつない日本晴れに恵まれた。

写真は2日に撮影(裾野に見える白い線は東海道新幹線)。撮りたかったのは富士山ではなくて、澄み切った青空である。

昨年は暮れに1年間の出来事をたくさん見せられたが、「これでもか」というくらいに暗いニュースが多かった。1年を振り返る漢字が「偽」だったことを象徴するような1年だった。

今年はこの青空のように、明るい上向きの1年になってもらいたいものだ。

2008年1月1日火曜日

明けましておめでとうございます

今日、新しい3年連記のダイアリー(2冊目)のページを開いた。

サラリーマン時代は毎年業務用のダイアリーを付けていた。日記というほど立派なものではなく、その日のできごとを簡単に記すメモ程度の簡単なものだが、習慣でそれをずーと何年も保管している。遡って何か記録が必要な場合の覚えとして記入するといった程度の簡単なものだった。実際に必要になったことはないのだが、整理整頓の際ふと手に取ったときなど、パラパラとめくると「いつ転勤になった」とか「いつ長女が高校に入学した」等々、その時々のことが思い出されて懐かしい。

会社を辞めてからは、あまり必要がなくなったので記録をやめていた。ガンが再発した2004年の年末に、今度は闘病の記録用として、ダイアリーをつけてみようと思いついた。

こういう病気はいつ悪化するか分からない。だから1年用のダイアリーでもいいのだが、自分の生きる目標を少し先に置くために1年用ではなくて、長期のダイアリーにしようと考えた。書店で3年用にするか、5年用にするか迷った。その結果3年用を買って、3年後にまた次の3年用を買おうと決めた。

ダイアリーのスタート、2005年の最初のページを見ると、これから生きようという覚悟のようなことが次のように書いてある。
「肺癌持ち越し。イレッサの効果に期待。あと何年生存できるか?日々の治療に目標を持たせるため、あえて3年日記を購入。3年後にまた次の2008~2010年の日記が購入できるように、1日を有意義に生きよう・・・」

そして、昨日ダイアリーを完結したが、以前つけていたダイアリーとは比べものにならないほどの達成感を感じている。「3年たった」ではなく「3年生きた」というのが実感だ。

健康なときには、具体的に自分の「死」を考えることはなかった。この病気をして、何度も「死への意識」を乗り越えると、今生きていることのありがたさを一層強く感じるようだ。同時に、健康だったときには感じなかった風景や花等々自然の美しさや、人の優しさをより強く感じる。

日々生きているありがたさを感じながら生活すれば、いつ死んでも悔いは残らないように思う。

どうぞ今年も「tamyのつぶやき」とブログをよろしくお願いします。

2007年12月30日日曜日

来年こそ改めたいこと

昨日の日経新聞・プラス1に特集記事で「来年こそ改めたいこと」という記事が載っていた。

「日経生活モニター」で「なんとか改めたいと思っているにも関わらず、なかなか改まらない、直らないこと」というアンケートの回答(有効回答3572)を集計したところ、上位は以下のような回答だったという。

1. 整理整頓や部屋のかたづけができない
2. ダイエットや運動など、飽きっぽくて長続きしない。
3. やるべきことを先送りする。
4. 一日の時間の使い方が下手
5. 物が捨てられない。
(以下略)

うーん。すべて自分にもあてはまる。私の場合、若い頃を振り返ってみると、20年前も、30年前も同じようなことを考えていたような気がする。

特に3.はリタイア後は時間があり余るほどあるので、あまり感じなくなったが、仕事をしていたときは面倒なことは先延ばしにしてしまい、余計に状況を悪化したということがよくあった。山のように仕事をかかえると、重要度より緊急度を優先してしまい、後でよく反省したものだ。私にとっては「今は昔」の物語ではあるが・・。

この記事では、それぞれの項目の内容を延々と解説している。肝心の解決策は?というと、最後にひと言、専門家の意見が掲載されている。

東京えびすさまクリニック院長(精神科医)は「まずは腰をあげる。小さな改善でも『できた』という達成感を積み重ねると、改善の意欲を持続させやすい」ということだ。

竹に節があるように、年末・年始は時間の区切りにいちばんふさわしい時。私も過去、正月のたびに何度も「自分の行動を反省し、目標を作る」ことをよくした。大体は3日坊主に終わったことが多いが、反省をしたことは意識に残り、長年のうちには多少の向上には役立っているようにも思う。
こんな程度では、私のような劣等生が優等生には変わらないのだが、それでも箱根のスイッチバックの列車が少しずつは登るように、少しずつは進歩したとは思う。周囲から「自己満足!」という声が聞こえてきそうだが・・。

今年も今日と明日を残すのみとなりました。今年の記事は今日を最後にしたいと思います。今年1年当ブログをご訪問戴き、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。

どうぞよいお年を・・・。

2007年12月28日金曜日

薬害肝炎問題

薬害肝炎問題は自分と病気は違うが、薬の怖さの点ではひと事とは思えない。この問題は単なる副作用ではなくて、本当の薬害。止血のために使った薬が肝炎→肝硬変→肝癌になるなんて、患者にとってはたまったものではない。患者には何の罪も落ち度もないのに、一生を棒に振るのだから、当然国と製薬会社は患者に救済をするべきだ。

ようやく「一律全員救済」の方針が固まって胸をなでおろした。福田総理も原告団に謝罪もした。途中では総理の煮え切らない態度にやきもきしたが、支持率急降下で考え直したのだろう。そういう意味では国民の声なき声が応援したといえると思う。

とりあえず肝炎患者の救済について一段落して、法制化の段階だが、国の責任問題がどう盛り込まれるかが次の課題だ。

この問題は実にひどい話だ。薬害問題はこの肝炎だけに限らない。どうして次々に同じ過ちを繰り返すのか?いつもその場限りの処置をして恒久対策を講じないからに他ならない。この際、国の責任を明文化して、2度と再発をさせないというシステムを完成させてもらえばうれしいのだが、お役所は反省しているようには思えないのが気懸りだ。

薬には副作用はつきものだし、新開発の薬には常に危険が伴う。この薬害について許せないのは、アメリカではその危険性が判明して使用中止にしたのに、厚生省と製薬会社はなぜその情報を知りながら、アクションを起こさなかったのか?ということだろう。政府とお役所の不作為の罪は大きい。それにアメリカは日本にその薬を売り続けたということはアメリカの国民には危険でも、日本人なら安全とでもいうのだろうか?

薬害肝炎関連のニュースが流れると、いつも登場する福田衣里子さん、肝炎のサイトを見ていたら、たまたま彼女のことを書いたサイト(こちら)にぶつかった。

患者側から今に至る経過が書かれていて興味深い。
初代の厚生労働大臣だった坂口力議員や当時の厚生労働大臣柳沢厚労相はじめ、たくさんの代議士にも、お役人にもたくさん会って協力を訴えているようだ。彼女が言った以下の言葉が政治家のリップサービス振りを示していて腹立たしい。

【他にも多くの国会議員の方にお願いを続けていますが、与党の議員さんは「個人的には同情するが、立場上は動けない」とおっしゃる方が多いです。「立場」ってなんだろうなって……国民を苦しみから救ってくれるのが、議員さんの「立場」じゃないのかなって、少し悲しくなります。】

2007年12月26日水曜日

理髪店

今年も残すところ片手で数えられる日数になった。時間は同じように流れているのだが、暮れは何となくせわしなく感じるから不思議だ。

暮れといっても何か特別なことをするわけではないが、年内に理髪店に行ってさっぱりしておくのも昔からの習慣だ。私の場合は若い頃から着るものも調髪もあまり関心がない。周囲に不快感をもたれない程度であればよいという考え方なので、理髪店にもあまりこだわりはない。

最近、近所に理髪店が新装開店した。全国に428店舗を展開する全国チェーン店のようだ。散歩コースにあることもあって、今日は試しにそこへ行ってみた。

理髪用の椅子が6脚、洗髪用の椅子が3脚、従業員が6名。店は明るくきれいだし、なかなか感じが良い店だった。理容師さんも最近まで自分で店をやっていたようなベテラン揃いに見えた。だから技術もしっかりしているのだろう。そしてその料金にびっくり、何と1,575円だという。「頭洗いますか?」と聞くので頼んだら、それが210円、合計で1,785円(税込)。今までの一般の店の半分以下だった。

比較的大きな都市には大分前から価格破壊の理髪店が登場したが、私の住むこんな田舎町にまでこの種の理髪店できたことに時代の変化を感じる。

以前は一般に「床屋」と呼ばれる理髪店は組合という横のつながりが強力な商売だった。価格も一律、休日も一緒、値上げも一緒・・・全く無風な商売に見えた。ビジネスモデルで1時間当たりの手間賃を考えるとき、床屋の料金を考えればよい等ともいわれていた。

今日行った店は設備もサービスも技術も一般の理髪店と変わらない、それで価格が半分・・・利用者はありがたいが、これでは一般の理髪店も大変だろうと感じたものだった。私の若い頃は休日には何時間も待たされても、じっと漫画を見て順番を待ったものだ。それが過当競争から価格破壊と変化が激しい業界になったようだ。大都市ではカットのみ1,000円という店もあると聞いたが、一方でテレビに出演しているような人は何万円の理髪店に行くと聞く。

自由競争で選択肢があるのはよいことだが、資本のない小売業は成り立たない時代になったようだ。

2007年12月24日月曜日

娘の結婚

今年、我が家の1年を振り返ると、闘病生活の中にもうれしいニュースがあった。それは長女の結婚だった。

我が家は夫婦と娘2人の4人家族。次女は3年前に長女より一足早く結婚して横浜に住んでいる。初孫も昨年誕生し、ご主人がうれしい配慮をしてくれて、時々老夫婦を慰めるために娘と孫を帰省をさせてくれる。

長女は我々の年代が考える適齢期を過ぎているので、本人は放っておいてほしいだろうが、両親にとってはまるで喉につかえた小骨のように、気懸りだった。家内が娘と電話をするたびに同じ質問と愚痴をこぼすため、いつもお定まりの喧嘩で終わるということになって、電話さえ遠のくという始末だった。

今年の初めだったか、突然娘から結婚を考えている人がいるという話を聞いたときは、すぐ我が家への招待を促したものだ。娘は東京のある旅行会社に勤務しているが、お相手は仕事でいつも顔を合わせる航空会社の営業マンということだった。そして、ことは順調に運んで、11月22日「良い夫婦の日」に結婚・入籍をした。親としては子供の結婚はひとつの区切り。親の責任が開放され、肩の荷が下りる時。子供の巣立ちはうれしくもあり、さびしくもあり・・複雑な心境ではあるが、ひと安心という気持がいちばん強い。

今から40年くらい前だっただろうか、よくラジオで聞いた曲に「谷間に3つの鐘が鳴る」という大ヒット曲があった。
小さな村の教会の鐘は村びとの「誕生のとき」「結婚のとき」「死を迎えたとき」の3回、鐘の音が響き渡る・・一人の青年の一生を歌った歌だったように思う。アメリカの田舎の小さな村の情景が目に浮かぶようで好きな歌だった。

娘がその村に育てば、ようやく2度目の鐘を鳴らすことができたということになる。生まれれば、一つ目の鐘は誰にでも鳴る。3つ目もいずれかは誰にでも鐘を鳴らすときは来る。2つ目の鐘は最近は鳴らさない人も多いし、逆に何度も鳴らす人もいる。幸せな人間の一生、できれば順調に3回の鐘を鳴らすのがよい。

娘には平凡でも暖かくて幸せな家庭を築いてもらいたい。世間の父親は娘を嫁に出すときは誰でも寂しさを感じる。それもあるが、一方では新しく息子が増えるという気持も同じ位ある。

新しく息子になる青年はまじめで明るくて性格も良い。若い世代の人も様々だ。世の中の青年の中には顔をしかめたくなる人もたくさんいる。若い夫婦間にトラブルがあると、親だって頭痛の種が増える。

幸いにして、我が家の娘の連れ合いは二人とも良い青年に恵まれたことは本当に感謝すべきことだと喜んでいる。

2007年12月22日土曜日

年賀状

昨年は年賀状を25日前に出したのに、元日に届かなかった処があったと聞く。そんなこともあって今年は昨年より早めに準備して、今までになく早く20日に郵便局に出してきた。

昨年は郵政省での混乱があって、大失策の歳末だったようだ。
2008年用の年賀状は例年より売れ行きが好調のようだ。昨日も日本郵便より2008年用年賀ハガキを約1億454万枚を追加発行すると発表された。発行枚数合計は前年比5.8%増で、2年ぶりに40億枚の大台を回復するのだそうだ。配達や仕分けのアルバイトも昨年より2万人増やし、21万人体制で臨むという。

日本郵便株式会社は民営化された最初の正月なので、張り切っている姿が伝わってくる。多分25日に出せば元日には届くであろう。この3連休は日本全国年賀状を作っている人々の奮戦振りが目に浮かぶようだ。

これだけ何年も年賀状を書いていると、大体何日あれば年賀状が完成するか分かっている。早めに着手すれば間違いはないのだが、暇はあってもいつもいつもぎりぎりにならないと着手できないというのは悪い習慣だといつも反省する。

若い頃は版画を準備したり、宛名書きはすべて手書きだったので、準備にはずいぶん日数を掛けた記憶がある。最近はパソコンのおかげで準備日数はずいぶん短縮され楽になったが、そのかわり皆同じような年賀状になって味気がない。できれば手書きにしたいのだが、自分の書いた字は後で見ると破いて棄てたくなるほどの悪字なので、やむを得ずいつ頃からかパソコンで作成するようになった。

それでも、宛名のフォントをペン字体にして色をブルーにしたり、裏面のデザインをできるだけ個性的なものにしたり、手書きで文章を一言二言付け加えるようにはするのだが、出来上がりはもうひとつ気に入らず、自己満足だったことを悟りながら投函する。

年賀状の風習は日本だけかと思ったら、韓国、中国、台湾にも似た風習があると聞く。日本でこれだけ全国に普及したのは明治に入って新式郵便制度の実施後、郵便はがきが普及に伴って一般化したようだ。

歴史上、その前は何もなかったかというと、そうでもないらしい。平安時代に藤原明衡が著した「雲州消息」という書物に、年賀の手紙の例文がいくつも取り上げられているようだし、戦国時代に武将の書いた新年の挨拶文も残っているという。ずいぶん昔から行われている風習なのだ。

ひと頃、虚礼廃止などと言われ、年賀状も見直そうという風潮も一部にはあったが、元旦の穏やかな日、年賀状を見ながらしばらく逢わない人に思いを馳せるのも悪いものではない。

2007年12月20日木曜日

がん保険の問題点

17日に健康保険についての「つぶやき」を書いたので、今日はその続報として民間がん保険について書きたい。

我が家の家計は結婚当初から、家内に任せていた。従って、保険類も家内がすべて管理していた。最初の頃は出費はすべて主人である私にも相談していたが、途中から単身赴任で不在にする時期もあったりして、家計も育児もすべて家内にまかせっきりの状態になった。

保険類は掛けられる本人は最低限でいいと考えるし、受取人は多く掛けようとする。最初の頃はその掛金で言い争いをしたこともあった。いつの頃からは「家計の許す範囲で適当に・・・」ということになった。だから、生命保険も損害保険も、私は詳細は知らない。

2003年4月、私がガンだと告知されたとき、ガン保険はどうなっている?と初めて家内に聞いたくらいである。発病の15年位前に1口、8年前くらいに1口、合計2口加入していた。今まで保険には積極的ではなかった自分だったが、このときは家内に感謝をした。そしてその後約5年間、現在に至るまでそのガン保険に助けられることになった。同時に家内に頭が上がらなくなったし、仲の良い夫婦にもなったようだ。

ガンと診断されれば診断給付金、入院すれば1日あたりの金額×入院日数で支払われる入院保険金、手術保険金、通院保険金(20日以上入院した場合)などが支給される。

私の場合は最初の告知で入院・手術をし、その1年後再発してイレッサを飲むための入院をし、3年後イレッサをやめて、抗癌剤治療のために入院、その後は通院して抗癌剤の治療というような経過を辿っている。

最初の入院・手術でおりたガン保険の給付金は、今まで長年支払ってきた掛金の総額をすべて差し引いて、かつ個室に入って療養した病院への支払を済ませても尚且つ相当な額が手元に残った。

但し、問題点もある。私の加入した保険は最初の告知と入院・手術などには給付金がおりるが、古いガン保険では通院治療による抗癌剤の費用はカバーされない。通院の抗癌剤(イレッサも含む)ではガン保険の対象外なので、月々5~6万円かかる抗癌剤の費用は持ち出しとなる。

5年間では入院も通院治療もそれぞれ何度かあり、細かい計算をしているわけではないが、今までのがん治療の5年間のトータルではガン保険の給付金合計から病院への支払合計を差し引いた収支ではまだプラス(手元に残金がある)だと思う。

最近は抗癌剤がよくなり、種類も増えたこともあって、以前なら入院させた患者も通院で治療を行う傾向になっている。私の通う病院でも外来治療用のベッドが20人分あって、常に埋まっている。

そのような背景から、新しいガン保険では抗がん剤治療の補償を加えた保険が増えてきているようだ。国内、海外含めて日本で販売されている20社のガン保険では現段階で外来治療費を給付対象にしているのは23%だそうである。

これから加入を検討されている人は、この辺も考慮に入れて十分に比較検討をされるとよいと思う。

2007年12月18日火曜日

定期健診

本日は11月13日以来の定期健診。

10月31日のジェムザールの点滴を最後に、骨髄を休めるため抗癌剤をお休みして、12月12日に行ったPET検診でのガンの状況を診て、今後の治療方針が説明された。

●血液採取 全体には特別な異常はないが、白血球は3,500とやや低い。本来なら許容範囲3,900以上に戻るべきものがやや低いままに推移しているので、骨髄抑制の副作用の影響が残っている。
●レントゲン撮影 異常なし。
●PET検診 ガン組織の広がりや他への転移はないが、濃度がやや濃くなっている。緊急事態とはいえないが、引き続き抗癌剤の治療を要する。

●今後の方針 骨髄の働きが弱っているので、骨髄抑制のない抗癌剤を選択する必要がある。

候補 先生の頭には次の4つの候補がある。緊急を要する状況ではないので、年末年始をはずして年明け1月9日からイレッサの再服用を開始して、様子を見ながら、下記②、③、④の中から適する方法を選ぶ。

①イレッサ 再服用。効かなくなった人も、前に効果があった場合は再服用で効果を出す例がある。
②タルセバ 新薬。2月から使用可能となる。副作用はイレッサと類似。但し、皮膚疾患はイレッサよりひどくなる見込み。
③治験薬A(名前はない。記号が付いている)私の状況と製薬会社の条件が合致したときに使用可能となる。2月ごろから服用可能だが、まだ候補の段階。外国では認可・使用実績がある。
④治験薬B(同上)③とは別の治験薬。

2007年12月17日月曜日

健康保険制度の恩恵

前回ガンの治療費のことに触れたが、何もかも不満ばかりを感じているわけではない。治療費の高さに嘆く一方で、日本の健康保険制度や民間のがん保険に救われているという思いも大いにある。今日はその健康保険制度について「つぶやき」を・・・。

ご存知のように日本は世界でも誇れる皆保険といわれている。大中企業は単一健保組合、小企業の方は政府管掌健康保険、教職員は共済健保、船員は船員健保、無職・自由業は国民健保等々どんな職業についても健康保険組合がある。私はサラリーマン時代は所属する会社の単一健保に、退職後2年間の任意継続を経て、国保に移った。

私のように癌治療で多額の治療費が発生する場合は「高額療養費制度」が命綱となる。医療機関への支払いがいくら高額になっても、「高額療養費制度」によって自己負担限度額以上は後日戻される。

自己負担限度額(高額になっても自分が支払う分)は何年か前まで収入に関係なく一律36,000円代だった。つまり何十万円かかろうと1ヶ月のトータル金額がほぼ36,000円で済んだものだった。それがその後の何度かの値上げで、今は限度額が引き上げられになり且つ複雑になった。

今は収入により3段階になり、月収56万円以下ならほぼ80,000円台(数式があり、医療費を代入して計算する)が自己負担しなければならなくなった。私のサイト(こちら)に収入別の計算式があるので、必要な方は参照されたい。

意外と知られていないことで「多数該当高額療養費」という制度がある。これは過去12ヶ月以内に同じ世帯で4回以上の高額療養費の支給を受けたときは、4回目以降の自己負担限度額は減額となるという制度である。月収56万円以下なら自己負担限度額が44,400円になる。これは個人が申請しなくともそれぞれ所属する保険の保険者から通知がくる。(くわしくはこちら

私の場合もこの春から夏にかけて、抗癌剤治療で何回か入院して3回以上高額療養費に該当したので、先月と今月は市の国民健康保険課から通知が来て、44,400円以上支払った分の還付を受けた。

入院などして支払額が高額だと、いずれ戻るとはいっても医療機関の窓口に支払うのは大変だった。今年の4月からは事前に医療機関に「限度額適用認定証」(保険者に申し出ればもらえる)を提出しておけば医療機関で差し引き計算をしてくれて、自己負担限度額だけを支払えばよくなったので、手続きはずいぶん楽になった。

2007年12月15日土曜日

タルセバ価格決定

情報スクラップに掲載したように非小細胞肺がん治療薬エルロチニブ(商品名「タルセバ」)の薬価が決まった(こちら)。10,513円(保険が利くので、30%=自己負担分は3,154円)。これが高いのか、安いのか、立場立場でいろいろな意見があるのだろう。「こんな小さな錠剤が10,000円!」と思う人も少なくないだろうし、今まで個人で購入していた人は12,000円強と聞いていたので、安いと思うだろう。

私は以前はイレッサを服用していたが、イレッサ1錠は7,216円だった。それよりは大分高くなる。抗癌剤は毎日飲むので、その価格差は大きい。例えば1日1錠飲む人は3,154×30日として1ヶ月の薬代の自己負担分が94.620円となる。

私の場合はイレッサを飲んでいた頃は副作用(肝臓数値、皮膚疾患)が強くて、途中から隔日服用になったので、7,216×30%×15日=32,472円の薬代とその他の薬代、検査代、諸々併せて月々平均して50,000~60,000円かかっていたと思う。化学療法は費用がかかるのが悩みの種だ。

同じ情報スクラップの12月6日の記事に「11月の記事ランキング、高度化するがん化学療法が家計を圧迫が第2位に」という記事があって、その中に「高度化するがん化学療法が家計を圧迫 経済的理由で治療変更せざるを得ない患者も」(こちら)の記事は今多くの抗癌剤治療のがん患者が抱えている悩みが記されている。

医学の進歩で新薬が開発されて、命が延びることはありがたいことだが、反面治療費の高騰は家計を直撃する。がん患者の多くは高齢者であることを考えると、この費用問題は頭が痛い問題だ。月々10万円近い費用は年金生活者にとっては払いきれないケースも出ることは想像に難くない。

記事中の調査を行った東北大学医療管理学教授の濃沼信夫氏は、「がん治療など、負担の重い疾患に優先的に公費を重点配分し、代わりに自己負担でもまかなえるような軽い疾患の負担率を上げるといったように、負担率に傾斜をつけるような制度へシフトしてもいいのではないか」と提言している。

患者の立場は物が言いにくいが、ガンがこれから国民病のひとつになることを考えれば、費用の問題は患者本人の問題でもあり、家族の問題でもある。今若い人にとっても、これは将来自分に降りかかる問題なので、このような改正がされるとは有益なことだろう。

2007年12月12日水曜日

PET検診

今日は以前に予約したPET検診の日。予約が13:30なので、朝食を遅めにした昼食は抜きにした。

PETといっても、何年か前からPET-CTと呼ばれる設備になったので撮影時間が短くなって以前のPETよりは随分楽になっている。

私の場合、前に記したように抗癌剤を打つ期間が長くなったので、骨髄を休めるために現在抗癌剤を休止している。そのため、抗癌剤の副作用から開放され、体調は良い。

その反面、ガン自体がどうなっているかという心配がある。今回のPET検診は、その確認を行う。ガン自体の自覚症状は全くないので厄介だ。

結果は次の定期健診(12月18日)で結果の説明と今後の方針が説明される。

2007年12月10日月曜日

小春日和

天気予報でよく聞く「小春日和」。季節には関係なく、春のようなぽかぽか陽気のことをさすのか…と何となく誤解される人が多いようだ。

ものの本で調べてみると……
「小春日和」とは11月~12月上旬にかけて、寒さが厳しくなってきた頃に思いがけなく風の弱いぽかぽか陽気になる天候のこと。そして小春日和には2つのタイプがある。
★西高東低の気圧配置でも、ときどき日本付近の等圧線がゆるんで風が弱くなる。
★大陸から比較的暖かな移動性高気圧がやってきて、日本を覆うとき。
……だそうである。

12月上旬というから、厳密にいうとこの冬は今日がこの言葉が使える最後の日ということになる。

私の住む沼津近辺でもここのところ、連日のように正に上記にぴったりの小春日和が続いていてありがたい。日なたぼっこにも散歩にも格好の陽気だ。

私が1日のうち大半の時間を過ごす2階の部屋は南向きで日当たりが良い。冬にこのような天気の良い日の日中には暖房器具などは全く不要で、むしろ上に着ているものを1枚脱ぐほどである。

テレビを見ていると、国土の狭い日本でさえも南から北ではずいぶん気象条件が違うと感じる。
特に冬はその厳しさに大きな差があるようだ。雪国では毎日の雪下ろしは重労働だし、危険も伴うと聞く。移動手段も制限されるし、暖房費用なども大きな差となろう。最近灯油の値上げが家計直撃するという話題がテレビで取り上げられるが、ひと冬で万円の単位となると、その影響は大きいだろう。

政府がいろいろな援助手段を検討しているようだが、特に年金生活者等の家庭には早急に実質的な援助がされることを望みたいものだ。

2007年12月7日金曜日

散歩道での新発見


快晴で、穏やかな陽気なので午前中の散歩は浜に出てみた。

海岸での散歩は大体松林の中の遊歩道を歩く。遊歩道は最近作られたものだが、道の脇や松林の中には思いがけず江戸時代の痕跡を発見することがある。
今日はいつもと違って松林より海側にある防潮堤の上を歩いていたら、海側にも所々にある松林の間に碑のような物が見える。堤を降りて、近づいてみるとそれは供養塔(写真)だった。防潮堤からは松の木で見えにくい所にあるので、私にとっては新発見だった。

中央の塔が古いもので、周囲は後世に沼津市教育委員会が整備したもののようだ。教育委員会が整備した碑のの説明文を読んでみると、「この塔は近辺の漁業の守護神として天保12年(1841)3月に建立した。漁業者は水難者を丁重にまつることが、豊漁と海辺の人達の幸せにつながる」という主旨のことが記されている。

中央の塔は166年間も海風にさらされたので、文字も半分ぐらいは消えかかっているが、周囲の面には当時の出資者や有力者らしき名前が読み取れる。東助郷中、西助郷中などの今は存在しない近隣の組織の名称なども書かれている。そして、「高木與三右ェ門、長橋安右ェ門、近松源内、廣瀬三郎兵衛・・・」等々いかにも江戸時代らしい先祖の名前の数々が見える。この名前を眺めていると、166年前、5~6代前の先祖達がここに集う様が目に浮かぶようだ。その人達の風貌や、チョンマゲ姿、服装、生活、等々はどんなだっただろうかと想像するのも楽しいものだ。

1年ほど前だろうか、浜の松林の中の遊歩道を散歩中、旅行者らしき人に呼び止められて「史跡の場所」を尋ねられたことが2度あった。ひとりは市役所でもらったという地図を持っており、ひとりは観光ガイドのような出版物を持っていた。その地図を見ると毎日の散歩道の5㌔くらいの間に5箇所も江戸時代以前の史跡が載っていた。

地元に40年も住んでいても知らない史跡があるなんて・・・と思いながら、その後は遊歩道から離れた物にも注意しながら歩いた結果、その後4つ発見した。今日の発見がその5つ目だった。

2007年12月5日水曜日

老人保健

来年の4月から老人医療の新しい保険制度が発足する。
この制度の対象は75歳以上だから、私自身がその対象になるにはまだ10年あるのでもうひとつ関心がわかない。新聞などに詳細な内容の説明があってもあまり熱心に読む気はしない。

運よく長生きすればお世話になることになるが、正直言ってこれから先に何がどう変わるか分からないというのが本音だ。多くの方が似た考え方の人が多いのだろう。でも、親御さんやご兄弟が該当するようなら、ご本人は高齢なので、周囲の人が早目から検討して、助言されたらよいと思う。

私の両親(両方が故人)はいちばん良かったときの老人保険制度の恩恵を受けたとても運の良い世代だった。この制度自体がそれほど古くはなく、昭和48年に発足したと聞く。最初は70歳以上が対象で自己負担はすべて無料になった。非常に良い制度としてスタートしたのだが、その後いろいろ不都合なことが発生したようだ。

曰く、暇な老人が病院の待合室を占拠する「病院のサロン化」、病院の出口のゴミ箱は支給された薬でいっぱいになる、治療費が無料なので高齢者の長期入院者でベッドがふさがる・・・等々。真偽のほどは別として、老人医療費が予期せぬほど急激に増加したことは事実のようで、これにあわてた厚生労働省はいろいろな修正を加えてきた。今度の新制度発足もその一環のようである。

私は国民健康保険に所属するが、3年前までは勤務していた企業の健康保険組合に所属していた。そして多くの健保組合がこの老人保健制度にネを上げていると聞いた。企業の健保組合だから一見老人保険制度に無縁だと思うが、それが大違い。

企業の健保組合は従業員の給与から毎月何%かを天引きして、それに企業が同額負担してその両方を基にして、従業員と扶養家族の病気治療にかかる費用や出産費用等々健康保険を運用する。ところが、すべての健保組合は国から老人医療に回すための拠出金を納めることを強制されるのである。それも費用総額の40%近くと大変な額に上り、健保保険組合によってはその負担が大きすぎて、赤字運営を余儀なくされるところが多いと聞いた。

老人保険制度の原資は国からの税金が38%、被用者保険からの拠出金が62%で運営しているのである。つまり、現役世代が先輩の医療費を負担するという考え方だ。新制度はこの拠出金を軽減することも目的の一つのようだ。

4月からスタートする老人保険制度は75歳以上が対象であり、これからは該当する年齢になると、今までの健康保険制度を抜けてそちらに移るということになる。息子や娘の勤め先の健保組合の扶養家族になっているなら、月々の扶養家族の分の保険料はタダだったものが、新保険に移ることで新たに保険料を払うことになる。今までが国民健康保険なら、別の制度に移るので掛け金が変わる。

新たな支払う保険料も住む都道府県によって随分違うというのは不可解だ。僅かな差なともかく、今の試算では2倍もの差となるというからバカにならない。いずれは修正が行われるのかどうか?
各都道府県の保険料はこちら

2007年12月3日月曜日

アサヒる

毎年今頃になると、今年はやった流行語が取り上げられる。
ネット系のニュース・サイトを見ていたら、12月3日発売の現代用語の基礎知識2008に新しく97の言葉が収録されたと載っていた。「フルボッコ」「ローゼン麻生」「アサヒる」「アタシ、もうアベしちゃおうかな」「初音ミク」等々、私は殆ど知らない言葉だが、「アサヒる」だけは何度か目にした。「アサヒる」という言葉がネット上で本当に流行しているのかどうか、試しにYahooで検索してみると、12月1日時点で263万件超の検索件数があった。なるほど、「流行している」というニュースは、まんざら嘘ではないらしい。

『はてなダイアリーキーワード』によれば、「アサヒる」の意味は「捏造する。でっちあげる。執拗にいじめる」ということらしい。その起源は、2007年9月25日付の朝日新聞に掲載されたあるコラムニストによる次のようなコメントらしい。「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」。この「アベしちゃう」に、ネットユーザーが敏感に反応した。そのコラムニスト氏のブログには「そんな流行語は聞いたことがない」「また朝日の捏造だろ」といった書き込みが殺到し、その中から「アサヒる」という言葉が一人歩きし出したらしい。

つい3年前、私がイレッサを飲み始めた頃、私には相性が良かったらしく効果を発揮し、命を永らえた。ちょうどその頃、朝日新聞だけがイレッサ承認取り消し大キャンペーンを展開していた。正にアサヒる対象にイレッサを選んだようだ。幸い厚生労働省はそのキャンペーンをまともには取り上げなかったが、その時「私の命の元を断たないでくれ。新聞は事実だけを伝えろ」とこの新聞に大変な不快感を持ったものだ。

朝日新聞とは思想的に対極にある週刊誌がこれを揶揄する「アサヒる.web」なるサイトを作った。(こちら)

この内容を見ると、これでもかこれでもかと「アサヒる新聞(失礼)」やTBSを揶揄する記事が満載だ。

他愛のない内容だが、随分手間をかけて作っているという印象だ。思想的に左でも右でもない私が読む分には大声で笑ってしまうほど面白いが、朝日新聞やTBSの関係者が読むとさぞかし不愉快だろう。

新聞が本来の役割を逸脱せずに、中立の立場で事実だけを伝えている分には「アサヒる.web」のような中傷は起きないだろうに・・・と思う。

2007年12月1日土曜日

足湯の効能

今年も早いもので、今日から12月、カレンダーも最後の1枚になった。毎日ようやく冬らしい寒さを感じるようになった。冬といえばお風呂が恋しい季節になる。

私の家から車で30分ほどのところに伊豆長岡温泉がある。この病気になってから、温泉が治療に役立つということで時々日帰り温泉に出かける。車で走る県道の脇に公園があり、誰でも無料で使える足湯がある。いつも通るだびに観光客が足湯を浸かりながら、おしゃべりをする姿を見かける。
お風呂に入ることに越したことはないが、お風呂に入れない場合もこの足湯、なかなか健康には良いようだ。以前にある本で「足湯の効果」を読んだことがある。今日は私のダイアリーに記録されたこの「足湯の効能」について紹介したい。これから冬に向かって身体が冷えやすいので、費用もかからず効果が大きいこの足湯、ぜひ実行されると良いと思う。

全身を流れる血液中には、栄養分や酸素などのほか、代謝によって産生された老廃物なども混じっている。これらは尿などによって排出されるが、血の循環が悪かったりして排出されないと血液中に残り、引力の関係で下、そして血液の折り返し点、つまり足にたまりやすい。
足にたまった老廃物はやがて血行を阻害し、さまざまな病気の元となる。つまり、まず足を温めて血の循環をよくすれば病気の予防になるということになる。

●風邪のときだけでなく、足湯を習慣に!
風邪をひいたときなど、お風呂に入れないときでも、足湯なら可能。42度ほどの、ちょっと熱めのお湯にふくらはぎから下をお湯につけて、約20分。足を温めることによって、血液循環が促進され、温かい血が全身を駆けめぐる。全身浴とほぼ同じ効果が得られる。気軽にできるので、風邪のときだけでなく、テレビや本を見ながらでも、「入浴」と同じ効果が得られるという。
バケツにお湯を入れて足湯をしてもいいが、温度調節のできる足湯器もあるという。そして入浴剤を入れれば、保温効果が上がるのでよいそうだ。

●足湯は免疫機能をアップさせる
足湯は全身浴と同じような効果が得られるが、もちろん体温は上昇するが、ある実験で、免疫機能もアップさせることが分かったそうだ。
40~41度で20分足湯をして、20分後に採血をして、血液の状態を調べた。すると、ガン細胞を殺す作用のある「NK細胞」の活性度が、10人中7人で増加したという。足湯は体の免疫力をアップさせる力があるということになる。足湯の効果をさらにアップさせるために、足湯のあとには足のマッサージを習慣にすると良い。足の裏には体の全神経が集中していて、そこをもみほぐすことによって、血液の循環はますます高まり、体の機能アップにつながる。